イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

ミルクボーイ新ネタ(←嘘)、もしくは虎つながり

2019-12-27 20:30:58 | ニュース

「どもー、どもっミルクボーイですよろしくお願いいたしますー、ありがとうございますっ、いまね、とんかつソースを戴きましたけどもねー、ありがとうございますっ、こんなんなんぼあってもいいですからねー」

「ほんまありがたいですねー、ところでうちのお母んがですね」

「わからへんのがあるんでしょ」

「そやねん」

「そうや思うたわー、何がわからへんのよ」

「好きなお菓子があるらしいんけどな、名前をちょっと忘れたらしくて、いろいろ訊くんやけど」

「ほなボクがお母んの好きなお菓子、一緒に考えてあげるから、どんな特徴があるか教えてみてよ」

「お母んの言うにはね、和菓子で、ひらがなで“と ら や”って印刷した袋に入ってるんやて」

「おー、羊羹やな。それは羊羹や。羊羹以外の何ものでもないな。昔から、“とらや”と言えば羊羹、羊羹と言えば“とらや”や。“とらや”て印刷した袋に、羊羹以外のものが入っとったら、99.99パーセント、袋の再利用やからね。お母んの好きなお菓子は羊羹や」

「オレも羊羹やと思たんやけど、お母んの言うには、その“とらや”の袋に入ったお菓子は、中国の人らぁが“どうぞ”て持ってきたんやて」

「ほな羊羹と違うなー。中国の人らぁがお菓子ですよ言うて持って来るいうたら、マンゴープリンか杏仁豆腐やもんな。百歩譲ってタピオカや。ほんでな、中国では“羊羹”言うたらお菓子ではないんやて。知っとった?中国では、羊(ひつじ)の羹(あつもの)、ヒツジのダシのスープのことをヨウカン言うんやて。中国の人らぁがわざわざ来てな、こないな恰好で“ヨウカンモッテキタアルヨ~”言うて出してくるんは、ヒツジのダシのスープや

「熱っつあつやね。お菓子とちゃうな」

「そうや。もうちょっとお母ん何か言うてなかったか」

「お母んの言うにはな、誰ぞエラい人に、ものを頼んで“よろしゅうお願いします”言うときにあげるもんやて」

「羊羹やないかー。エラい人に“よろしゅう”頼むときにあげるお菓子の定番中の定番言うたら羊羹をおいてほかにないでー。考えてみ、エラい人に“よろしゅう”言うてイチゴショートあげたら、よろしゅうする前にイチゴが黒ずんでまうやろ」

「活きが下がりやすいわな、なまもんやし」

「もっと考えてみい、エラい人に“よろしゅう”言うて最中(もなか)あげたとする、“おー最中もろたな、ほなよろしゅうしてやろか”て一口食べたら、上あごに皮がぜんぶ持ってかれて、皮に気を取られて何をよろしゅうしてやったらええのんか忘れてまうやろ。ここは羊羹や。お母んの好きなお菓子は羊羹しかないて」。

「オレも羊羹や思うんやけどな、お母んの言うには、袋の中に一緒に、福沢諭吉さんが300枚入っとったんやて」

「・・・それは羊羹ではないな!福沢諭吉さんが300枚入っとったら、福沢諭吉さんの圧倒的な存在感におされて、羊羹、影うすうなるやん。君、福沢諭吉さん300枚て見たことある?」

「記憶ないなぁ」

「そやろ。考えてみ、かりに、ここに福沢諭吉さんが10枚あったとしてもな、あたりを圧するオーラ出るやん。“あぁボクらには手の届かない世界や”て引くやろ。それが300枚やで。羊羹の存在感なんか木っ端みじんになって、もとのアズキと寒天に戻るかもしれへんで。それは羊羹ちゃうな。もうちょっと何か言うてなかった?」

