イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

お茶も出せる ^^) _旦~~

2013-04-28 16:25:00 | デジタル・インターネット

 8(エイト)に乗り替わってから、ついついスタート画面のお色柄の張り替えにはまってしまい、ふと気がついて、はて、自分は何がやりたくてPCを起動したのだ?と考え直すことたびたび。 

 季節がらやはり地色は明るめがいいでしょうね。グリーンターコイズライトブルーの色相ゾーンで、柄はあのホレ、桔梗のような牡丹のような、はたまた花キャベツのようなのが咲き乱れてる後ろに、荷造りヒモを縦に裂いたようなのがふにゅふにゅ絡まってるアラベスク文様ふうのやつ(伝わってるのか)。花と花とふにゅふにゅとの間に、露のしずくのように(まる)と×(バツ)が散らばっていて、アラベスクがやりたかったのか、幾何学っちゅうか数学柄にしたかったのかよくわからない。

 

それとレース編みみたいな歯車がつながった永久機関柄(?)もおもしろい。これは、地色をイエローとかオレンジとか臙脂ブラウンとか、暖色アースカラー系にすると、“有機と無機”の融合といった趣きになりますな。

 

このスタート画面の柄選択肢、前にも書いたエドガー=A・ポーの挿絵のハリイ・クラーク調を基調に、キュビスム風あり徽宗皇帝風あり、アンリ・ルソー風あり、フェルナン・レジェ風あり、微量水木しげる漫画風もあり、BSプレミアムで再放送中『純情きらり』のタイトルバック風もありとなかなか充実して、攻めてるな8(エイト)、と思います。

 

 XPから変わって寂しくなったのは、“呼び出し中”の砂時計が出なくなったことでしょうかね。デジタル技術のカッタマリのそのまたギュッと凝縮版とも言えるPCというアイテムで、あえてアナログの象徴の時計、それも文字盤時計ですらなく砂時計、というところがちょっとブラックユーモアで好きだったんですが。
 

 ロック画面のほうは普通に“光の4原色”ヴァージョンにしていますが、そのうち(^^♪ぐるぐるうずまき グル~モナイト みたいなやつか、“資料映像:北朝鮮の核開発”みたいなやつに替えてみようかと思っています。
 

 …以上、8(エイト)未体験者にはまったくわけわからない説明でした。全体的に「ついてこ~い」(@佐久間一行)(←古?)
 

 ついでに、Word2013になると、文中に“♪”を出そうとしたとき2003では「記号(きごう)」と入力して膨大な中から“♪”を探し出さなきゃならなかったのが、「音符(おんぷ)」と入力でいいのね。しかも上記の“(^^♪”という、人を小馬鹿にした顔文字つきの候補もある。
 

 …て言うか「顔文字(かおもじ)」と普通に入力したら、19種類の本当の顔文字が候補に出る。これがWord。時代も変わったものよのう。 

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ウィンドウズえーっと

2013-04-26 01:16:32 | デジタル・インターネット

 

ぬぉほほほほ、やっちまったのポジティヴバージョン。スプリングハズカム。Windows 8(エイト)ハズカム。
 

ネット環境になって73ヶ月、ついに月河にも、新OSへのアップグレードという一大イベントがやってまいりました。

 

まぁXPのサポートが終了し、アベノミクスのドサクサにまぎらかして地味に消費税率も上がるという来年春までには、どうにかするさ…と悠長に構えていたら、先々週いきなりプチンとPCが真っ暗に。“中の”OSがアウトオヴデートになる前に、PCのガワのほうがアウトになってしまったの巻。

 

新機はそのガワが、どピンクのド派手機種。キイボードがホワイトなのはむかし懐かしのワープロの、1994年製の3号機以来。テンキー付きで、ディスプレイも15.6インチ横長ワイドで、ハイビジョン仕立てのDVDが端っこまできっちり映るのは痛快だけど、キイの沈みがずいぶん浅くなりましたなあ。キイというよりボタンに近い感覚。

 

でもその分“ガワ”が軽い軽い。15インチこっきりだった前任機より、カタログ仕様では1.7キロ軽量なことになっていますが、閉じて抱えるともっと差があるように思えるのは、キイが浅いことも寄与して“薄い”からでしょうな。

 

