イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

訛りの兵隊トテチテタ

2013-05-25 00:03:53 | 再放送ドラマ

 ♪パローレパローレ のCM("大森 西島 缶 CM"で検索すると簡単に商品名判明)が印象鮮烈だったのは、このところ『八重の桜』と再放送の『純情きらり』を継続視聴してきて"訛ってない西島秀俊さん"を久しぶりに見たような気がしたからってのもあります。

 『八重』の兄んつぁまは当然会津弁。容保殿(綾野剛さん)の京都守護職に随行しての都詰めももうドラマ上5~6年になるはずですが、お仕事ひとすじで銃の買い付けに奔走するだけの覚馬さんは都の住人たちとほとんど交流している暇もなかったようでバリ会津弁のままです。手練れの武器商人と五分にわたり合ってプロイセン製最新式銃輸入にこぎつけた(でも実戦までに届かなかった。泣笑)ぐらいですから、ドイツ語のほうが訛らないかもしれない。

 『きらり』のちょっととっつきにくいけど根の優しい貧乏画家・冬吾さんのほうは、東北は東北でも、ドコ弁なんでしょアレ。設定聞き逃したな。原作では作家の太宰治がモデルと聞いたような記憶があるので津軽弁かしら。だったら方言はともかく、ヴィジュアルは美化するにもほどがあるな。国語の教科書の太宰近影は、もんのすごいアバウトな顔でしたぞ。顔見ただけで、作品に行く前に眠くなってくるという(月河はいまだに太宰作品を一作も、一行も読んだことがありません)。

 女性キャラで言えば、比丘尼さんになってからのほうが講演その他で儲かっているっぽい某・熟年女流作家さんの役を宮沢りえさんが演ったぐらい美化している。

 いずれも会津、津軽それぞれのネイティヴ住人からすると「あんなもんではない」と鼻で笑うレベルだそうで。そもそも「中はナジョナットル?」「モデルになってケネガ?」等と、「仮名に書き起こして字幕化できる時点で会津弁ではない、津軽弁ではない」とのこと。そりゃそうでしょうね。ドラマ内の方言セリフは、"どことなしの辺境感"の、香りだけ伝わればいいのであって。

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ダリダお前は

2013-05-22 01:30:52 | CM

 ハゲタカ鷲津ファンドと、八重の兄んつぁまと、北鉄のユイちゃんがエレベーターのひとつハコに乗っているという、謎のCMに遭遇。 

 出先で出合いがしらの上、顔ぶれが個人的にあまりにピンスポなため、終わったあと「・・・で、何のCMだったんだ?」・・・ 

 鷲津ファンド(付くのかファンド)と兄んつぁまが缶の何か飲んでたような気もするから缶コーヒーかも。ユイちゃんはメットかぶってバイク便かケータリングのデリバリー風でした。

 BGMに♪パローレパロレパローレ・・が流れていました。あまい囁き。アラン・ドロンの台詞のフランス語ヴァージョンしか知らないけど。 

 それにしても大森南朋さんは見るたびにお父上の麿赤兒さんに似てくる。『ハゲタカ』で初めて見た時には、まさかこの人が麿さんのねぇ・・と思ったものですが、父親の遺伝子は母親のそれに比べて晩熟系らしく、息子が中年にさしかかると、中年だった頃の父親と驚くほど似てくる。

 『書店員ミチルの身の上話』で鍵を握って離さなかった大森さん、そろそろ朝ドラに来てもいいように思いますが。

 "大森"さんと言えば少女こずみっくの『らぶbeボール タッチダウン』、オッキーの大森センパイへの告白の行方は果たして・・・(@『獣電戦隊キョウリュウジャー』

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日本よ日本

2013-05-13 01:07:46 | ニュース

 夏八木勲さん他界。73歳。 

昨年の原田芳雄さん、地井武男さんに続いて、俳優座養成所花の15期生、円熟の名脇役がまたおひとり、去られてしまいました。

 