「お母んの言うには、エラい人がもろうたら、“絶対羊羹でした”って言い張るんやて」

「ほな羊羹やないか!エラい人が羊羹や言うたらどこまで行っても羊羹やん、それは羊羹やて」

「そやろ、オレも羊羹やろ言うたんやけどな、お母んは“羊羹ではない”言うねん」

「それやったら羊羹ちゃうやないか!それ先に言えよ!オレが中国の人になって“ヨウカンモッテキタアルヨ~”言うのをどない思うてたん」

「申し訳ない」

「ほんまにわかれへんがな!どないなっとんねん」

「お父んが言うにはな、それ賄賂やて」

「全然ちゃうやないか、特捜に通報せな、もうええわ、ありがとうございました~」

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女性宮家あるいはキヤノングローバル研究所、もしくは時を戻そう

2019-12-23 00:54:58 | お笑い

 令和になって代替わりに伴う諸行事が一段落してまたまた浮上してきたイシューがもう一つ、“女性宮家”アリかなしか?を書こうとしてはや一週間。

 いやもう一旦お休み、この話。いつでも書けるわ。

 M-1おもしろかったなぁ!オイ!M-1グランプリ2019(22日)、掛け値なし過去最高。

 有馬記念アーモンドアイとともに散った人もお元気ですか。生きていればこんなおもしろいこともあるさ。

「あれは自分の得意な項目だけで勝負しとるからやとにらんでる」

「生産者さんの顔が浮かばへん」

・・「もう誰かのせいにするのはやめにしよう」

 特にぺこぱ、優勝のミルクボーイ、1stラウンドも最終決戦も、ネタのいたる所ぜんぶオカズ。白ご飯見えない状態のイクラ丼状態。

 からし蓮根オズワルドもおもしろかった。和牛も一部で「期待し過ぎたか?」と言われていますが期待分のハードルは余裕で越えてた。ただここまですでに準優勝3回で、キャラ・芸風ともに好き嫌いというか、好かれ嫌われが或る程度かたまった中での新ネタ演りというのが、今年の顔ぶれに入ると思った以上にきつかったと思う。

 女性宮家に関しては今日はこれだけ言っとく。“女性宮家”、このネーミングは好きではないです。短期間ですっかり定着した“あおり運転”とか“無断キャンセル”と同じで、内実が抱える問題の体温に比べて、言葉が無機質すぎる。安易だし、なんか皇室に対するリスペクトが感じられない。

 それに字ヅラがどうもね。女性宮家、女性宮家・・ってじっと見てると、国際政治の話題でよくコメンテーターをしてる、外務省OBでキヤノングローバル研究所研究主幹の宮家邦彦さん、あの宮家さんがさ、女性化したヴィジュアルが浮かんできませんか。フッサフサになって、たてロールで、ピンク系リップで「うふッ」みたいな。女性宮家。・・・・・おかしいかな。

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女性・女系の是非 ~血よりも重い思い~

2019-12-15 23:24:21 | 世相

 新天皇陛下御即位のセレモニーが一段落して、頃合いをうかがっていたようにまたまた俎上にのぼってきたもう一つのテーマが“女性天皇・女系天皇の可能性”です。

 新天皇陛下の実子はいまのところ女子である愛子内親王おひとりですから、次期天皇=皇嗣(こうし)は五つ年下の弟君・秋篠宮殿下、続いてそのご長男悠仁親王、さらには一世代戻って、上皇陛下の弟君常陸宮殿下、という皇位継承順になりますが、さてその先がいない。

 二代三代先まで継承候補者が途絶えることが無いよう、女性皇族、さらには女系(=お母さんの親ないし先祖が天皇)皇族まで継承順のパドックに加える制度にしてはどうか?「どう思う?」「ダメ?オッケ?」ってな具合に、政府は有識者集めて議論させたり、ときどき閣僚級に個人的所感をチラ言いさせたりして、国民世論の動向を探り、そこに合わせて落としどころを模索しているように見えます。是か非か互いに譲らぬ「国論を二分する」構図になる事だけは避けたく、国民の「どっちかといえばこっちかな」を掴んで、そちらのほうにじんわり誘導して、頃合いを見て全体をまとめて着地、とさせたいのでしょう。 

