イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

『あさイチ』引継ぎ ~「いい加減にしろー!」

2018-03-30 23:20:35 | テレビ番組

 NHK『あさイチ』のMC“創立”メンバーも本日(3月30日)をもって卒業となったようです。2010年4月、8:00スタートに放送時間を移した連続テレビ小説(『ゲゲゲの女房』)の第1話とともに始まった番組なので、月河もほぼ“朝ドラと地続き”な受け容れ方で見てきました。

 始まった当初は、コーナー多いし全国に中継局のあるNHKの強みに乗り過ぎてやたらローカルアナのローカルレポートが多いし、落っち着かない番組だなぁという印象でしたが、何だかんだで朝ドラへの体温が高いときは迷いなくチャンネル据え置きで、死ぬほど興味のないテーマでもそのまま流して、意外にウケられるなと思ったポイントはウケていましたし、逆に朝ドラから醒めているときはまったく視聴意欲がわかないので、この時間に視聴できる環境にいても、もっぱらラジオでした。

 残念ながら昨年後半からは近来いちばんの低体温状態だったので、今朝も「そうだ年度末金曜だし何かサプライズあるかな?」と途中から視聴。

 何が笑ったって、有働由美子アナがすでに声シャガシャガなのね。理由は聞きもらしましたが、どうも、昨夜、軽くプレ打ち上げみたいのがあって、酒豪の有働さんとしては活躍過剰だったらしい。新年度からのMC近江友里恵アナと博多華丸・大吉さんも加わり、テーマも『年度替わりもろもろ引継ぎの極意』で、情報番組内の情報セルフサービスみたいにうまいことまとめました。

 後任の一郭が華丸・大吉さんとの情報はだいぶ前に流れていたし、月河は『爆笑オンエアバトル』常連だった頃からこのコンビは好きでも嫌いでもない(どっちかに傾きそうになると“博多ローカル”というレーゾンデートルのあるコンビだし・・ってことで自分内で放免されてしまう)ので、新年度あさイチも「この人たちになったから改めて見てみよう」とも「コイツらならますます見る気しなくなった」とも思いません。たぶん今後も八割がた朝ドラ次第でどっちにもなるでしょう。

 ただ、NHK総合の、娯楽を主体としない“まじめな”情報番組でも、当たり前のようにお笑い芸人さんがレギュラーMCをつとめることに誰も疑問を持たない時代になったんだなぁという、感慨のようなものはあります。NHKに限らず、娯楽に甘々な民放各局でさえも、情報番組においては、少なくとも昭和50年代ぐらいまでは芸人さんが出演するとしたら“ゲスト”、あるいは“取材対象”でした。笑いという“娯楽”を提供することを生業とする芸人が、中立を旨としなければならない番組メインMCの側に立つというのは、反則でもあるし、生業を封印することですからある意味、ご当人たちにとっても客(=視聴者)にとってももったいない話でもある。

 今般卒業したほうの井ノ原さんにしても、言わずと知れた大手どころのアイドルグループメンバーで、歌って踊って演技して、やはり“娯楽”“おもしろおかしいこと”を提供する仕事の人でした。

 もう、“おもしろおかしい必要はない”番組の、おもしろおかしい必要のない役回りのポジションに、何の恩着せもスペシャル感もなく“おもしろおかしさのプロ”が、レギュラーで毎日顔を出し声を出すことがまかり通る世の中になったんですね。華大さんだけではない、有働アナの後輩の近江アナ辺りすら、本来なら“おもしろおかしさの必要性”からいちばん遠いところにいるはずのNHK社員アナウンサーでありながら、すでにヴィジュアルや話し方、声質、キャラも含めてアイドル目線で消費されています。