タブレット端末流の、タッチパネルにも対応しているという噂の8(エイト)、とりあえずカラフルなスタート画面が楽しいですね。カラフルタイルのバックの、“地模様”が20種類ぐらい選べるんですが、なんかみんなエドガー=アラン・ポーの作品についたハリー・クラークのイラストレーション風なのな。あとポインタを右上きりっきりに寄せないと出てこない、出てきたかと思うとスッとまた消える“チャーム”ってのがウィリアム・ウィルソンばりに人を小馬鹿にしている。

 

でもって、なんちゃらアカウントとかパスワードとか、“登録モノ”“設定モノ”の多いのにも参りました。毎度毎度自分のPCにも“サインイン”という形で入っていかなければならないのもどうなのよと思いますが、XPの時代から約10年も経つとサイバー界も世知辛くなったということなのでしょう。思えばあの頃はPC使いながらもまだ料簡がアナログでいられた。

 

さらに、テンキー付きのキイボードに慣れてないのでカーソルを動かそうとしてついテンキーに指が行ってしまい、文の中に要らない数字が入り込む入り込む。これは8(エイト)の問題じゃなくPCのガワの新しさに月河が慣れていないだけでしょう。習うより慣れろ。

 しかし
20056月の前任機到来時に比べて、人間のほうが、慣れるのにますます時間のかかる体質になっておるなぁ。 

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ミステリアス式海岸

2013-04-12 01:08:19 | 朝ドラマ

『あまちゃん』でもうひとつ胸がすくのは、“親の物語”にもちゃんとなっているところですね。

『梅ちゃん先生』のときにも、遡れば『だんだん』の頃にも思ったのですが、いまどき高校生、いまどきティーンエイジャーの、いかにもいまどきらしい夢や希望や悩みの話では、われわれトウのたった、夢も悩みもあらかたやり尽くして将来のあまりない大人は引き込まれません。親たちが、どんな生まれでどんな環境で、どんな料簡で生きてきて、どうめぐり会ってこのヒロインという子を生したかがしっかり描かれて、初めてヒロインにも興味が持てるのです。

アキちゃん(能年玲奈さん)の母親・春子さん(小泉今日子さん)は1984年(昭和59年)71日、北三陸鉄道開通&海開きの日の式典のどさくさで東京へ出て行きました。ときにまだ18歳高校生。「キタテツが開通して、今年の海開きには東京からも大勢人が来る、高校生海女ならニュースになる、町が活性化する」と市長(北見敏之さん)や組合長夫婦(=当時。のちに離婚、でも同居)(でんでんさん&木野花さん)にプッシュされて、いま出ないと逃げられなくなる!と追い詰められ決心しての身ひとつ上京でした。

春子さんがもし普通に高校へかよい続けていたら翌1985年(昭和60年)に卒業です。春子さんの環境なら進学よりまず家業でしょうが、ちょっと頑張って短大でも進学していたら1987年(昭和62年)に卒業、もっと頑張って四大なら1989年(平成元年)卒業。いずれもバブル真っ盛り引く手あまたの春です。

月河はここらへん年度の新卒新入社員なら現場で大勢見て来ました。“バブル期採用組ウンヌン”とひと括りにするのも芸がないけれど、個人個人の学力能力とは別に、社会が右肩上がりで、物質的にも情報的にもほかほか浮ついた時代に育ち盛り~青春を過ごした人たちは、やはりいい年になってもどこか精神が浮ついている。浮ついていると言う言い方が失礼なら、“夢み勝ち”とでも言いましょうか。つねにここではないどこか、いまのままではない自分、もっと上のもの、もっと華々しいものが視野の一隅にあるため、目の前の現実の地道な仕事に集中しない、できないところがある。

春子さんもプレバブル期の東京に高校中退の18歳で身を投じ、ハシタ仕事には事欠かなかったでしょうが、あんなに憧れてやまなかった東京なのに、なんか違う…こんなもんじゃないはず、との思いが積もり積もって、上京5年経た1989年には一度帰郷を決心し、荷物をまとめて上野駅に向かいました。

ところがところが、大きなキャリーケースを後部トランクに載せてくれた若いタクシー運転手・黒川と、どんな会話をしたものか意気投合。降りた上野駅から故郷へ向かう列車には乗らず引き返すために拾ったタクシーがまたまた黒川で、互いに不思議な縁を感じたのでしょう、連絡先を交換してなんとなく交際発展、その年のうちに結婚という予想外の展開へ。この黒川(尾美としのりさん)、遠洋漁業の父が年じゅう不在で寂しい子供時代だったという春子のためにシフトを変えて在宅時間を増やすほどホイホイ優しい男で、夢の東京で夢破れかかっていた春子には、少なくとも出会い当座は沁みたに違いありません。同じ年格好でしがないタクシー運ちゃんという、結婚相手としての安値感も、家出前後から渇望して渇望して、欲張って欲張って生きてきたであろう春子の心理のエアポケットにはまった。