ちょうど先月からBSフジで、1975年本放送の丹波哲郎さん主演『鬼平犯科帳』が再放送中で、平蔵の元・剣友、いまは自由人托鉢僧の井関録之助様役は、うーん中谷一郎さんも悪くはないけれど、風呂前のムシロ腰巻き姿でも色気があった(中村吉右衛門さん主演版の)夏八木さんのほうが好きかな…とちょっと思ったばかり。おかしらはまだまだお元気なのですけれど、側近役の皆さんがひとり去りふたり去り、『鬼平』スペシャルも作りにくくなってきました。

 

それはともかく、世間の大方がそうだと思うのですが、月河も夏八木さんの顔と名前がガチ一致したのは1974年のNHK朝ドラ『鳩子の海』が初です。最初は、『キイハンター』や時代劇で見かける精悍な悪役さんが、アレ?なんか優しい人を演ってる…という印象でした。戦災で家族も記憶も失った孤児・鳩子と偶然遭遇して助けてくれる脱走兵・天兵さん。戦争ものなら鬼将校か、憲兵とかのほうが似合いそうなイメージの人が、ヒロインの味方役についてくれるとそれだけで心強く安心して視聴できるもので。“悪役、コワモテ系、くせ者系の俳優さんに善い人役を振る”という朝ドラの戦術は、この頃から存在したわけです。

 

訃報でまず思い出したのが、数多いご出演作の中では特に代表作というほどでもない『人間の証明』の、ホステスと不倫中のダンディなエリートリーマン役と、『上海バンスキング』の中尉さん役。スーツと刑事と武将、あと“制服”を着る役がとにかく似合うかたでした。やはり格闘技での鍛錬の賜物でしょうね。

 

さらに忘れ難いのが『富豪刑事』シリーズの喜久右衛門おじいさま。その後『だんだん』『プロポーズ大作戦』と見てきて、本当に“日本一のおじいさま俳優”さんだなぁと思いました。何たって、カッコいい。“設定年齢より若々しい”だけでなく、現役感がある。若い者、現役世代中心に回っている世間から、まったく落ちこぼれてなくて、キラキラ、ギラギラしているおじいさま。いろいろ気を遣いながらヘコヘコ生きている現役世代より、どうかするとスケール大で高スペックにすら見えるお祖父ちゃん。

 

昭和のドラマで主人公の祖父といったら、大体着物を着て盆栽か詰碁でもやっていて、頑固だったり孫バカだったりのステレオタイプが多かったように思いますが、実際、ここ最近の“ドラマ主人公好適世代”のお祖父ちゃんたちはとても若い。後期高齢者入り何するものぞ。とにかく現役世代が束になってもかなわないのは、彼らが戦中・戦後の峠越え体験者であり、何より“日本の日の出の勢い”の時代を、見聞しているだけではなく、青年として、若手として実地に汗をかいてそこに貢献してきたというところにあります。

 

いくらがつがつしてもすでに敷かれたレールが下り勾配で、物心ついた時からいま現在より上向きの眺望を見ることができないまま、社会人になり、齢を重ね、おじさんおばさんになった、なろうとしている世代には一生手の届かない輝き。それは「この国のいい時代を、俺らが確かにこの手で造った」という秘めたる実感と誇りが、内面から照射する輝きでもある。
 

“カッコいいお祖父ちゃん”はミレニアム以降の日本が、自然必然に生み出したキャラであり、舞台で鍛え斜陽の映画界を突き抜け、お茶の間娯楽の中心となったTVで敵役・正義役ともに“戦う姿が映える男”を演じ続けてきた夏八木さんの円熟期に、天恵のように巡ってきた当たりポジションでした。
 

だからこそ享年73歳はいかにも若く、何度「惜しい」と言っても足りないくらい、本当に惜し過ぎる。月河には一昨年の『ラストマネー ~愛の値段』が、リアルタイム本放送で拝見した最後のお姿になりました。植物人間となってしまった孫に愛情を注ぐ祖父役で、一見、悲運の被害者のようでありながら、“金で歪んで行く、(いまどきの)人間の醜悪さ”を静かに憎む、実はやはり“戦うお祖父ちゃん”でした。
 

夏八木さん亡き後、“キラ・ギラ系”お祖父さまポジションを継ぐ俳優さんは現れるでしょうか。需要はありますからねえ。なんとなく、いい年齢になって髪を黒々させず“自然色”のままにしている俳優さんはそれ狙いのような気がします。近藤正臣さん、秋野太作さん。うんと若いけど西村雅彦さんなども。
 