 月河に言わせれば、日本という国のシンボル=象徴の継承をどうするかという、国にとって根源的な問題が、そこらの選挙民がよく考えもしないで投票したらなんでか当選しちゃったみたいな国会議員、なんでか大臣任命されちゃったみたいな大臣閣僚のわちゃわちゃガヤガヤで論考される自体、どうにも僭越な気がしてしっくりこないのですが、まぁ、誰も何も論じず考えずの放置プレイで、後継者が途絶えるに任せるよりはマシだと思うことにしましょう。

 さて、いまさらですが皇位継承において大事なのは、“誰”と“誰々”を継承可能の順に組み入れるか、ではなく、“何”を継承するかです。

 煎じ詰めれば“魂”“時間”だと月河は思います。なんたって生きながらにして“象徴”なのです。自分は日本国の象徴であり、日本が日本としてまとまって存在し存続していくことのシンボルであるという自覚を日々持ち続け、たゆまず国を思い、国の歴史に思いをいたし、国の未来を考え、国民の安らかな生活と希望のある未来を願う。戦争の惨禍、平和の価値、現在および将来における日本の立場やあるべき姿を思索し、よそ見せず邪念を持たずひたすらに祈念し続ける、この精神こそが天皇という地位の本質です。どんな博学者や聖人でもできない、天皇しか持ち得ない精神の様態です。これを伝承、継承せずして何の皇位でしょうか。

 逆に言えば、この“魂”さえ十全に継承できれば、男系だの女系だのはまったくどうでもよろしいと月河は思います。極論すれば皇統と鐚一文係累のない赤の他人だって少しも構わないとさえ思います。

 同列に論じるのは不謹慎かもしれませんが(この記事を書き始めた時点でコレ相当不謹慎になるぞという自覚はあるので、ここまできたら押し通します)、歌舞伎、能狂言、邦楽音曲、古典落語など、世襲を前提とした伝統芸能の世界にも“芸養子”という習慣があります。幼い頃から内弟子として日常の起居、箸の上げ下ろしまで細やかにして厳しい指導をし修練を重ねて“芸”の本質から末節に至るまで教え尽くし習い尽くせば、血縁はなくとももう実子同様に名跡を譲ったり継がせたりしても構わないし周囲も認めます。継ぐべきは“芸”、芸を保存し、質を維持し、発展させ次代につなげることが継承の目的であって、血縁それ自体が本質ではないからです。

 皇室、皇統が継ぐべきもの、伝統芸能における“芸”に相当するものは、国を思い国民の幸福を祈る“魂”にほかなりません。再び逆に言えば、この“魂”をとことん教え込み、習い覚え、日々刻々考え抜き祈り通すという修練、作業ができていないならば、男系だろうが女系だろうが、血縁血縁、直系直系、○○天皇から数えて何代めとなんぼ強調したところで、皇位継承者候補としては要らない子です。

 「チョット待て、それにしても、赤の他人でもいいは言い過ぎじゃないか」「“血は水よりも濃し”って言うぞ」と、ここまで読んで(読んでる人いるのか)ヤキモキされている皆様、ご安心召されよ。

 ここにもうひとつの不可欠要素=“時間”の存在意義があるのです。“魂”の伝承が思い残すところなく存分におこなわれたか、自他ともに検証し得る最もシンプルで説得力ある条件こそ“時間”つまりは何年、ともに暮らし、同じ卓で食事をし、同じ情景を見て互いの所感を共有し合い、同じものを見て笑い同じ書物を読んで涙し、同じ部屋の空気を吸いながら思索と共感を誘い導き、導かれ合って来たかの積み重ねなのです。

