イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

歌うカドには福来る ~噂の眞相婦人~

2024-03-30 20:32:54 | 朝ドラマ

 昨日29日NHK 『ブギウギ』、最終話。終わりましたねー。『らんまん』から、朝ドラレギュラー視聴に戻って、まさか2作も続くとは思わなかった。

 牧野富太郎博士の、破天荒、火宅の人な私生活がNHKの朝に本当に放送できんの??という怖いもの見たさ半分でスタートした昨年の春でしたが、秋には笠置シヅ子さん??月河がリアルを知ってるのは『家族そろって歌合戦』の審査員と洗剤のCMだけ。そういえばNHKが得意とするなつかしのメロディー系の番組でも、歌ってる姿を見たことのない、でも「ひところはすごい人気歌手だった」という情報だけが残ってる人だったな・・と、これまたドラマ化して成立するのか、半信半疑のスタートでした。

 最終的に、そういう半疑問に「成立するよ」「させたよ」と答えを出すためのワンクール、半年×2だったような。やればできるもんです。

 笠置さんが、何故さほどのご高齢でもないのに懐メロ歌手としてすら媒体でもナマでも歌わない後半生を選んだのか、そういう選択をする人になったのか。

 半年かけてその動機を探訪していったような物語でした。

 万太郎と寿恵子、夫婦両輪で頑張った、言わば二頭立てストーリーだった『らんまん』に比べると、早くにパートナーを亡くしたスズ子はワンオペで幼な子育児を頑張らざるを得なかった分、愛娘・愛子ちゃんに2~3週かまけているうちにいつの間にか「ブギの時代は終わった」「昔の様にカラダが動かない」ロートルにと世の中が変わり、福来スズ子もピークを過ぎた人になっていた。

 最後の一か月ぐらいは史実エピソードのつまみ脚色であっけない感じもしましたが、スズ子役=趣里さんのコメディセンスと見飽きない表情の豊かさでよくもたせた。

 “豊か”と言えば、大阪梅丸レビューガール時代のスズ子が両親の故郷・香川に帰省し偶然知った異父弟(実母だったキヌさんがスズ子を生んだあと農家に嫁いでもうけた子)の名前がゆたか

 戦後、東京ブギウギがブームを捲き起こした頃、ひょんなことから衝突して思いがけず親交をむすんだパンパンガールグループの若頭的お姐さんがランと、役名で趣里さんのご両親(水谷豊さん伊藤蘭さん)コンシャスな、含羞ある遊び心も随所に見られた。

 ざっくり言えばかなりの佳作だったのではないでしょうか。月河が三日以上録画ためっぱにしなかった、ってだけで結構な健闘です。

 音楽番組以外、特にドラマで、やたら出演者が歌って歌で尺を取るのは正当としない月河ですが、劇中でスズ子が歌うときには“ここは歌でないといけない”“この楽曲でないといけない”必然性があった。歌手が主役のドラマだから当たり前っちゃ当たり前ですが。

 趣里さんも、歌手界の先輩で戦友・茨田りつ子(淡谷のり子さんがモデル)役の菊地凛子さんも、歌唱が、いい感じに“女優さんの歌”で(言い換えれば‘うますぎない’)、ストーリーの流れや良き虚構感を邪魔しなかった。プロ歌手の歌唱をはめ込んだりしてたらこうはいかない。うまけりゃいいってもんではないのが、歌手ドラマのむつかしいところでもあるんですが、絶妙の場所に趣里さんという逸材が居たんだな。

 もうハマることはないだろうと思っていたNHK朝ドラ、結局、作りの洗練度とかこなれ方、下敷きにする情報の質量、かり出して来られる人材プールの厚みなど、やっぱり軽んじ難い底ヂカラを見せました。

 いつまでレギュラー視聴続くかな・・ってそれはこちらの対テレビ姿勢と、生活サイクル次第ですな。

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なんなのこのリズム ~明日へとつながる輪~

2024-01-30 22:03:17 | 朝ドラマ

 しばらく遠ざかっていたNHK朝ドラに、昨年からなんとなく戻ってきていました。

 朝起きる、行動開始するルーティンに噛み合うと、結局、おもしろいかおもしろくないかとかはあまり気にしない、引っかからないで、すんなり継続視聴しますな。このへんは、いまは無き昼帯ドラマ、高齢家族の好物=民放BSの韓国イルイルドラマと一緒。

 んで、継続すると、あなどれずおもしろいんだこれが。

 昨年4月~9月期放送された『らんまん』は主人公のモデルが明治~昭和にかけ、大学や学術団体に常勤せず在野で日本の近代植物学の礎を築いた牧野富太郎博士、現在絶賛放送中の『ブギウギ』は同じく戦中~戦後の歌謡界の“ブギの女王”笠置シズ子さん。