田村正和さんが“こっち”に来てくれたらおもしろいと思うのですけどね。自然色マサカズ。そろそろ待望されてるのではないでしょうか。怖いもの見たさか。

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ズンゾウきらり

2013-05-06 01:01:12 | 朝ドラマ

 『あまちゃん』の驀進につい影が薄くなりがちだけれど、朝のBSプレミアムのひとつ前の枠『純情きらり』もなかなかいいですよ。本放送は20064月~9月、すがすがしいまでに朝ドラと縁のなかった時期なのでもちろん初見。

 ヒロイン宮﨑あおいさん当時20歳。朝ドラ恒例のオーディション選抜ではなく、すでに女優として確たる実績あってのオファーキャスティングですが、劇場映画中心のキャリアだったので、お茶の間レベルで国民的女優認定されたのはここからでしょうね。ここから2年後の大河『篤姫』へとつながっていった。

 
イヌ顔ネコ顔、キツネ顔タヌキ顔と言うより、宮﨑さんは“ウサギ顔”ですね。褒め言葉になってるかどうかわからないけど、「美人じゃないけどかわいい顔」の教科書的作品。演じる桜子ちゃんも、しっかりきっちりの長姉・笛子(寺島しのぶさん)と従順でつつましい次姉・杏子(ももこ。井川遥さん)の下で、活発自由人の女学生ですが、やはりNHKヒロイン、男勝りとかはみ出しアウトロー性はあまりなく、結構イジイジちゃんで、可愛げがある。しかも昭和3年に8歳、9年後の昭和12年に17歳と、ドンズバ“ド戦中”“ド戦後”適齢期直撃世代。朝ドラの時代設定としていちばんハズレのないところに立地されていて、当然相手役候補の、大手八丁味噌屋の跡取りお坊ちゃま(福士誠治さん)も、元いじめっ子ガキ大将、いまは気のいい若手醸造職人(井坂俊哉さん)も出征好適世代ですから、もう盛り上がらないほうがおかしい。

 
(『あまちゃん』が並行放送進行中ですが、こうして見ると『純と愛』にしろ『てっぱん』『ウェルかめ』にしろ、現代もの朝ドラは苦戦する道理ですね。ヒロイン成長ものという点では大差なくても、戦争を挟んでさえいれば、ありがち女子のありがち人生行路をダダ語りするだけで普通に起承転結ついてしまう。

現代ものだと、とにかくべたーーっと平和で、ヒロインの人生を変転させずにおかない、誰もが共感する普遍的な“歴史の荒波”というものがありませんから、実親と生き別れとか勘当とか、難病もしくはトラウマとか、人物固有の事情、“仕掛け”を作為的に張っつけて進めなければならないので、「感情移入できない」「応援できない」というブーイングが往々にして出ることになる。
 

快調『あまちゃん』にしても、実は20087月時制で物語がスタートしているため、北三陸「あぁアキ(能年玲奈さん)の愛する海も浜も28ヶ月後には…」という観客の“共通予知”=登場人物の誰もまだ知る由もないけれど観客だけは全員熟知している悲劇の予感が根底のところにどすーんと鎮座しているわけです。
 

脚本宮藤官九郎さん流の乾いた、意識的にズレたドタバタ笑いの連打また連打が「何かしらける」「しっとり情感が無い」と拒否されずに観客を乗せ続けていられるのは、この“共有できる悲哀予知”が大きく貢献していると思う。まだ洋ものクラシックをピアノで弾いて音楽学校を夢見ていられた昭和13年の桜子を見る痛みと同じものを、2008年の北三陸で「海さ潜りてぇ~!はやぐ来年の夏になれ~~!」と叫ぶアキに、観客は感じることができる。“戦中・戦後を挟んだヒロイン苦難の成長記”という朝ドラの王道構図を、震災という禁じ手モチーフの援用で現代ものに見事に“移築”した、実はきわめて巧緻な作品が『あまちゃん』なのです。余談ね)
 