 要するに、家族として同じ“時間”をどれだけ共有してきたかです。

 “魂”の伝承にどれだけの“時間”が注ぎ込まれたかを、最も良く、わかりやすく保証してくれるのが“家族”です。思想や思考、精神のありようを教育指導し鍛錬することを目標とする他の主体、たとえば学校や教室やセミナー、あるいは宗教団体、政治イデオロギー団体などでは、いくら頑張っても、偉そうに広報宣伝しても、“家族”の教育力、伝承力にかなわない。物心つく前からずっと、あるいはいっそオギャーと産声を上げる前からの、親たち、祖父母たち、年長親族たちの希望、期待という形で重層されてきた“時間”の総量には到底およばないからです。

 私たちが皇位継承を考えるとき“血”“血統”を外して考えることができないのは、この圧倒的な“家族”の時間パワー、精神的熱量パワーに、いまなお全幅の信頼をおく人が多いからだと思います。「男系でなきゃ」「いや女系だって」と言い合いながらも、どちらの意見の人たちも本当にこだわって譲れないものは万世一系の神話でも、なんちゃら染色体でもない。国を思い国を考え国民のために祈る“魂”と、それを教えはぐくむために家族としてともに積み重ねた“時間”の継承です。

 女性天皇・女系天皇の是非も堂々と論じられ白黒つけられるべきではありますが、大切なのはどこまで行っても“魂”“時間”。この二つが、国民の頷けるかたち、モヤモヤと不足不満をのこさないかたちで継承し切れるものでなければ、“皇位の安定的継承”なんて、絵に描いた餅どころか、クソ食らえです。あー言っちゃった。

 女性・女系オッケーにして、あるいは何代も前に皇族から降りた中からひょっこり男系末裔探し出してきて、継承候補順位の列のアタマカズばっかり増やして「これで先行する順位のかたに、二~三人モシモのことがあっても、次が何人もいるから安心だ」なんてのはごめんだよ。国の象徴をなめるな、ってことです。

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眞子さまは結婚できるか ~KKに論じられない~

2019-12-03 15:48:19 | ニュース

 令和となり新天皇陛下即位にかかわる一連の儀式がひとまず終了したこともあり、11月30日が秋篠宮殿下五十四歳のお誕生日ということで設けられた恒例記者会見では、しばらく話題の最前線から遠ざかっていた眞子内親王のご結婚問題が、またもや浮上してきました。 

 婚約延期発表が昨年2月ですから、ぼつぼつどうなってるのか訊きたくてウズウズしてた向きには、格好の質問チャンスが訪れた!といったところで、気持ちはよくわかる。

 ただ、いま時期に秋篠宮殿下にコレ訊くのは、酷な気も。これ、現時点では長女=内親王の“婚約・結婚問題”ではなく、“娘と彼氏の恋愛問題”の域に、未だあるじゃないですか。

 一昨年5月だったか、“眞子さまにラブラブお相手”報道に始まる一連の流れで、秋篠宮パパ、もしくは紀子ママが主導した局面が一度もない。最初っから、“若い二人が、学校中心の、若い人たちだけの生活時間の中で出会って惹き合い惹かれ合っていった”延長での婚約話、将来の結婚話です。

 ここで、おもにNHK朝ドラ関連で何度か書いたのですが、“恋愛”“家族”は、本質的に利害が対立します。家族が大事で大事で命に代えても家族を守り幸せにしたい精神の人は恋愛体質にならないし、恋愛してもたいがい本人も相手も苦しみうまくいきません。逆に恋愛まっしぐら、恋愛成就両想いこそ人生の目的で恋愛していないと灰色に感じられるタイプの人は、どこかの時点で家族と、少なくとも精神の上では決別しなければならず、絶縁はしなくても疎遠をもって良しとする人生になります。

