イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

韓国ドラマ『秘密と嘘』 ~そこに懐かしさがある~

2020-10-09 22:13:22 | 海外ドラマ

 いよいよ今年も残り3か月を切ってくると、自然と来し方振り返りモードになりますな。歳月人を待たず。コロナウイルスが人を選ばず休日も祝日もないように、月日も時間もコロナなんぞには躊躇も遠慮もしません。どんどん来てどんどん去ります。

 思えば春先からのステイホーム推奨で、おうち時間が例年よりたっぷりあったわりには、今年は韓国ドラマ、特に月河の好物の、長尺多話数ドラマをあまり視聴しなかったような気がします。

 いつものように「まとまったヒマを作って一気に録画視聴」なんて気合い入れなくても、まとまらない細切れのヒマがいっぱい出来てしまったので、逆に長尺タイトルに嵌まらなかったのかもしれません。代わりに『刑事コロンボ』の週一リバイバル放送の様な、単発一話完結モノはだいぶ見ました。

 リアルタイムのTV放送界でも、一時は、放送中、乃至は開始予定のドラマ収録が完全に休止して再開未定のまま、空いた枠に平成初期や昭和のドラマが再放送されて人気再燃、本放送時未見もしくは生まれていなかった若者にも大反響で、かえってペンディング中の新作のハードルが上がって、再開しづらくなったなんてこともありました。

 新型コロナ下で出勤退勤・働き方や、子供たちの学校、高齢者のケアサービス等も含めた生活サイクルの、各人各家庭の大幅変化で、TV以外のおうちエンタメ、インドアイベントの世界もえらく振り回されたこの一年でした。いずれトンネルを抜けたときに、何か確かな物が、媒体にも客側にもひとつふたつ掴めて残ればいいのですが。

 そんな中、5月の大型連休明けから途中乗車して、録画で追いかけながら9月中旬の最終話まで、気がつけば食い下がっていられたのが『秘密と嘘』(BSフジ)。

 月河がいたく好む“偽物/本物”“入れ替わり・すり替え”“成りすまし”モチーフ(←これがいろんなタイトルで何度も何度も、性懲りもなく登場するから、韓ドラ追尾やめない月河でもある)の極北みたいなお話で、実母を亡くし実父に育児放棄されて児童養護施設送りになった少女が財閥会長の孫娘シン・ファギョンにまんまとなりすまし成長、TV局の新人女子アナとなって野心を燃やす・・辺りまでは安定の定番展開なのですが、冒頭2話でいきなり出自がバレちゃうの。しかもバレるに事欠いて全国ネットのTV尋ね人番組に。公式サイトでは全88話(本国本放送では122話!)、どうすんの?どうやって尺もたすの?とハラハラしてたら、偽孫娘ファギョン、追いつめられた土壇場で、財閥会長が捜索していたもうひとりの孫=早世した長男の遺児に、自分に惚れている気のいい青年ジェビンを仕立て上げて、自分はその嫁として財閥家に居座り生き残るという奇策に出ました。

 言わば“なりすましの二階建て”

 取り巻く親世代、大人たちも、良かれと思って嘘を暴こうと腐心する者、自分の利得や保身のために嘘に加担する者、それらに巻き込まれて逆恨みする者等が入り乱れて、誰が誰と敵対してるのか、あの秘密はこの人もう知ってるんだったっけ?知らないんだったっけ?とか途中で混乱をきわめるのもいつもの韓ドラコースなのですが、踏ん張れば意外と踏ん張れるもんです88話。

 惜しむらくはファギョンへの情から嘘と欺瞞に手を染めていくジェビンの描写がいまいち緩かった。“あらかじめ強烈で、ずっと強烈なまま”設定のファギョンを触媒として見れば、明朗純朴で天然なジェビンが財閥後継となって欲に目覚め、徐々に変貌していく過程は振り幅が大きく、最大の見どころになったはずなのですが、結局一貫して善良な人なのか、或いはよくわかってないおバカなだけなのか、どっこいおバカなふりで油断させようとしているのか、演出も演技もしかと掴めていないまま場面場面で揺れているようなふしもありました。ところどころ、妻夫木聡さんを丸顔にしたような表情がチャーミングな、ぷっくりクチビルに長身のイ・ジュンムンさんちょっと惜しかった。