 これはもう時計を逆回しにするのは不可能でしょう。昔なら盆と正月が一緒に来たような“おもしろおかしさ”の飽食、大安売りの時代に、私たちは暮らしている。

 慣れは鈍感を招きます。必要のないところにまでおもしろおかしさが満ち満ちていることに鈍感になれば、人間はもっと過激な、露骨なおもしろおかしさを求めてやまなくなります。逆に、おもしろおかしい必要のないところが、必要のない通りにおもしろおかしくなかったら、まるで必要なものがなかったかのように、「おもしろおかしくなかった、つまんねえ」と罵倒するでしょう。

 アイドルとベテランアナのコンビが卒業して、お笑いコンビとアイドルっぽいアナが引継ぎ。ほかならぬNHKの情報番組だけに、かえってあからさまに時代を映し出す鏡になりました。昨日今日始まった時代ではないですけどね。

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森友もろとも ~まず土に問うてみよ~

2018-03-28 15:20:08 | ニュース

 たぶんこんな風に終始するんだろうな、と大方が思った風に本当に終始してしまいました、佐川宣寿元・国税庁長官の国会証人喚問です。

 結局、得した人はいたのか?という時間の使い方です。何より、佐川を呼べ佐川を呼べとついこの間まで息巻いていた議員諸先生方が、一問一答でひとつも状況をコントロールできなかったのがいちばん時間のムダ感を増幅させました。

 将棋じゃないけれど、こう訊けばこう答えるだろうから次にこっちを訊こう、答えの中にこれこれのワードがあったらこう訊き、なければこっちの角度から・・と、少なくとも三~四手は先を読んで、想定できる答えとそれに対する反攻質問の選択肢をさらに三~四パターンは用意して頭に叩き込んだ上で質問に臨んでいるなという良き緊張感がほとんど伝わってこなかった。

 さすがに午前中三時間、午後四時間テレビに釘付けというわけにはいかないので、ポケットラジオで音声だけ拾っていましたが、さすがに最後のほうの質問者残り三人ぐらいになると声に張りが無くなっていましたね佐川さん。委員会答弁のときはいちいち挙手して答弁者席まで歩いてきていたと思いましたが、昨日は座りっぱなしだったのかな。腰が痛そう。

 この件、財務大臣が辞めるべきだ更迭すべきだ、いや内閣総辞職だという所謂政局事案ではなく、虚心坦懐に「なんで本来9億円の国有地が、いち学校法人に8億円も値引きされて払い下げられたんだ」「なんで大勢の政治家や現職総理夫人の固有名詞がずらずら公文書に記載されて、ある時点を境に一斉に削除されて、記載されたことも削除されたことも隠蔽されてきたんだ」という疑問に迫る気が、与党でも野党でもマスコミ媒体でも本気であるのだったら、どうでしょう、月河の所感ですが、“土地に訊いてみる”のがいちばんではないでしょうか。

 絵画や彫刻、刀剣や陶磁器などの美術工芸品の真価を問うとき、“来歴”を調べるという作業が一丁目一番地です。何年に誰がどこで制作したのか、誰のために制作し誰が買ってどこに収蔵されたのか。古くはたいてい時の王、君主や王侯貴族、近世近代ならブルジョア、あるいはキリスト教会、修道会、寺院。注文して入手したクライアントがそのままの地位と場所で保管し現代に至った例は稀で、戦争や天災、革命による政権交代や経済変動でもともとの持ち主の手を離れて転々とすることが多いのですが、“この世に二つと同じ物がないオリジナル”という動かぬ軸を唯一の手掛かりに、戸籍をたどるようにして、いま手元にある作品の現在から、作品がこの世に誕生した時点までをトレースすることで“ナンボの価値のある物か”を明確にしていくわけです。

 今回の物件は作品ではありません。旅客機や軍用機や潜水艦などの工業製品でもありません。土地です。日本の地面の一隅です。絵画や刀剣の様に転々とはしません。“不動”ってくらいですから。当たり前か。こんな騒ぎが起きるずーーーっと前からそこにあったのです。