 「家族っていいね素晴らしいね」を謳い上げるのが最大使命であるNHK朝ドラで、ヒロインが恋愛しだすと一気に物語が嘘臭くなり精彩を欠くのはこのためです。恋しても輝くヒロインは、ほぼ例外なく“夢見た職業・職域での成長出世プロセス”か、“家族が信頼し祝福する、同じ地域社会の幼なじみ”から相手を見つけ両思いになり、多くは子をもうけ、自前で新しい家族を築いてその価値観に融け込んで充足していきます。

 いまの秋篠宮さまにとって、いちばん自ら状況コントロールしにくい、対外的に説明し所感を述べにくい話題が長女さんの件、になっていると思う。どんなご家庭でも、幼稚園~小学校低学年くらいまでは可愛くて可愛くて、パパだいちゅき~だった娘さんが、パパより手の込んだチョコをバレンタインに贈る男の子が外にできたあたりから、急坂を転がり落ちるように話しかけづらく、「学校最近どうだ」程度の質問さえしにくくなっていくものです。

 秋篠宮パパが「(長女と)結婚について話をする機会はありません」「最近ですと即位礼の一連の儀式については話をいたしました」とお答えくださったのは、良くぞ正直に・・と思い、ほとんど同情しました。いまの秋篠宮家では、長女さんの婚約結婚どうなんだという話は“触れると家の中の空気が妙になる”話題のリスト筆頭なはずで、家族全員いちばん避けたく思っているのが本音でしょう。伝統儀式の式次第や手順の様な、すでに昔から決まっていて誰も動かせない事柄を、決まった通りになぞって「これこれだね」「そうですね」と言いかわすのが唯一いちばん安泰な会話のタネ。

 こういう時期ってどんな家族にもあるんじゃないかなあ。聞き回ってみたわけじゃないけど。窓から空を見上げて歴然と曇っていれば「雨になるかもな」と言えばいいんだけど、それすら家族の誰かに「雨なんか降らないわよ」と言われそうで、それに続いて「雨になるから外出すんなって言いたいんでしょ、そうに決まってるんだから」とインネンつけられそうで言えないでシャーとカーテン閉めるみたいな。ありますよねぇ、そういう時期。お子さんがいればそれなり、思春期に踏み込んでいればさらにそれなり、子がいなければまたそれなり、舅姑もしくは嫁・婿と同居ならこれまたそれなりに。“家族”って、或る時は世界一息苦しい空間なんです。

 秋篠宮パパが勇躍コントロールできるようになるためには、すでに眞子さまと小室さん“だけ”で発祥したストーリーが長く続き、“だけ”で織り進まれ過ぎている。

 いまさらこんなこと言っても後出しになりますが、眞子内親王のように“この家族に生まれ、血を引き、この家族の一員であることが、存在価値のほぼすべて”である人に、本当の意味での恋愛と、恋愛発のゴールとしての結婚が可能なものかな?と懐疑的にならざるを得ません。いや、小室さんの将来進路がどうなるとか生活力がとか、お母さんの金銭トラブルがどうなのかということは、関係あるようで、あまり無い。

 どこかで秋篠宮パパが、紀子妃ママと、タッグを組んでも組まなくてもいいからなんらかの形でいっちょ噛んで行って、“家族主導で家族からスタートする”案件へとハンドルを切っていかないと、若い人同士の若い熱意と集中力・持続力にまかせていても、おさまるところにおさまらない気がするんですけどね。

 本来、恋愛に向かない生まれ育ちの人が、家族を振り切り有無を言わせないような“自分で見つけて自分で惚れた相手”と手に手をとりあって貫き通すていの恋愛結婚を、達成できるものかどうか。

 いや、ご両親じゃなくても、お祖父ちゃんお祖母ちゃんや、伯父さん伯母さんいとこさんでもいいんですけど。そういえば秋篠宮家ってファミリーの中でどこか全員異色で、容喙を快しとしない空気がありますよね。