『きらり』に戻ると、宮﨑さん起用にひとつ難点があるとすれば、タイプとしてあまり“音楽傾倒少女”に見えないことぐらいか。ピアノ実演奏シーンが付け焼刃くさいとかそういう意味ではなく、音楽、それもアメリカ発のジャズに夢中になる顔ではないような。どう見ても白樺派的な文学少女か、チェーホフ系の演劇少女の雰囲気なんですよね。
 

対して、おとなしい杏子姉ちゃんの井川遥さんはとてもおさまりがいい。本当は気乗りのしない、エゴい資産家子息との縁組を、弟妹たちの進学費用のために応諾して、案の定女中扱いでこき使われ、夫からはDVされまくるという、現代の女性視聴者から見ると「ほら見たことか」「どうにかしろよ」と言いたくなるじれったい役どころなのですが、井川さんの芸風というか存在感というか、起伏が明確に出ないほのか~な感じの芝居が見事にはまっている。
 

メリハリがバチッと効いて風圧のある、ザ・役者!な演技力が必要な役って、実はドラマの中にそんなには無いのですよね。井川さんのように、なんとなくそこにいてなんとなくその時々の状況に反応しているような、ふわっとした存在感だけ出していてくれたほうが役として活きる、たとえば杏子姉ちゃんのような役が結構あるもの 。言葉は悪いですが井川さんの演技が頼りなければ頼りないほど、見てるほうとしては素直に「杏子頑張って」「もっと強腰でホレ」と肩入れすることができる。
 

反対に、長女としての責任感が強すぎて背負い込み性の笛子役は、いささか紋切り型のうざキャラで、すでに『剣客商売』シリーズなどで剛な女子を当たり役にしている寺島しのぶさんには役不足気味か。今後笛子さんには生涯のパートナーとなる重要人物との出会いが待っているようなので、先の展開に期待ですな。
 

2週から家計補助のための下宿人として登場した師範学校教師の斉藤直道先生役が劇団ひとりさんなのにはちょっと、いやかなり、文句がある。こういう、コメディリリーフでもなんでもない、笑いを必須とされない役どころになぜわざわざ芸人を持ってくるかなあ。ここ一点で一気に全体が安くなっているのです。
 

なぜ飄々と浮世離れした学者肌を得意とする、宮﨑あおいさんと釣り合うような釣り合わないような、微妙な持ち味の二枚目半専業俳優さんを探さないのでしょう。そこそこの認知度のパドックに、いくらでもいるでしょうに。

2006年当時のひとりさんはすでに小説も売れて、“お笑いだけではないお利口さん系で、絵ヅラもきれいめのマルチタレント”として、NHK的に安定株だったのでしょうが、「人気(?)芸人を出せば、日ごろバラエティしか見ない層も食いついてくれる」と本気で思っていたのだとしたら、局の看板枠のドラマ制作者としてあまりにプライドが無さすぎるし、そもそもひとりさんがお笑い畑の中でそんなに集客力のあるタマだったとも思えない。ひとりさんが、ちょっとずれてて世知に疎いが気の優しい先生役を、演技的に格段の無理はなく無難にこなしているためにますます「何故この人でないといけなかった?」と引っかかってしまう。
 

まぁ本放送から何年も経ってから、“完成品”として、流通済みのウラ話やネタバレも込みで、ある程度突き放して視聴するのと、リアルタイムで、ホン書いて撮って編集して出しのほやほやにああだこうだとナマでリアクションしながら賞味するのとでは“ライヴ感”という決定的な差がありますからね。いま醒めた目で眺めるといただけないところや噴飯ものなところも、2006年春当時の世相ではそれなりにウケていたのかもしれません。 

 

コメント (2)
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女かね?と書いて

2013-05-03 01:05:27 | ニュース

 新年度に入ったことだし(ってもう一か月過ぎてるが)、ほとんどネットの辺境でブーたれてるだけの無名弱小ブログでも、たまにはびしっとリスクを取りましょう。題して“心底嫌いな言葉シリーズ”

 砕いて言うと、“絶対使うまいぞと自戒している言葉シリーズ”

 もっと敷衍すると“読んでる文中に出てきたら速攻読むのを打ち切ると決めている言葉シリーズ” 