 最終盤の4~5話ぐらいはさすがに息切れしましたが、最終話でついに指名手配容疑者となり国外脱出を図るもTVニュースで顔バレして失敗、空港から裸足で逃走したファギョンが、なけなしの小銭で公衆電話に飛び込むも「・・ママの電話番号が思い出せない」と愕然とする場面は刺さった。スマッシュヒットでした。番号を登録した携帯が手元からなくなると、家族や最も親しい人の番号こそ暗記していないことに気づく・・ってあるあるじゃないですか。固定電話や紙の電話帳の時代にはなかった悲喜劇だと思う。なりすましが露顕するまでは溺愛してくれた母、その一員で居たくて、嘘に嘘をかさねて足掻いてしがみついてきた家族が、こんなに遠かった。88話の長きにわたって詰られても叩かれてもへこまず反省もせず悪の華を貫いてきたファギョンが、一瞬足元が深淵に抜けたような恐怖にかられる。偽の娘に散々振り回された母親は、脱出の道筋をつけてやったようで、実は追っぱらった気でいるのですが、「ママならまだ助けてくれるかも」と思っている時点でファギョンの惨敗。

 『その女の海』で数奇な運命の翻弄されヒロインだったオ・スンアさん、美人だけど般若系のお顔立ちなので、ドS役とか、物の怪(け)役とか演ったら嵌まりそうだな・・と思った通りのそれ以上を存分に見せてくれてこちらは一応満足。綺麗めの女優さんも、ここまで長丁場をビタ一文改心せず、邪悪なまんま演り通すのは、或る意味冥利(逆冥利?)に尽きるかも。

 途中、「アナタが財閥継孫」とほのめかされたジェビンが、“そうなったら高級車に乗ったり女性にもモテモテ”と妄想する場面があるのですが、そこに登場するジェビンの“脳内ファギョンさん”がラブコメみたいに可愛く、オ・スンアさん、キツ系の般若顔だからこそ甘々なラブコメの、ツンデレヒロインとかもいけるかもしれませんよ。最近は予算の関係か制作本数が少ないみたいだけど、時代劇でも期待大です。

 親世代ではファギョンの親友で女子アナ候補生同期ウジョンの母ジュウォン役キム・ヘソンさんと、財閥家の入り婿で本物ファギョンの父、心ならずも偽ファギョンの成りすましの共犯ともなるシン社長役チョン・ノミンさんが安定の芝居で、韓ドラおなじみの“あり得ないワールド”を支えました。

 ジュウォンは最初はアナウンサー志願者の憧れ“国民的テレビMC”で、財閥アパレルのCMキャラクターとしてポスターモデルになったり、スキャンダルまかれて生卵ぶつけられたり、階段から転落して殺されかけたり後遺症の譫妄発作で暴れたりジェットコースターみたいな展開でしたがさらっと演るし相変わらず美しい。『宮廷女官 チャングムの誓い』(2003年)のお母さんの頃からほとんど変わってないんじゃないかしら。

 いっぽうシン社長役のノミンさんも『善徳女王』(2009年)の叩き上げソルォン公から変わってないっちゃ変わってないし、この人の場合、頭はいいけど打算策略系のセコい役も多いのに一周回って結局どこか哀愁と可愛げが出るのが不思議です。今作も、或る意味すべてのタネをまいて自分で自分のクビ締めちゃってるような立ち位置なのに、死線をさまよって生還するとなぜか「・・助かって良かった」と微量思えてしまう。こういう現代ものドラマをにぎわす男優さんたちが軒並みモデル体型のイケメン揃いの中、頭身大きめ胴が長めの日本人・・じゃなくてアジア人体型なのが効いているのかな。

 あとひとつこのドラマでちょっと良かったのは、ウジョンの異父弟(=キム・ヘソンさん扮するジュウォンがウジョンを連れて再婚して生まれた)ウチョルが知的障害で映画『レインマン』のようなサヴァン症設定なのですが、これだけ欲得まみれでエゴい人物がゾロゾロ出てくるのに、障害をネタに虐めたり揶揄ったりする描写が一度もなかったのは好感が持てました。