 逆に言えば、全然価値観や生きる姿勢の違う庶民家族が敬して距離置いてくれず、簡単に接近して、食いつきに来られそうな隙がありありでもある。

 まぁ、思想信条の自由、恋愛を含めて心で思うことの自由は保障されている国なので、若い人同士でどうにか達成できてほしい・・・と思ったら、あの一族の皆さんには憲法で言う基本的人権は無いのでした。

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桜を吹雪にする会 ~散るときは一重なりけり~

2019-12-01 15:29:27 | 国際・政治

 令和元年も師走に突入しましたが、国会は最後くらい正常運転に戻るのでしょうか。“桜を見る会”の追及はまだ続くのでしょうか。はっきり言ってもううんざりです。最近はTVでこの話題を、めくりボード作ったりしてごちゃごちゃ言ってるのが映ると積極的にスイッチ切ります。出先のテレビで映っていたら待ち場所変えます。

 野党の皆さんは仕方がない。いつでも何政権でも、時の政権の落ち度、いたらない所いただけない所を探し出してあげつらうのが野党の仕事ですから。

 うんざりなのは政府与党のだらしなさ、騒動を決着させるについての無能無策っぷりです。

 だいたい、付き合いで招んだり招ばれたりする季節宴会なんてのは、油断してるとどんどん際限なく増えていくもんです。何も驚くこっちゃない。自慢できることじゃなく褒められたことでもない、えらいダサい話ですが、当たり前と言えば果てしなく当たり前です。もうまる7年近く政権やってるもんだもの。桜も七回見てるんです。

 そこらの中小企業の社長さん専務さんはもちろん、雇われの課長係長だって、或る年お世話になった人あの人この人に年賀状を出す。翌年「今年は昨年ほどお世話にならなかったから」って出さないわけにはいかないじゃないですか。さらに翌年「この一年電話の一本もかかってこなかったし今年はやめるか」と一瞬思っても「近況確認の意味だけでも出すだけ出すか」って結局出すじゃないですか。その年から新たにお近づきお世話になった人には、もちろん出すから、新旧合算すると単純に倍倍になります。

 こんなこと7回も続いたら、あっという間に百人が二百人に、二百人が五百人に、五百人が千人になります。ましてや国のトップです。「お世話になったわけじゃないけど、絵ヅラ的に賑やかになるから」なんつって芸能タレントなんかにまで声かけて行ったら、事務所つながり師弟舎弟つながり、さらにはご家族や実家の親戚まで雪だるま式に増えて行くに決まっています。

 反社だって、そりゃ来るだろうさ。中には。これまた褒められた話じゃないし開き直る話でもないけれど、一万八千何百人ですよ。人口一万人超えるか超えないかの田舎の自治体にだって、“地廻りの親分さん”は居るんです。映画に出てくるように子分引き連れてふんぞり返ってのして歩いてるじゃなく、一見普通のブルゾンやジャージ着て、特に愛想良くはないけど普通の顔して、地元のバイク店や理髪店、お寺や郵便局にまでちゃんと定期アイサツに回って目端を利かせている。まして、何度も言うけど、国のトップの主催する宴会です。出たくて出たくて、写真うつりたくてうつりたくてしょうがないはずです。何とかツテはないものかと思案投げ首、裏技横技使ってでも招待状手に入れようと腐心したはずです。よっぽど一件一件、一通一通に信用調査、係累調査裏取り、厳重にしてない限り、彼らの裏オモテの人脈力を駆使してこじ開けて紛れ込んでこられないはずがない。

 “ジャパンライフ”なんて肩書だったら、「生命保険会社の人かな」と思って入れちゃったスタッフがいたかも(さすがにいないかそんな与太郎は)。

 ・・・問題は、こうして7年でべらぼうに膨れ上がった招待客リストを、客観的に外から見て「なんぼなんでも招び過ぎじゃないか」「この人とこの人とこの人は、招ばないほうがいいぞ、ヤバいやつだぞ」と駄目出しストップかける働きが、内部から機能しなかったということ。これぞ“長期に同じトップが続くことによる驕り・緩み・たるみ・野放図”「去年もおととしもこれ式で通用したんだから、今年も通用するべ」と看過を繰り返し、誰も待ったをかけなかったわけで、この点はくっきりはっきり猛省して頭まるめるなり腹切るなりして出直さなければなりません。「次回から招待客選定にこういう規則を作って、総数総予算に天井かけます」「破ったら罰則も設けます」と大書墨書して明示していただかなければなりません。