 大阪・豊中市の地理はわかりませんが何度かの報道画面で見る限り人跡未踏の山野ではなく結構な市街地で、近隣に高速道路も通りその向こう側は住宅地とのこと。小学校開校したら生徒さんがちゃんとかよってこられそうな、人間の生活感のある立地のようです。

 日本にずっとあって人が暮らし家族を持ち、生計を立ててきた地面の一郭なら、人とともにあった“歴史”“来歴”を持っているはずです。いまも脈々と続いているはずです。税法上の所有権の移転の追尾という意味だけではなく、いつごろ開墾されいつごろどんな形で人間との関わり、人間が築いた村落や自治体、国家との関わりを持つようになってきたのか。農耕地だったのか。どんな作付けがされてきたのか。耕す人々はどんな暮らしをしてきたのか。豊かだったのか食うや食わずだったのか。収穫物はどんな主体に徴税されていたのか。

 地中何メートルの深さにどれくらいのゴミが埋まっていて撤去に幾らかかるとか、そんな表層的な事に拘泥していては何も解明できないと思います。なんならそのゴミの内容を分析してみることも必要です。新しいゴミなのか古いゴミなのか。無機物か有機物か。

 まずは無心に“土地の履歴書”をひもとき、土地の語る物語に耳を傾けてはどうでしょうか。それによって9億円だ1億円だという抽象的な金額にも具体性と立体感が出て、妥当なのかそうでないのかの座標も鮮明になってくるだろうし、売られる買われる貸し付けるの取引の正当性、或いは不当性も明らかになってくるのではないかと思います。まずは皆さん、政治家の名前や夫人の名前や、内閣支持率、政党支持率等々はコッチに置いといて、打算や予断を取り払っていったんクチを閉じて、静かにくだんの土地そのものに答えを見出すべく努めてみては。

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総理夫人喚問~ゴールは動くよどこまでも~

2018-03-22 21:43:54 | ニュース

 安倍総理夫人昭恵さんの国会招致は果たして実現するのでしょうかね。佐川宣寿前・国税庁長官を呼んだところでどうせのらりくらりとかわされるだけだろうし、結局は昭恵夫人に御出座願わないと忌憚のないところは明らかにならないだろうと、佐川さん喚問の可能性が報道される前から一部ではささやかれているようです。

 昨年2月からのこの問題に関する媒体での報道をある程度追尾している人なら容易に察しがつく通り、野党の諸先生方はだいぶ前の時点で“国民の誰もが腑に落ちる真相の解明”など鐚一文求めていません。ましてや“こうした事案を出来させたシステム上・携わる人間の意識上の欠陥や問題点の洗い出しと再発防止策の策定”なんてこたあ夢にも考えず、脳裏をよぎってすらいません。

 真逆に“どれだけわけわからないか、どれだけ納得がいかないかを白日の下にさらし、「納得いかないぞ」「胡散臭いぞ」「国民をバカにしてるぞ」という苛立ち、怒りの声が囂々と上がる状態を一日でも、一時間でも長引かせること”、これが彼らの唯一無二の目的です。

 一日どころか一刻も早く火を鎮めたい政府与党が防戦一方で、野党がいまこそ、いまのうちにとばかり攻勢を強めるこうした地合いの中に昭恵夫人を引っ張り出したところで、“イタい人のイタさ”“香ばしい人の香ばしさ”を晒し者にしていたぶる快感を、媒体を通じて一般国民皆で分け合うという不毛に終始するだけの様な気がするのですがね。何か前に進むのかな。誰か得する、というか勝算ある人いるのかな。