 ウチョルはお母さんとお姉ちゃんが大好きで、彼女たちを困らせる人物にはちゃんと抗議もする。コーラも大好きで誰かが止めないと際限なく飲みすぎてしまいますが、他は特段困った点や人に迷惑かけるところもなく、音楽の才能があってクラリネットが得意、インディーズバンドに共演を誘われる腕前(←演奏場面はあまり無し)、サヴァン症独特の精密で瞬間的な記憶力、再現力を活かしもっと展開の鍵を握るかと思いましたが、聞きつけた姉の出生を書いた折り紙の件と、ジュウォン転落現場のファギョンを絵に描いた件程度で終わったのはちょっと残念。ハンデキャップネタは踏み込みすぎると昨今は簡単に炎上するので触らぬ神に徹した感もありますが、話数に不足なかったわりにはサブストーリーらしいサブストーリーが皆無に近く、ウチョルくんにはジェビンの妹で料理人志望の“親切なジェヒさん”というお似合いの相手も現れたのに、あまり発展もゴールもないまま終了(いいムードは継続)。

 このドラマは韓国MBSの夜のイルイル(日々)ドラマで、日本のBSでも一昨年~昨年に放送された『棘(とげ)と蜜』『幸せをくれる人』等の同枠後番組なのですが、キャストはまずまずなのにお話が風呂敷を広げきれず、あるいは最初からコンパクトサイズの風呂敷で守りについてきたようなのが、これ系ドラマ愛好者としては気がかりです。本作の後に同枠放送された『ヨンワン(龍王)様のご加護』がBS11で来月始まるのでとりあえずチェックかな。3年前の今頃嵌まっていた『ルビーの指輪』のイ・ソヨンさん久々。全81話。うーん。

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先生と呼ばれるほどの豚でなし ~木に登る学術会議にも上る~

2020-10-07 12:27:51 | ニュース

 狙って突いたのか、ズレてヘンなとこ踏んじゃったのか、良くも悪しくも菅新総理のキャラが現れたなあと思います。日本学術会議会員候補の一部非任命問題。

 菅さんにしてみれば、「毎回前例踏襲で推薦まるのみじゃアレだから、辛めに行こうと思っただけなのに、なんでこんな国民生活に縁遠いとこでゴツゴツ引っかかるんだ」と、内心怪訝かつ焦れったく思ってるかもしれない。

 先の総裁選で何度も強調された通り、菅さんは東北の農家から上京、工場で働きながら法政大の二部を卒業して、同郷議員の門を叩き末席秘書から政界に入った経歴ですから、およそ“学問”“学歴”というものについては非常に突き放した、ドライな捉え方だと思います。何かの職で世に打って出て、渡って行くための、幾つもある“方便”のひとつぐらいにしか思っておられないと思う。学は身に着けるべきだし有るに越したことはないが、無きゃ無いで他にも方便、策はある。

 或る意味きわめて合理的に“学問”というものを見、ついこの前までは官房長官、いまは総理大臣として我が国の“高等教育”“学術研究”のあり方をもその延長線で考えている。コスト、リスク、メリットとデメリット。幾らぐらいの予算を投入すればどれくらいの果実が、どの程度の確率で期待できるか。他にもっとローリスクローコストでハイリターンな策は無いのか。リターンがふわふわしているわりにはコストが高すぎると思えばばっさり行けばいい。

 ・・ところがどっこい、菅さんがあずかり知らない“学者”の世界というのは、合理的とは対極に、実にドロドロとした、嫉妬、羨望、やっかみ、恨みつらみ、派閥争いや足の引っ張り合いが渦巻く世界なわけです。

 彼らは言葉には出さないがつねに自分と、同年代で同分野で同じくらいのポジションにいる他の学者とを脳内で比べていて、何々賞に誰が選ばれた彼が落選した、ドコソコの要職に誰と誰が昇進した、誰が降格した、何々に招聘されるのが誰某は自分より一年早かった彼は遅かった、同時に昇進したのに誰が上席になった誰が次席だ・・等、およそ“当落”“順位”“席次”の付く話に、信じられないほどナーバスで執念深いのです。