 逆に言えば、それだけバシッとやって見せてくれれば、一日で決着するです。自分でやらないで、気のきかない、こんな仕事気が進まない感ありありの役人を矢面に立たせて時間稼ごうとするから、何週間も蒸し返されるし野党がつけ上がる。

 招待者名簿を出せと言われたら、出せばいい。上述のように、人数が多すぎ基準が甘すぎること、反社が紛れ込んでいることそれ自体は、何度も言いますが褒められたことじゃないけれど、ここまで続いた長期政権ならままあること、ありがちなことであって、「出せない」「データ復元できない」と逃げまわらなきゃならないほど性の悪いことではないと、月河は思っています。公私混同なんて、組織の上に立ったら、言っちゃ悪いがどんな有能で廉潔な人でも、多かれ少なかれやります。本人がやらなければ、組織なら側近がやる。個人なら家族親族がやる。いま追及糾弾に余念ない野党の諸先生方も、自分が政権に就いたら二年目からはこれ式の鬼でしょう。専制政治や特権階級の権益独占を糾弾したはずの共産主義者の皆さんが中国をどういう国にしたかを見れば一目瞭然です。

 誰を招んだ彼を招んだ幾ら国費をつかったではないのです。突っつかれて突っつかれてやおらしぶしぶ答える腰の引け方、「そうじゃなくてこうだよ」をみずから開示しない度胸のなさ、醜悪さこそが民心を離れさせていることに、なぜ気がつかないのか。

 むしろ耳をそろえてだね、黒塗り海苔弁なんかにせず「おうよ、出せ出せうるせえな、これでも食らえ」とばかりにバー―ンと出してやればいいんだよ。何をビクビクすることがあるのかと月河はそこに呆れます。悔しかったらこんな大勢のお客様が喜んで集まるくらいの長期安定政権うちたててみれぐらい言って、野党の心を折りにいけばいいじゃないですか。国政選挙6連勝ぐらいしてみさらせって。

 ・・・・・好感度ますます下がるかもしれないけど。

 しかも、日本がこんなことやってる数週間のあいだにも世界は大きく動いているわけです。

 北朝鮮はますます飛翔体飛ばしてるし、香港では一国二制度の引き攣れについに破綻が来て丸腰の一般民衆が決起しつつある。新疆ウイグル自治区で教育の名のもとに中国指導部が長年にわたりおこなってきた暴虐人権無視もすでに世界の知るところとなり批判が沸き起こっています。こんな中国に対し日本が習近平主席を本当に国賓招待するのか、両陛下に謁見を許すのか、世界の注目が集まる中、終わった花見の宴会の招待客何人集めた誰が入ってた、幾ら会費取った取らない差額どうした、客の名簿出せ出せないで国会が空転してるなんざぁ、こっ恥ずかしくて諸外国に顔向けがならないですよ。中曽根康弘大勲位が「改憲論議はどこ行ったんだ」って化けて出て法螺貝吹くよ、ムォ~~ッて。ご本人のやったことアレやコレやは棚に上げてさ。死んだ人はだいたい棚に上げるもんだし。

 安倍晋三総理は近年の総理大臣の中でも“仕事やってる感”があって、好きか嫌いかで言えば月河は好きな部類の総理ですが、肝心なところで意気地がないのはやっぱり“世襲戦隊ボンボンジャー”なんだなと改めて思います。あと一か月。令和初の年越し、すっきりいきたいじゃないですか。

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