 野党の諸先生方にしてもどこまで本気なんでしょうか。この手の国会喚問の証人席に、官僚であれ政治家であれ、会社役員なりの民間人であれ、女性の証人が座ったところを寡聞にして月河は知りません。ましてや昭恵夫人は内閣総理大臣の奥さんだというだけで(“私人”か“公人”かは意見が分かれますが)ドのつく民間人で、しかも一連の報道以前に、総理の外遊に手をつないで同伴するお姿など見るにつけても、お嬢さんがそのまんま奥さんになりオバさんになったようなキャラクターの人です。野党の荒くれ揃いの代議士たちが入れ代わり立ち代わり“ドシロウトの女”を詰問して、どうなんだ本当のことを話せと責める図を、全国に流したいと本気で思っているでしょうか。それで野党のイメージが飛躍的に上がり胸がすくな頼りになるな次の政権を任せたいなと思ってもらえて支持率が上昇する次の選挙に勝てると、本気で考えているのでしょうか。

 どうでしょう、せいぜい贔屓目にというかポジティヴに見ても、「こんなド天然じゃ、籠池みたいな山師につけこまれても仕方がない」程度の得心の行き方で終わるのではないでしょうか。本当に誰が喜ぶのかな。

 それにしても安倍総理は、佐川さんの次か次の次かに昭恵夫人の喚問に応じないと、いつまでたっても「隠蔽している」「出てきて喋られるとまずいことがあるから応じないんだろうそうだろう」とねちねち責められ続け、応じたら応じたで「自分の申し開きや保身のために奥さんを矢面に立たせるなさけないダンナ」のレッテルを貼られる。引くも地獄進むも地獄。立ち止まるも蟻地獄。さらさらスルスルと足元が崩れ砂の中に沈んで行く。領土問題や拉致問題よりしんどい話になってきました。

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今日もお佐川せします ~小よく大を制す

2018-03-18 20:23:02 | ニュース

 そんなわけで間もなく国会招致に応じざるを得なくなりそうな佐川宣寿前国税庁長官、というより元・財務省理財局長ですが、野党の皆さんは“刑事訴追の恐れバリアー”で逃げられない、鋭く巧緻な質問計画をちゃんと練っているでしょうか。

 月河がこの佐川と言う人を報道で見ていて、まず衆目の一致する俊英の能吏であるという評価、また改竄動機や指示命令系統の際どいところを赤裸々に語ってくれるかどうかという問題とは別に、鮮明に印象づけられた特徴がひとつあります。

 この人は低身長です。もちろん俳優やアイドルじゃないので財務省のウェブを見てもプロフィールに載ってたりはしませんが、先週の辞任会見でぎっしり詰めかけた記者団の前に、後ろに何人か従えて(というより、つきまとわれて)歩いて出て来る場面を見て初めてわかりました。並みはずれてと言っていいくらい小柄です。最近TVで顔出し報道されたいろいろな組織のトップ級の一般人の中では、東京電力の廣瀬直己前社長・現副会長と並ぶ、あるいは上回る(“下回る”?)低身長ではないでしょうか。記者団から回り番に発せられるありきたりな質問に、絶対言質を与えないぞという勢いでことさら事務的にちゃっちゃと答えるたびに、沿道のビルの三階ぐらいの看板を「あそこだっけ?」と見上げるかのように小首をかしげて上目遣いになるのが実に印象的でした。

 小さいにつけ大きいにつけその他につけ、“規格外の体格”が、人間形成に微塵も影響を与えなかった例を、月河は知りません。特に他人から言葉でからかわれたりあてこすられたりせずとも、日常の細かい不便、不都合、普通体型の級友や家族が何の苦も無くできる動作が自分にはできない、できるが苦痛を伴い努力を必要とするという体験の絶えざる積み重ねは、確実に人格の或る部分に影を落とし変形させます。

 佐川さん1957年(昭和32年)生まれ、月河よりちょっと先輩ですが、月河がピカピカの小学一年生の時この人も小学生で、月河が中学に入ったときこの人も中学生で、地域や家庭環境や学業成績のレベルは違えど同じ日本の同じ空気を吸い、同じニュースを見聞し同じ流行を体感して青春を過ごし大人の階段を上ってきたはずです。