 「出世がしたくて学問研究してるわけじゃないさ」「出身関係なく研究者が協力して、学界全体のレベルが上がって行けばいいのさハハハ」等と日頃小綺麗な事を宣っておられる先生ほど、内心は地獄の釜の様に煮えくり返っていて、“同時に推薦されたアイツ、コイツは任命されたのに、オレだけ拒否られた”なんて事態が出来したら、もう何日も眠れないわメシはノドとおらないわ、藁人形に五寸釘そこらじゅうの柱にグサグサやらなきゃ済まない勢いです。

 学者先生というのは、小学校中学校高校大学を通じて、「この子は他の子よりアタマがいい」「同年代の誰より優秀だ」なんなら「わが校開校以来の神童だ」等と言われつけて、言われることをレーゾンデートルにして大人になってきた人たちですから、“選にもれた”“同輩の誰彼と比べられて任に足りないと判定された”“後塵を拝した”となることをダカツの様に嫌います。もう理屈じゃありません。“合理的”なんてイヌにでも食わせろです。コストとリターンのバランスも、リスクとメリットの勘定もヘッタクレもあったもんじゃない。日本でいちばん頭脳明晰、各専門分野の俊秀とされる学者先生たちとは、こと“選考”“合否”“順位序列付け”の問題となると、実は最も非合理的な、感情、怨念、妄執で動いたり動かなくなったり、ヘンな方向に動き出したりする人種の集まりなのです。

 こういう先生たちに気持ちよく、持てる知性を爽快に全開して働いてもらおうと思ったら、こう言っちゃなんですがおだてて乗せなきゃダメです。「この分野ではアナタが第一人者だから」「専門家と名がつく先生は幾らもいるがアナタは別格だから」とマクラを振れば、もうネコまっしぐらに協力的になります。

 日本学術会議会員になると出張るたびに1万8千円のお手当が出る(年度末になると予算が足りなくなって出なくなることもあるとか)なんて話もありますが、月河が思うに千円でも、二千円でも、なんならコーヒー一杯分でもいい、要は「他の先生にはさしあげられませんが、アナタにだけは」と差をつけてあげることが大事。“他に比べて、あなたが図抜けて優れている”と言われるのが、この人たちの何よりの生きがいであり目標であり至福なんですから。

 逆に、今回みたいに、“候補リストに挙げておいて、選んで落とす”ってのがいちばんやっちゃいけないことです。一生恨まれます。藁人形にされて五寸釘です。

 “学問”を方便の一つとしか見ていない叩き上げ現実主義者の菅総理、ここがわかっておられなかった。自分よりはるかに高学歴、高学校歴の役人や先輩議員たちを才覚と度胸と運動量でのしてきた自信があるから、学識、お勉強の出来(だけ)が取り柄の“学者先生”にさしたる尊崇感も、そういう先生たちをご機嫌よくさせる特段の気遣いの必要も感じていないのだろうと思います。

 菅さんになって急に決まった任命見送りじゃなくだいぶ前の年度から伏線はあったらしいですが、前任者安倍さんならどうだったかなと思います。安倍さんも金持ち坊っちゃんのエスカレーター校出身であんまり高学校歴じゃありませんが、父上もお祖父ちゃんも大叔父さんも、あと、定規でひっぱたいたとかいう元・家庭教師のアノ先生(現・復興相)も東京大学卒です。周りにアカデミズムに親しい人が多かった分、いま少し“学者ワールド”“学者先生のトリセツ”を心得た斬り方をしたかもしれない。

 今回任命を見送られた6人の先生方は、前の政権時に安保法制や共謀罪で反対の論を張ったから忌避されたんじゃないか、だったら政治が思想信条の自由、学問の自由に枷かける戦前思想じゃないかと、レフト寄りな媒体が騒いで今回長引いていますが、むしろそっちのほうが後付けではあるまいかと月河は睨んでいます。

 任命されなかった先生方だけじゃなく、学術会議会員・準会員全体、それどころか会員にかすりもしないレベルの学者研究者さんでも、「学問の自由を守れ」は建前であって、クチに出して言わない本音の総意は「私大の夜間部しか出てない総理に手を突っ込まれる筋合い無いわ」というところでしょう。

 頑張れ菅さん。間違っても「そうですかそこまで仰るなら任命しましょう、ハイ任命」なんて折れたらダメだよ。

 任命されなかった先生方も、「説明しろ、任命しろ」と押して押して、渋々任命されるんじゃアリガタクもないでしょうよ。この際、「オレは切れ者すぎたから時の政府に拒否られた男なのさフッフッフ」をセールスポイントに、在野で堂々論陣を張って行かれては。そのほうがカッコよくないですか。都度1万8千円ぐらい、クラウドファンディングでどうにかなりますよ。優秀なアタマを使いましょう。そうしましょう。