 「向き合う」 

「家族と向き合う」「(教師が)生徒と向き合う」「(親が)子供と向き合う」「仕事と向き合う」果ては「自分と向き合う」… 

思わせぶり。姑息な婉曲表現。要するに「実態から目をそらさず虚心坦懐に見つめる」「逃げない」「先送りしない」「責任を取る」という辺りの意味をぜんぶ含んでいるのだと思う。だったらそう言えばいいのに。言わないのは、本当は逃げたいからです。本音のところでは責任を取りたくないからです。 

「あなたは向き合うべきだ」と言われている人たちが逃げたいより先に、「向き合いたまえ」と言っている人たちのほうが「本当は逃げたいのさ、人間そうしたものさ」と、大前提として腹の底で冷笑している感じがする。よって、ものすごく尊大で、同時にものすごく卑屈な表現です。

 「背中を押す」 

キモい。気色が悪い。 

「人の決断を肯定し支持する」「行動に移すよう暗に促す」「迷いを払拭してやる」という辺りの意味なのでしょうが、先日の皇太子ご夫妻のオランダ訪問でNHKラジオ第一のニュースが「主治医の同行も10何年ぶりの外国訪問となる)雅子さまの背中を押しました」と言っているのを聞いて、なんかヘンだ、どうにもヘンだと気になってたまらなくなりました。 

たとえば、雅子さまご本人が「○○先生がみずから同行すると言ってくださったことが、ワタクシの背中を押してくれました」と、あくまでもたとえばですよ、仰ったのならば、ずいぶんと卑近な、手垢のついた表現をお選びになるなあとは思っても、これほどヘンな気はしないと思う。 

あるいは、進路選択に迷っている生徒の母親が担任教師に相談に行ったとき、教師から「○○くんは△△校がベストと思います、親御さんから背中を押してあげてはどうでしょう」と助言する。これもアリだと思う。

 

ようするに、“押される”者が“押す”側よりも“下”で、なおかつ「あぁ押しているな、押したな」と観察、解釈する側よりも“下”で、それで初めてきれいに(手垢はついているけれども)成立する表現じゃないか。 

然るにだ、雅子さまは民間出身と言えども一応“現職”の皇太子妃殿下ではありませんか。どんだけ偉い大先生か知らないけれどもいちお医者さんに「あぁ、ほら見な、背中を押されてら」なんて、いち放送媒体に解釈されて電波に乗せて日本国津々浦々の民草に喧伝される筋合いじゃありません。 

自慢じゃないが月河も戦後教育の悪しき結果のカッタマリ世代なので皇室や皇族方に格段の尊崇はありませんが、主体と客体と、それらを観察して描写表現する体と、それぞれの“上下関係”がグズグズのグダグダになってるのはきわめて不快です。 

そもそも“背中”を“押す”って、ボディタッチとかスキンシップを暗に連想させる言い回しを“絶対的”に“上”であるところの皇族(=赤ん坊でも幼稚園のガキんちょでも“さま”付けで呼ばれる)に使う時点でセンスがないよ。不敬とかは思わないけれど、無神経だ。

 

 「ウインウイン(の関係)」 

故障か。若手芸人のコンビニコントで自動ドア開くときか。 

つまり「一方がウイン(Win=勝利、利得)ならもう片方はルーズ(Lose=敗北、損)と決まった関係ではない」ということ、両方トクする、誰も損しない関係で仕組みだという意味なのでしょうが、どうでしょうこの全身から立ちのぼる胡散臭さ。あからさまにウラのあるウマい話っぽさ。 

トクってのは誰かから何かしら奪うこと、誰かを何だか知らないけど何となくソンした気分にさせることですから、トクに伴うそこはかとない後ろめたさ、そのうちカタキとられるんじゃないか寝首かかれんじゃないかという漠然とした薄ら寒さを一気に解決!という、満面笑顔でパリッとスーツネクタイ決めた、手練れの詐欺師のような薄気味悪さ全開の言葉です。 

同じような意味なら時代劇でよくある「越後屋、そちも悪よのう」「左様に仰る勘定奉行さまこそ」「だはははは」「ぐふふふふ」のほうがここら辺のニュアンスをよく表わしていると思う。ウインウインとか毛唐の言葉で言わないで、「悪い役人と悪い商人の関係」と言えばいいのに。

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