しかし春子の青春バブルのふくらみと上昇もここまで。約3年後に我らがヒロイン・アキちゃんが生まれるわけですが、奇しくもその頃から世の中、夢と希望の右肩上がりが途絶え、果てなきジリ貧の踊り場地獄になだれ込みます。夢を持つのが当たり前、夢は叶って当たり前と教わって育ってきた春子世代にとっては、滑り込み手に入れたそこそこ安定した暮らし、東京在住専業主婦のそこそこ余裕なご身分も「なんか違う、こんなはずじゃない」感じが日々拭えないのです。42歳、高校生の子を持つ親になっても、未だ自分の人生が発展途上な気がしている。豪華ではないがそこそこ裕福っぽい、もやしがフローリング床に落ちる音が聞こえるほど、少なくとも閑静には違いないマンションに住み、ひとり娘を私立進学校にかよわせるまでになっても、「自分の人生この先どうしよう、どうなる」「もっとましな人生があるはず」と思考が“自分主役”、かつ“仰ぎ見視点”なのです。

今日(11日)の第10話で、アキが海女姿をカメラ小僧に追いかけられたと聞いてキモがったり憤慨したり「“アンタら大人が”ちゃんと見張るって言うから」「“アンタら大人が”ちゃんと見てないから」と繰り返していたのも印象的。春子の思考では、未成年少女を事故や間違いから守るべき責任ある“大人”の中に、自分はなんとなく入っていないようなのです。どちらかというと「大人はわかってくれない」「大人は汚い」ともっぱら大人を糾弾し反旗を翻す側に自分がいるよう。

こんなふうに、“急勾配の夢を持たされた挙句、梯子を外された”年代ゆえに、年齢相応の、折り合いのついた大人になり損なった春子世代の気持ちや意識は、月河にはあまりもろ手を上げて共感はできませんがとてもよくわかる。いいトシなのにスケバンみたいなばさばさしたロングスカートに、紫外線コンシャスな長袖シャツブラウスの春子は、同年代で地道とお人よしが服を着て車に乗っているような黒川より、田舎にも都会にも居場所を見つけられない20代ぼんぼんプータローのヒロシ(小池徹平さん)と並んでいるほうがお似合いに見えます。

『あまちゃん』のここまでの好調は、見ていて「わかるわかる」「いるいる」と思えるもうひとりのヒロインとして、ヒロイン母がちゃんと機能していることが大きいと思います。

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モータリゼーション恐るべし

2013-04-10 01:11:53 | 朝ドラマ

「イエローフローライトの時代は来る!必ずクル!!」

……大吉さん(杉本哲太さん)のマネしてプッシュしてみました。

寡黙な結晶ハンター・勉(ベン)さん(塩見三省さん)の推す北三陸名産=琥珀のように摩擦帯電性があるでなし、燃やすと樹脂由来の香ばしい香りが立ちのぼるでもなく、ひたすら硬度が低く衝撃に弱く砕けやすいだけの我が黄色蛍石。ハチミツ入りレモンジュース色で外観は琥珀と従姉妹のようでもありますが、こちらは日本国内には産出がないようで、月河が昔展示会で見て忘れられない多面体の結晶は“英国産”でした。なんとアバウトな。マーガレット・サッチャーさんが亡くなりましたが関係ないな。とちおとめくらいのサイズの、色むらのない、吸い込まれそうな結晶でした。

ものの本によれば北アフリカ、かのモロッコのエル・なんたら山脈で特に見事な、ととのった形状の結晶が大量に産出されるそうですが一度は拝みたいものですイエローフローライト。体循環を上げて気分も上がるパワー。八千五百万年プラス23年は待てないけど。

それやこれやで快調ですよ『あまちゃん』2週突入。平日朝7時~8時台という、日中最忙の時間帯ですが、日曜の同じ時間帯の『獣電戦隊キョウリュウジャー』と同じトーンの“音”が聞こえて来る。快調音。迷いがないのが両作に共通するツボですね。“やりたいことがわかっている”ドラマからしか発せられない音です。台所作業中片手間で聞いていても、早く録画リプレイ、細部チェックしたくてしたくてたまらない気持ちにさせる。