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朝は黄金の時間 ~新総理のORIGAMI付き~

2020-10-04 20:08:57 | 健康・病気

 早朝散歩で出来した問題の二つめは、達成感の前倒し

 朝日を浴び、朝日に照らされる山を見、きらめく川面を眺めて帰宅すると、アラ不思議、本日予定の通常業務、家事、雑事諸々のおおかたを、もう済ませたような錯覚に陥る(爆)。

 歩きの運動量がすごすぎてヘロヘロになるわけではないのです。かなり余裕持ってくたびれないうちに切り上げてきているにもかかわらず、朝日と山と川のパワーが神的に強力すぎて、非日常感覚に浸され過ぎるんでしょうな。なんかもう、雲を下に観るレベルのピークを極めきったような気分になるんですよ。朝ごはんも未だというのに。

 今日やるはずだったこと、いっつもやってることどもが小っさく見えて、「こんなんもう、ざっとでいいよ、ざっとで」と、ハードル低くして、おおザッパに処理して終了、にしたくなる。

 しかも明朝にそなえて、東京都じゃないですが“閉店時間”繰り上げ、早寝推奨だからなおさら。

 近郊ウォーキングには一家言あると主張する高齢組が、月河の歩数計をチェックして言うには「歩き過ぎ」なんだそうです。「この半分、とは言わないけど六掛けでいい」・・60パーセント?なんと微妙な。

 「この歩数なら、一日の仕事が終わってなお余力があって時間もある夕方、夕食も終わった後に、“こんなに歩けた!”っつって喜んで、水分補給してシャワーに直行しておやすみなさい、ぐらいでないと」「これから一日の仕事ってときにこんなに歩いたら、逆にもったいない、エネルギーも時間も」

 ・・確かに。新聞の『首相動静』によると、菅新総理も官邸に入り6時台後半にお散歩スタートして、7時台前半には、政治ジャーナリスト田崎史郎さんもよくご存じの(←『ひるおび』で先週言ってた)永田町の某ホテル内の、個室有りレストランに移動、都度いろんな人と朝飯会談に入ってますから、お着換えとかの時間も差し引けば正味いいとこ30分程度のウォーキングじゃないかと思います。アタマと足腰、心肺機能、血管系、胃腸消化管の「いざ出動」のウォームアップと考えるなら、散歩はこれぐらいが適当なのでしょうね。

 ・・でもねぇ。歩数と往復時間をを六掛けにすると、距離も六掛けになって、川面と、歩いて来た道と、街並みを眺望できる、張り出しバルコニーのあるいつもの橋まで行き着けない。あの眺めがないと歩いた気がしない。て言うか歩く意味もない。てことは早起きする意味も、早起きにそなえて早寝する意味もない。

 ・・・六掛けの歩数で行って帰って来られるコースを、今度は昼間、いまさらだけど近隣リサーチして開拓しなきゃダメかな?

 高齢家族の案「どうせマンションなんだから、階段上って降りて、もう一回上って屋上からそのへんを見て、また降りて終了にすれば」「外の人に見られないし、エレベーターの故障か避難訓練でもない限り、マンション住民も階段室は歩いてないから、パジャマに運動靴でもいいし」・・・確かにパーカーとか新調する必要はなくなって安上がり・・だけど、ほとんど刑務所の運動タイムみたいじゃないですか。こんな開放感皆無の非日常はヤダ。再考しましょう。

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早起き鳥が虫を食う ~眠りに就くまでが散歩だ~

2020-10-02 18:42:52 | 健康・病気

 早朝散歩のにはまって、良い事もあるかわり深刻に切実に困る事もありまして、まぁ前にも書いた、“着るもの・身に着けモノ系”の物要りが増えるなんてのは、いまある財力以上には消費したくてもできないわけだから全然カワイイほうです。

