イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

『Yの悲劇』再読再追補 ~悲劇のゲキは劇薬の劇~

2021-11-07 21:17:06 | ミステリ

 エラリー・クイーン『Yの悲劇』、月河が海外本格ミステリビギナーだった初読了時ですら犯人が早々とわかっちゃったってことのほかに、今般再読して改めてもうひとつB級感をそそった点は「探偵、やり放題過ぎ」

 いくら警部と地方検事の信頼リスペクトが(前作『Xの悲劇』内での経緯以降)あつい設定とは言え、いち民間人にすぎない、探偵業の看板掲げてるわけでもないただの引退舞台俳優レーンが、頼みもしないのに警察のほうから事件捜査情報をまるまる持ち込まれ知らされ、現場にも踏み込み放題、当事者にも接触し放題、事情聞き取り放題です。我が日本の『赤い霊柩車』シリーズの石原葬儀社だってこんなに首突っ込まないだろってぐらい、捜査主体と一体化しまくり。

 まぁ法治国家のアメリカ合衆国でもさすがに1930年代前半、フィクションの中だしいろいろ緩かったのかもしれませんが、いま読むとやっぱり所詮は“探偵という体裁の、大人のヒーローもの”でしたね。現実の事件捜査では許されない、小説の中にしかないヒーロー無双ワールドです。

 ご存知の様に本作の作者が別の筆名で先行上梓した『ローマ帽子の秘密』にはじまるシリーズでの探偵役は、ニューヨーク市警刑事部長たる警視を父親に持ち、地方検事とも懇意の、二世タレントならぬ“二世探偵”設定の人物なので、作者自身、現実の警察組織人の職務意識、民間人との距離感がよくわかってなかったのかもしれません。わかってないから書けるってこともあります。

 月河はいまだに特撮ヒーロー、キャラクターヒーロー大好き人間ですからそれ自体には何の文句もなく、フィクションとしてのクォリティを下げるものではまったくないと思っていますが、今回再読してひとつ、つくづく「これはない」と首を傾げざるを得ないのは、探偵の、あの事件の幕の引き方ですね。真犯人を指摘し、真相解明、解説したあとの、事件としての終わらせ方です。

 これこそネタバレ中のネタバレ、ザ・キングオブネタバレになるので注意して書きますが、良きB級感とか、ツッコミウェルカムとかフィクションならではのあり得なさ等々の域を逸脱、脱線転覆大破炎上していると思うのです。

 およそ法治国家における刑事事件探偵が「これをやっちゃあおしまいよ」を白昼堂々やってのけて、しかも法治の守り手たる警察・検察の当事責任者も黙認、むしろ賛同して終わる。越権とか公務執行妨害なんてもんじゃなく、見ようによってはもっと質の悪い犯罪です。まるで自分が神にでもなったのかという傲岸な料簡の、臆面もない披瀝なのに、誰も咎めないのです。

 月河のこの作品初読は、夏休み当時、遠方からの出張で月河家に立ち寄っていた実母方の伯父が月河の本棚に並んだ背表紙を見て「こういうのが好きなのか」、月河「うん、好き」、じゃあ今度これとこれとこれを読んでごらん・・と、近所の行きつけ書店に一緒に行って、棚の高い所から抜いて買ってくれたのがきっかけでした。

 その後はしばらく電話と文通でしか伯父と連絡を取る機会が無かったのですが、月河が「『Y』面白かった」と言ったら、伯父からラストまで面白かったか?」と訊いてきました。言葉はこの通りではなかったかもしれませんが、「面白かったけど、犯人が早くにわかっちゃったから」と答えた記憶があります。「(『Y』の前に読了していた)『フランス・デパート殺人事件』(角川文庫刊。=『フランス白粉の秘密』)みたいに、最後の一行でポンと犯人の名前が出て、そこで終わってあと何もなし、みたいなほうが好きかな」とも言ったと思う。

 自宅にミステリ本だけで棚一個埋まる蔵書を持っていた伯父は、ちょっと笑って、その後は月河に「次はこれを読んでごらん」的な示唆は何も言いませんでした。

 いま思い返せば、ミステリ熟練読者の伯父もあの幕の引かれ方に思うところがあって、ビギナー中のビギナーである月河がどう感じたか興味があったのかもしれません。

 残念ながら、当時の月河は“犯人がギリギリまでわからない”“わかったら超意外な人物で、しかも腑に落ちる”こそがミステリのクォリティ、グレードを決めると思っていたので、探偵役人物の人間性や価値観、生命観、倫理意識、やっていいことといけないことの弁別など、ミステリの“ガワ”“シャーシ”のパートにはさしたる関心が向いていなかったのだと思います。

 今回再読したのももちろんこのとき伯父が買ってくれた角川文庫版(昭和三十六年初版、昭和四十四年十四版)ですが、巻末解説の結びに「・・終章の最後のセンテンスぐらい、私の心にはげしいショックと戦慄と、名づけがたい魅惑をあたえてくれたものは、私の記憶するかぎり、他の探偵小説には見出せない性質のものであった・・」とあります。

 解説者はこの版の訳者である田村隆一さん。1923年(大正十二年)生まれ、言わずと知れた、国語の教科書にも載っている、戦前戦中~戦後から平成に至るまで日本語現代詩の一線で活躍し軽妙なエッセイストとしても健筆をふるった文士です。本作よりずっと以前からアガサ・クリスティ、ロアルド・ダール等の諸作翻訳を手掛けていたかたが、『Y』を訳して、こういう所感を持っていたのです。

 時代かなあ、と思わずにいられません。探偵小説=ミステリって、好きな人はとことん沼になる一方、興味ない人は生涯興味ないであろうジャンルですから、もちろん個人の趣味嗜好もあるでしょうが、月河は「探偵は探偵の仕事をして、それで終了」な作品、物語世界のほうが好きですね。

 探偵がヒーロー無双であるのは構わない。でも、特撮ヒーローと違って、ミステリ、就中“本格”ミステリの探偵が“社会正義”を背負って、なおかつ執行までしてしまうのは、どう考えてもフェアプレイ、そう、ミステリ愛好家が絶対に譲らない“フェアプレイ”のスピリットを毀損することではないかと思えてならないのです。

 (この項もう一回続く)

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