 数ある身体的特徴項目の中でも、低身長は、男子におけると女子におけるとでは大幅に意味や重さが違います。成人男性としての歳月の大半、目上からも目下からも、親しい人からも通りすがりの人からも、好感持ってる人からも憎たらしい奴からも、とにかく会う人会う人のほとんど全員から“見下ろされる”人生、自分から話しかけるときに“見上げざるを得ない”人生だった佐川さんには、必ずやそのことによって形成された人格の凝固部分が存在するはずです。

 月河が想像するに、この人の人生のテーマは「何が何でも気(け)おされないこと」ではないでしょうか。相撲の親方が新弟子に教えるように「とにかく引くな、圧倒されるな」と自分を鼓舞し続けていなければ、物理的に踏み潰されたり吹き飛ばされたり無視されたりして終わりですから。昨年の予算委員会でのあの圧倒的ゴリゴリ強腰答弁も、何かよほど不動の根拠があったからというより、この人の“負けてない、劣勢を受け入れない”に凝り固まったキャラから自然と出てきたものではないでしょうか。忖度があったにせよなかったにせよ、いっそもっと露骨な圧力があったにせよなかったにせよ、この人は政治家に対応するときにも、“負けてると見せない、負けてないぞオレ・・・”と、呪文のように腹の中で唱えて向き合ったに違いない。

 (ここまで来ると完全に月河の妄想ですが、こういう人がたとえば安倍総理や麻生財務相らの意向を下から仰ぐように忖度して何かするというのはいかにもそぐわない。決裁するにせよ改竄するにせよ、それらを部下に指示するにせよ「ケッ」もしくは「これでも食らえ」という気分でやりきったように思うのですが)

 ともあれこういう人に国会質問で切り込むには野党の皆さん、普通に考えて、佐川さんが対峙し慣れている“本人より高身長”の質問者を並べても無駄です。何の圧力にもならない。“売り手市場”の喚問になってしまう。

 逆に彼が「勝手が違う、喋りづらくてしょうがない」と思うような、そうです、ご本人より低身長メンバーをぶつけて攻めるべきです。横綱大関でも、的(まと)が小っさい分、小兵の嘉風や宇良、往年の舞の海に苦戦するのです。大きい連中と向き合って心理的に圧倒されないことを肝に銘じて官僚人生歩んできた人には、小兵こそ最大の攻撃効果を出すはず。居るのか。居るでしょう。さぁ全員集合。身長順に前へならえ。こういう時に鈴木宗男さんも山口敏夫さんも居られないのは惜しいなぁ。

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毎度お佐川せします ~忖度そして紙の防潮堤~

2018-03-17 18:59:13 | ニュース

 結局、佐川宣寿前国税庁長官の国会招致は避けられないようです。与党側もこれ以上野党に突っ張られて国会空転が続いては各地元選挙区の有権者に顔向けがならないでしょうし、政府官邸側としても何処かで、致命傷にならない程度にボロ出しておかないとおさまりがつかないぞとハラをくくったのでしょうね。

 どうせ要所で「刑事訴追の可能性があるのでオコタエは控えさせて云々」でズル抜けられるに決まっている喚問質疑を足掛かりとして野党は一気に内閣総辞職まで持って行きたい目論見のようですが、あのロッキード疑獄事件を高校時代にリアルタイムで見た比較からすると、もしもこんな事案で瓦解退陣するとしたら日本の政権、というか“権力”と称されるもの全般が、どえらく軽く、緩くなったものだと思います。

 権力中枢の何処も、何をも利しない、誰のフトコロもぬくくならない、誰も高笑いしない、言うなれば「クチが滑っただけ」で王様の馬も家来も総がかり、決裁文書十四件数十枚を切ったり塗ったり削ったり大騒ぎ、それでも誰も元には戻せない。この話題を連日放送するTV報道番組の解説者コメンテーター席の後ろに、書き替え文書のコピーを一枚ずつパネルにして並べて、震災後再建された防潮堤かと思う高さになっているのを一再ならず見ました。