 まず、歩き始めて三日めぐらいに気がついたのは、朝、この時期の日の出前時刻に起床するのはそれほど難儀ではありません。高齢組と同居していますからね。

 問題は、翌朝の起床に合わせて早く寝るこれのほうが何億倍もタイヘンです。戦争のような騒ぎです。

 ざっと、たとえば5時30分にスタートしようと思ったら、洗顔し髪をまとめ、近所で目撃されても怪しまれない程度に気合いの入ったイデタチ=はぴだんぶいやぐでたま等のパーカーを颯爽と(?)身にまとい、ラジオやイヤホン、ガラケーも装備し、高齢組が「ウォーキングなら持たねば」と言ってきかない歩数計もどっかこっかに着け、途中で水分補給するためのミニボトルもバックパックに入れて準備完了!となるまで、最低でも35分から40分は要しますから、4時55分には完覚醒して布団から出なきゃなりません。

 4時55分に覚醒するためには、前夜は遅くとも23時台には就寝、もとい就眠していなければなりませんが、さらにそのためには、リモートワークのお題はもちろん、飲み食べから洗髪シャワー等床に入る前のルーティーンいっさいがっさいを22時30分には完了してなきゃいけない。自分と家族の飲み食い、調理・温め直しにかかわる後片付けは言うに及ばずです。

 22時30分に閉店ガラガラを前提にして仕事・生活を回すとなると、午後3時過ぎぐらいから、もう全力で本日の最後の追い込みです。そうでないと夕食の支度が後倒しになり、実食と片付けがさらに後倒しになります。

 3時に追い込みに入るためには、遅くとも午後2時には当日の仕事の“峠”は超えていなければダメです。今日はおやつに何食べよう?~なんてぼわーとしている暇は無い。

 早朝1時間の“日常の中の非日常”を味わうために2時間の早起きが必要になり、2時間の早起きを成立させるために、ざっと3時間の日課スケジュール前倒しが不可欠になる。

 “早起きは三文の得(とく)”とはよく言ったもの。早起きは早寝を要し、ひいては、起きて活動している時間をギュッと圧縮、濃密にすることでもあったのです。・・これ、困った事の様で、結局は生活のリニューアル、“改築”にもなったのだから、一周回って喜ばしい事でもありました。喜ぶにも、応分の汗はかかなきゃということです。

 ・・早朝散歩が連れてきた問題、もうひとつあるのですが、あらら、もうこんな時間だわ。「明日の朝の天気予報は高確率で雨」というときにでも、じっくりいきましょう。

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Do you remember セプテンバー ~大地と風と日と~

2020-10-01 18:53:51 | 四季折々

 またまたあれよあれよという間にカレンダーが一枚めくれてしまいました。

 9月は30日しかない“小”の月にもかかわらず、今年はしぶとい残暑から急に肌寒くなって、またちょっとぶり返したと思ったら、もう秋のお彼岸で日の高さが低くなっているので枯れ木も山の賑わいみたいなヘンな暑さ・・と高低差が、古い遊園地のジェットコースターみたいだったので、相対的に一か月が長く感じました。部屋の中に長袖、半袖、上物が入り乱れて仕舞うにしまえなくなっている向きも多かろうと思います。

 街を歩く人たちも、もう一重のロングコートを着ている人もいれば、相変わらずの半袖ポロにトレーナーひっかけている人もいる。いま時期ぐらい服装の“シーズン幅”がまちまちな時季もないでしょう。いつもの年ならインバウンドの皆さんが長めの夏休み?で、観光スポットでも商業施設でもないそこらを闊歩しているはずですが、欧米系白人の皆さんはヘタしたら10月半ばくらいまで半袖で、ブロンドのふさふさ腕毛を剥き出しで歩いていることが多かったのに対して、アジア系のお顔立ちの人たちはなぜか1か月半くらい“冬先取り”で、ウールのニットキャップにライトダウンまで着込んでいる人も見かけたものです。いまいち、渡航前の旅行者向け情報がタイムリーでないのでしょう。それともあれかな、欧米の肉食民族は体温が高いのかな。

 彼らエトランジェに比べると、やっぱりネイティヴの日本人は経験の積み重ねが違いますから、季節気候対応がこまやかで、ちょっとした気温や湿度の変動を、着るもの履きモノ、持ち物、小物アクセ等を調節して快適にしたり、安全にしたり、オシャレにしたりするセンスが研ぎ澄まされているなぁと実感します。

