イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

平和にも地獄あり

2008-08-01 22:02:54 | テレビ番組

昨夜(831日)は木曜だったため、なんとなく『爆笑オンエアバトル』放送があるような気がして、NHK総合にチャンネルを合わせたまま日付をまたいだら、ニュースの後いきなり『証言記録 兵士たちの戦争』。そうだ、先週24日の放送をもって、北京五輪終了まで夏休みだったのでした。

印緬(インド-ミャンマー)国境に兵力投入し英軍の攻勢を補給路から孤立せしめようとして急峻な山岳密林に踏み込み、自軍の補給が杜撰で墓穴を掘った所謂“インパール作戦”についてはたびたび聞き及んだ記憶がありましたが、フィリピン陥落を先延ばしにする防波堤とすべく、退却も玉砕も許可されないまま終戦の2年後まで敗残部隊数十人を孤立篭城させていたパラオ南部・ペリリュー島の悲劇は初めてまとまった史実を聞きました。

草生す屍水漬く屍の戦線から、からくも生還復員なって、戦争放棄の日本で晩年を迎え、当時の状況をカメラの前で語り伝えてくれる元兵士・下士官・将校さんたちは全員80代後半。

「砲弾を頭部に受けると即死できるけど、腹や腕や足をやられると、気温40℃の熱帯雨林だからたちまち化膿して腐り、払っても払っても蛆が傷口にブラブラぶら下がる」「悪臭のたちこめた洞窟に立てこもって、食糧どころか飲み水もなく小便も飲んだ」「精神に異常をきたして“敵だ敵だ”とあたり構わず発砲する者が出て、鎮めるためにやむなく頭を殴って殺した」など、水木しげるさんの漫画を思い出す(思い出すってそれかい!)なまなましい惨劇証言の数々に、思わず目が冴えて、絶対夢見が悪くなるぞ、なるぞと思いながらつい完視聴。

口の重い戦争体験世代の方々が、訥々と発する言葉に重みがあるので、なかなかスイッチを切れないんですね。虚構のドラマと違って、ドキュメンタリーには往々にしてこういう魔力がある。

インタビューの締めくくりに「(いま語ってくれたような)戦時体験をお話しになることはありますか?」と問われて「しない。」と即答していた元兵士さん、その傍らで「そうね、しないね、私らも今日初めて聞いたもの」と言葉を添える奥さん、お嫁さんたちご家族。

上の命令が絶対の組織にあって、そもそも命令自体がはなから無計画に等しく、完遂の見込みは当然早々と断たれ、せめて帰国を、それがダメなら名誉の戦死をとの希望すら奪われたまま疫病と飢餓に苦しみながら死んで行った僚友たち、彼らを助けようにも水一杯与えてやれず、死にたいと懇請されて命を断つ幇助までしなければならなかった状況を回想すると、とても口など開く気になれなかったのでしょう。生還者の皆さんが恐らく同じ思いを抱え、心の深奥にどす黒く沈澱させての、この数十年だったはず。

思い返せば、戦後、年を重ねても1970年~90年代、特に50周年の95年まではこうした深刻なドキュメンタリー番組、終戦回顧番組が、8月上旬の広島長崎原爆の日~お盆帰省時期に合わせて202300台のゴールデン、プライムタイムで普通に放送されていたように思います。なぜ今年は7月末日?なぜ深夜242500台?

どうも『爆笑オンバト』同様、今年はNHKも北京五輪特別体制で8月第一週から“それどころじゃない”らしい。大人も夏休みの子供も観られる時間帯のそれ系番組らしいものは、822100~『広島発特集ドラマ 帽子』と、せいぜい152230~『証言記録 レイテ決戦』ぐらいでしょう。他にも23本あるにはあるようですが、日付変更線の向こう岸。

ゴールデンなんざ在宅しても放送中の番組を観ることはまずない月河、「8月こそ家族で、戦争の悲惨を振り返り平和と命の尊さを語り合おう」なんてこたぁさらさら言うつもりはありませんが、どう考えても東アジアの気候でスポーツイベントに最適なシーズンとは言えない88日~24日にわざわざ五輪を組んだのは、嫌日・怨日中国の壮大な陰謀じゃないかとも思えてきます。

そしてまた、特に21世紀に入ってから、“あの戦争”を忘れまいという空気はおもしろいように褪色風化して行ってますね。

北朝鮮拉致問題へのフォーカスが遠因か、あるいは戦争以上にエゴでサイコで残忍な犯罪が国内で頻発しているからなのか。

はたまた毎年3万数千人が生活苦や病苦で自殺する国で、あの程度の戦争など改めてむし返して嘆き怒るに足るほどの悲惨ではない、という暗黙のメッセージかな。

コメント
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