 日本でいちばん俊秀人材が結集すると言われている中央官庁の中の中央官庁=財務省のお役人たちが、なぜ寄ってたかって一年以上にもわたって改竄文書で防潮堤を築くような愚行に汗をかいたのか。露見すれば懲戒どころか刑事事件容疑で手錠をかけられるに決まっている行為に、どんな料簡で、何を怖れ、誰を慮って手を染めたのか。たぶん佐川さんひとりに証言要求しても明らかになることはないと思いますが、“誰もが最短距離で容易に推測できる動機”が、こんな場合案外いちばん真実に近いものです。ああでもないこうでもないと複雑にこねくり回して、迂回して考えないで、単純に考えればいいのです。要は、“官僚と言えば組織”、“組織と言えば上下関係”です。動機は上から来たのです。下から望んで、願って行うことではありません。願っても通りません。組織だから。

 野党追及の本丸と目される安倍晋三総理に対しては、“忖度(そんたく)”という単語がたびたび取り沙汰されるようになった昨年の浅い時点から、月河は正直お気の毒に思っています。「この(土地払い下げの)件に、私でも妻でも関与しているというようなことがあれば、これはもう私は総理も国会議員も辞めなければならない、これだけははっきり申し上げさせていただく」と昨年2月17日に予算委員会で啖呵切ったとき、安倍さんは本当に、心の底から「関与なんか鐚一文してない」という絶対の自信があったのです。「してた」ではなく「してない」証明は悪魔の証明になるということは百も承知で、「私が関与“していた”と言うならそれはアナタ(=野党)が証明してくださいよ、証明する責任はアナタ方にあるでしょう、そうでしょう」と本気で思っていたのです。

 安倍晋三さんは言わずと知れた第五十六・五十七代内閣総理大臣岸信介さんの孫で、第六十一~六十三代内閣総理大臣佐藤栄作さんの大甥(岸さんの弟が栄作さん)です。父上の安倍晋太郎さんの夫人(=晋三さんの母)が岸さんの長女洋子さん、晋太郎さんは総理総裁目前で病死されましたが官房長官や外務大臣等重要閣僚のほか自民党三役も歴任しました。

 こんな生まれ育ちの晋三さんがポンと目の前にいたら、ご本人が何の依頼も口利きもしてないつもりでも、そこらじゅう忖度と気遣(づか)いの海です。洪水です。床上浸水まで行かなくても、床下は人知れずずぶずぶです。この人が何か発言した、声を発した、顔をアッチに向けたコッチに向けただけで、何十人もの忖度光線が飛び交います。そういう環境で当たり前に空気を吸って吐いて、寝たり起きたり動いたり学校に行ったりして、何十年も暮らして大人になってきた人なのです。

 この人の「関与してない」は、普通一般人の「関与してない」とは標高が違う。座標が違う。ものすごく忖度気圧、気づかい気圧が日常的に高い環境を“当たり前”としてこの人は育ってきて今日に至るのです。あまりにも当たり前であるために、忖度の気圧変化、濃度変化に、普通一般人には想像つかないほどに鈍感で、あえて申し上げれば無神経なのです。

 「名誉校長に私の妻の名前があったからといって、(水戸黄門の)印籠みたいに“恐れ入りました”となるわけがない」と断言されたとき、普通一般人の視聴者の大半が「なるんだよ」とツッコんだと思いますが、この人の感覚では「なるわけがない」のです。印籠は「控えい控えい、これが目に入らぬか」と振りかざさなければならないのに、ボクも奥さんも振りかざしてないんだから、と、この人は本気で思っている。印籠など振りかざさなくても、ちらとも見せなくても、自分がそこに立っているだけで、あるいは「安倍晋三夫人昭恵さんです」と紹介されただけで、普通一般人なら呼吸が困難になるくらいの風圧と酸素濃度で“忖度”が交錯することに、この人は意識を持っていない。知覚していない。それくらいの風圧も酸素濃度も、物心ついた頃から当たり前だったからです。