 9月ちゅうの個人的大変化と言えばまず、別に菅義偉新総理にあやかろうとしたわけじゃありませんが、シルバーウィークの後半から早朝散歩に覚醒しました。ジャンジャジャーン。(音楽は大友良英さん(『いだてん』)で)。

 ぼつぼつ朝は特に涼しくなったし、当地では特に、「涼しくなったと思ったら真っ逆さまに暖房必須」がつねですから、コートだ靴だと重装備しなくても乾いた地面を気軽に歩ける季節のうちに、車通りも人通りも始動前の時間の空気を吸い、空の色を見、風景を眺めてみよう、日常の中の非日常をたまには味わってみようと思ったのがきっかけ。やっぱり今年は当地らしくない夏終盤の暑さが、じんわりねっちり応えていて、季節の移ろいに貴重感や一期一会感が湧いてきたのかもしれません。

 薄手のパーカーに、9月の経済活性化(衝動買いとも言う)戦利品のひとつ=我らがはぴだんぶいのプリントトレーナーを重ねてフードを引っ張り出し、いざスタート。9月下旬の当地の日の出は5時20分から30分ぐらいですから、その10分後くらいに川の堤防通りを南進するタイミングで出ると、晴れた日はぱぁっと、曇りの日はそれなりに、燃える朝日が街並みの上に顔を出し、市街の西の山の斜面がそれを受けてくっきり立体的に見えます。まだ紅葉が進むには早いけれど、初夏から夏の滴る緑の山ではなく確実に“秋の顔”になっている。

 徒歩圏内でいちばん南端にある橋を真ん中まで渡って張り出しバルコニーからいま来た方向を見ると、川の水面にも朝日が映って部分的に砂金を流したよう。この橋はかなり幹線道路に近いのですが、この時間ならまだ車も疎らです。

 渡り切って山側の堤防通りに入り方向転換すれば今度は昇りゆく朝日を対岸に眺めながら北進。幸い、始めて3日ぐらい風の弱い、川沿いを歩くのに好適な朝が続いたのでわかったのですが、ちょっと薄曇りめぐらいのほうが、朝日の清浄さ、滾々たる生命力みたいなものを味わえますね。雲ひとつない快晴だと、それはそれで凛として気分がいいけど眩し過ぎて目を細めないといけないし、時間の進みが速いような気がして、うわわもう仕事の時間、社会の時間に突入しちゃう!?と気が焦ったりも。

 雲越しのほうがなんとなく「見守っているよ(^ω^)」という感じで尊いです。

 河川敷の石段にちょこっと降りて、ポケットラジオでNHKラジオ第一の“今日は何の日”を聴き、ラジオ体操に合わせて関節を動かしたりしつつ自宅に戻るコースへ。新聞の『首相動静』によれば、菅新総理の官邸敷地内お散歩はこの時間帯なんでしょうね。菅さんが起床いちばん、新聞全紙に目を通している時間に、月河はひと回りしてくるスタイルなわけ。

 秋分の日を通過してこれからますます日の出は遅くなるので、日の出に合わせてのスタートだと帰路が車の増えてくる時間に突入するようになったらちょっと億劫だなと思うのですが、その頃にはかなーり服装が“寒冷地”仕様じゃないと早朝の冷え込みに耐えられなくなっているはずなので、そのへんで今年はオフ入りかな。でも覚醒したばかりなのでできるだけ長く続けたい気も。日の出直前から、日の出後30分ぐらいまでは本当に、山も空も川も“黄金の時間”だったんだな・・と気がついた9月でした。

 そんなこんなでいま、人生でいまだかつて例をみなかったパーカーブームが訪れています。重ね着した上からガバッと着られるゆったりめで、耳や頬が温ったまるまでフードかぶっていられるやつ、ミルクボーイじゃないけど「こんなんなんぼあってもいいですからね~」。着る前からテンション上がる様なパッとした色柄の、今度探してこよう。ぼつぼつジップトップの首もとにもパイルのネックウォーマーが入り用になってくるしな。

・・運動系の中で、いちばんカネがかからない“種目”と思われる散歩ですが、なんだかんだで消費意欲をツンツンされてます。菅新総理、結構やってくれるじゃないですか・・・って、思い立ったのは月河の自助、つうか自発だからね。

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