何より登場人物が全員、前へ前への牽引力を持っているのがいいですね。「出ただけ」「設定嵌め込まれただけ」で棒立ち休んでいるキャラがひとりもいない。1週は杉本さんの熱血バカ駅長が先頭で引っ張りましたが、副駅長吉田くん(荒川良々さん)にしても観光協会長菅原(吹越満さん)にしても、ベテラン海女軍団(渡辺えりさん木野花さん片桐はいりさん美保純さん、順不同)にしても、出てくれば出てきただけ、映ってれば映ってる間、何かしら喋れば喋ったぶんだけ、確実にお話や解釈を前へ進める。

今日(9日)放送の第8話での漁協組合長長内(おさない)(でんでんさん)の“憎たら可笑しい”しゃあしゃあ飄々光線も、アキちゃんパパで春子旦那の黒川(尾身としのりさん)とのハーモニーで相当なもんでした。アップになったら運転席にいるんだものなあ(運転手の黒川が助手席に)。

突然家出?した女房を商売用の個タク転がして岩手県最北部まで追いかけてくる運ちゃんもいないもんだけど、「この辺の道わからないからお客さん、連れてって」とプロの運転手に頼まれて、あいよってんで速攻運転交代しちゃう客もそうはいないと思う。この、あらゆる人物に“いねぇよこんなヤツ!”と毎度いちいち思わせては“でも、いるかもな”とちょっと戻す繰り返しが、気がつけば強固なフィクション世界を構築している。

「新人海女は乳さ出しで潜らねばなんねぇ、水の抵抗が少ねぇから」「服着るまでは23年かかるな」と入門中のアキちゃん(能年玲奈さん)をベタにドン引きさせるベタなかつぎにも、「女性にセクハラ許せない」てな無粋正論ふりかざす輩が誰もいない、実に鷹揚で風通しのいい世界。

そしてもうひとつこのドラマの気持ちいいのは“毒気”がたっぷりあることです。“田舎=寂れていくもの”“若者=都会に憧れ田舎を嫌うもの”という、高度成長時代以降の日本に作りつけのように存在する逃げ場のない現実を、いたずらに嘆かず目を背けもせず、ドンと足下に“既定の土台”として踏みしめて走る跳ぶ泳ぐ潜る。寂れようが若いもんに逃げられようが、田舎の人たちがみんな嘆きっぱなし落ち込みっぱなし、不平不満っきりでどんより暮らしているわけじゃないのです。田舎だから、地元だからこその楽しみもあれば笑いもある。笑えるけれど、でも田舎なのです。寂びれていく一方なのです。でも笑えるのです。この堂々巡りにじわじわ毒気が滲みて行く。

何と言うか、毒気がムダ毒でなく、いちいちスイートスポットで毒炸裂して、完全燃焼して燃えカス残さないで次へ行く感じ。この調子なら、どんなにカリカチュアライズしても、「田舎をバカにしている」「不快だ」という声が上がることはないでしょう。

ドラマの時制は20087月からスタートで28ヶ月後の3.11には三陸は…”という未来も視聴者は神の目で知っているわけです。ここに最大の“埋蔵毒”が仕掛けられていると言ってもいいかもしれない。繰り広げられているすべての喜怒哀楽、これから半年間続く物語が、実はまるごと邯鄲一炊の夢にすぎないという儚(はかな)可笑しさ

儚いから、可笑しいから目が離せない。前へ進む、引っ張って行く力があるドラマ、これはもう「朝ドラとしては」異色、「朝ドラとしては」ユニーク、なんて修辞で評しては失礼でしょう。昼のドラマも夜のドラマもまとめて、笑いながらなぎ倒す強靭なドラマです。

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軽い危篤

2013-04-02 17:05:23 | 朝ドラマ

41日エイプリルフールを狙ったようにスタートしたNHK連続テレビ小説『あまちゃん』はどうでしょうね。鬼才・宮藤官九郎さんが、どう考えてもアウェイな国営放送の、それもBSでもよるドラでもない地上波の朝ドラに参戦と聞いて、全国のTV放送関係者及び演劇関係者の皆さんが、とりあえず第1話は一斉にチャンネル合わせたのではないでしょうか。