 喩えがどうかと思いますが個人家庭の生活臭と一緒です。年中その中で起居していると、煙草やら料理やらゴミやら部屋干し洗濯物やらの匂いが積み重なった、外部の他人がいきなり入室するとウッとなるレベルの臭いが充満していても住人の家族は誰も気づかないのです。

 この人が何の意識もなく普通に過ごし、その都度成功したり頓挫したりしながら経験を積み上げてきたつもりの世界も、普通一般人の座標に翻訳すれば途方もなく大勢の忖度や気づかいや、汗や冷や汗、時には深謀遠慮に、陰に陽に支えられて通り抜けてきたに違いありません。

 別に安倍晋三さんの生まれ育ちがこんなんだから大目に見てあげようよとは言いません。しかしこの件で安倍さんの責任をどうこう言うなら、そういう生まれ育ちであるとはっきりしている人を総理に押し上げた普通一般有権者にも、ひとり一票分の責任はあるということになりませんか。

 議席の世襲の弊害がたびたび言われますが、人の能力識見、人となりなんて本当にわからないものです。大企業の人事採用専門のベテランが応募書類を厳選し透徹した目で面接したって、本当の有為な人材を選抜するのは難しい。ましてや人を比較選別したことなんかない一般有権者が、美味しいことばっかり言う候補者たちの中から何を基準に選んだらいいのかとなったら、「お父さんが、お祖父さんが立派な政治家だったから、その直系ならそれなりの育ちをしているだろう、DNAを受け継いでいるだろう」ぐらいしかありません。さもなければTVにしょっちゅう出て面白い事を言っているからとか。

 安倍晋三さんが自民党総裁になり総理になったとき、普通一般の有権者たちは確かにこの人の血筋、毛並みの良さ、お祖父さんや大叔父さんやお父さんを思い出させる風貌に好感を持ったのです。国のためにいい仕事をしてくれそうな感じを抱いた人が多かったのです。

 だからいまになって一方的に「関与していないと言い張ったって、忖度に忖度を呼んで役人が大勢で文書改竄して糊塗しなきゃならない状況に追い込んだんだから責任ある絶対責任ある総辞職だ」と言いつのる野党の言辞には、それでいいの?とどうしても思ってしまう。

 静かに忖度されることを空気の様に呼吸して生きてきた人、そういう環境で人格形成してきた人“だからこそ”期待したのに、今度は「その忖度を以てアウト宣告」という論法に乗って「そうだそうだ」と言うのはフェアではないような気がする。言葉は悪いけど、自作自演じゃないですか、有権者の。誰も何も慮らない、忖度を呼ばない、着のみ着のままポッと出の人が良いと思ったら、そういう人をシンデレラよろしくスポットあてて担ぎ上げればよかったのです。

 最新型の旅客機購入をめぐり億のカネが複数の政府高官間を往来したロッキードに比べたら、そりゃ9億円の土地が1億に値引きされたんだから差し引き8億掠め取られてるじゃんと言えば確かにそうですが、所詮は「クチがすべっただけ」、もっと言えば「存在(価値)が独り歩きしただけ」です。こんなんで政権が揺らぐ、転覆するとなったら、それはこの国の憲政史上、後世の範となり得る良き前例になるのか、はたまたこっ恥ずかしい悪しき前例になるのか。

 しかし、もしこの件で安倍さんが退陣を余儀なくされるとしたら、それもそれで仕方がないかなとも思います。祖父~祖父の弟~父と続いた血脈が、この人を総理の地位に招き寄せたとしたら、家族の中で唯一“血脈”の繋がらないメンバーである“夫人”の交友関係から蟻の一穴が穿たれ、その地位を失う。ある意味、理に適っているかもしれないと。

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