……その前に、同枠前番組『純と愛』を“なかったこと”にするわけにはいきませんな。何だったんだ、あの畳み方は。振り回されながらも追尾してきた辛抱強い視聴者の大半は、愛(いとし)くん(風間俊介さん)が奇跡的に目醒めて純(夏菜さん)と抱き合い「まほうのくにの魔法はこれで使い切ってもいい、サザンアイランドは神様をあてにしないで、私たちが汗かいて建て直そうね」「まほうのくにじゃなく、純と愛のくにですね」とかなんとか言うベタな結末を、こんなベタないよねぇとニヤニヤしながらも一抹期待していたはずです。愛が目覚めさえすれば、ここまでの苛立たしいすったもんだや、さっぱり問題解決になってない着地の繰り返しも、ギリギリ滑り込み埋め合わせがつくのではないかと。

まさか海に向かって純が今後の抱負をポエムのように叫んだ後、愛の手が微妙な動きをして、さてこれは目覚めたのでしょうか目覚めではないのでしょうか?でカット、毎話流れたOPのイラストアニメーションに戻って終了とは。埋め合わせどころか深く広く墓穴を掘り広げたのみ。

しかも本編終了後のアイキャッチ『まほうのくに』が、修理なった例のジュークボックスの隣に、純がひとりで立つ絵だったので、余計救いがなくなりました。2ショットでなくても、愛が生存して、できれば起きて活動している気配がなんらか画面に映り込んでいたら、ずいぶんと後味のいい視聴後感になったはずです。

「お約束や予定調和を排した、いままでになく目の離せない朝ドラ」「一生懸命に目標に向かい努力していてもカラ回りになってしまう主人公の気持ちが痛いほどわかる、応援せずにいられない」、果ては「世の中の仕組みに馴れ合ってぬくぬく順調に暮らしている人には良さがわからないドラマ」と何やら裸の王様みたいな言辞を尽くして必死に擁護してきた向きにも、さすがにこの結末で「継続視聴してきてよかった」と心から言える人はいないでしょう。

“後味がいい”とか“先の展開や結末を予測する楽しみ”、“登場人物の、画面やセリフで説明されない過去・背景や、退場後の人生を想像補完する楽しみ”など、およそ「こういうことがあるから連続ドラマは楽しい、やめられない」要素をことごとくぶっちぎって床に叩きつけ粉砕したような作品でした。

何であれ、確立したもの、カタチの定まったものは、いずれ一度は破壊されゼロに戻されて再生されなければならない運命を背負っていますが、“話が連続する”ダイナミズムを十分にそなえた、長尺多話数の“連続ドラマ”がほとんど全滅している昨今、あえて朝ドラといういちばん“視聴者の受け容れハードルが低い”枠で、嫌がらせのように半年かけてこの手の実験をやる必要があったのかどうか。

しかし、やるなら昨今は朝ドラ枠でしかできないし、朝ドラでやるからこそ意義もあったのだろうとは思います。夜半の、視聴率一桁パーセント程度のマニアしか見ない枠では、実験してもしなくても確たる結果が見えません。

心の中で誰とも知れない仮想敵をこしらえて「チャレンジしてるじゃない、上等じゃない」「相手になってやんよ」と歯を食いしばって降りずに見てきた少数派も、なんとなーくこの時間は昔からNHKなんだよねーと惰性でチャンネルかえずに来た大多数(たぶん)のご家庭にも、それなりの記憶の刻印は残したところで、この作品のミッションは完了なのだろうと思います。この上、心温まる後味よさや、「あの人をもっと見ていたかった」と思う特定人物へのシンパシー、懐かしさなど欲するのは無駄、と言うよりお門違いというものでしょう。

………咀嚼していたら『あまちゃん』に行く時間がなくなってしまった。とりあえず、オッフェンバック『天国と地獄』みたいな、ふんがらふんがらしたほどのよいやかましさのOP曲がツボです。サントラCDが出たら起床タイマーに設定決定。

12話は杉本哲太さんの無骨なハイテンションが場面を牽引しました。しかしまぁ、先月まで日曜夕方1845~のBSプレミアムで2006年本放送の『柳生十兵衛七番勝負 島原の乱』を再放送していて、杉本さんは小心なくせに野心だけある曲者の公家の大納言役を実に嬉々と楽しそうに演じておられましたが、なんとも使いでのある俳優さんになったものです。

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