 でも、劇中ではそれぞれ役名が“槙野万太郎”(演・神木隆之介さん)、“福来スズ子”(演・趣里さん)。

 団体名、店名など固有名詞はもちろん、主人公の出生や来歴、人間関係も細かく変えたりズラしたりして、“実在人物の再現”ではないようにしてある。あくまでフィクション。

 ・・でも、ドラマ内で起きた事をモデルの人生年表に照合すると、「あ、アレはこの件の事だな」「ってことはあの人物は、牧野さんの、笠置さんの〇〇に当たる誰某って人だな」とわかるようになっている。

 ハーフフィクションとでも申しましょうか。この、もってまわった感じというか隔靴掻痒感というか、楽屋落ち感というか・・「わかる奴だけわかりゃいい」、もしくは、“わかろうとしなきゃわからない”感じが、継続視聴しているとなんともクセになってくるんです。

 同じNHKの看板枠でも、大河ドラマとはここが根本的に違うんですよね。大河は、どんなにアホでもガキでもスカでも徳川家康っつったら家康だし、ノッポでも羽柴秀吉だっつったら秀吉でしかないし、チビでも織田信長だっつったら信長だと思って見なきゃならない(特定の年度の、特定の作品を念頭に書いてはいないので悪しからず)。

 さりとて、まったくのオリジナルの、ゼロから立ち上げた架空の物語のような、どっちへ連れて行かれるかわからない寄る辺なさは無い。“晩年はああいう風で一生を終えた人だから、だいたいそのへんに着地して完、だろう”という、七~八掛けの安心感がずっとある。

 なんか自分トシとったなーと思う。こういう“ほどのよさ”をこそ、ドラマ視聴の快適さと感じるようになったわけです。

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まんぷく再び ~塩対応~

2018-12-30 22:13:53 | 朝ドラマ

 『今年の漢字』私案=“時”で思い出しましたが、NHKテレビ小説『まんぷく』は先週であきらめました。溜まっていく一方の録画の始末が億劫でしょうがなくなったら、連続モノは、それこそ“潮時”です。

 結局は、ヒロイン=福ちゃんがいつまでたっても好きになれなかったことが決定打かな。

 あの、語尾が“キィーーン”となるような金属音の発声がどうにも、いろんなところを逆撫でするんです。毎朝聞く声で、しかもヒロインだから出ずっぱり。出ない日は無し。

 会話していて、当惑したり焦ったりしたら頻繁に手で髪をいじる癖も、不潔感ってほどではありませんが幼児的で頼りない。

 序盤は、女学校出たての新卒ホテルウーマンだし、物慣れない中にも一生懸命さを表現する演技だと思っていたのですが、結婚しても、二児の母になってもまだキィンキィン言っていて、しかも夫の萬平さんはじめご家族も、たちばな栄養食品スタッフも、そんな福ちゃんを“いつも前向きでポジティヴ思考でへこたれない”“いろいろできる女性”と全面是としている。なんか、息苦しいんですよ。「そうじゃないだろ、普通に危なっかしいだろこの人」と見ていて思っても、そこを突いてくれる人物がいないし、そういう前提で展開しないので、息が詰まる。

 なにやら、10年ぐらい前の“NHK朝ドラヒロインってこれこれこんなイメージだから苦手”時代に戻ったような気がします。今作はヒロインが、見た目の可愛さやういういしさよりなんたって実力派!な安藤サクラさんということで、こっちがハードル上げ過ぎたかもしれない。

 それから、もうひとりの主人公=夫の立花萬平さんも思いのほか魅力発揮が難しかった。やはり実話・実在人物ドラマ化の弊と言うべきか、実際の安藤百福さんは台湾生まれ台湾国籍の台湾人で、それゆえのいろいろな苦労もし、差別や挫折も経験しておられるのですが、日本経済新聞の『私の履歴書』でも意識的に伏せたりぼかしたりしていたところがあったくらいですから、NHKの、それも毎朝のドラマにリアルに描出するのは到底無理で、差し障りあるか、あるかもしれない要素はあらかたオミットして“天涯孤独の、浮世離れしたアイディアマン”一本やりで机上で造形したために、どこが凡人と比してすごいのか、秀逸なのかよくわからない、ただの世渡り下手で人を使えない理系オタクみたいになってしまったと思います。

 目のつけどころや着想力でアッといわせ「この人おもしろい!」と視聴者を惹きつけていくには、何度も延々投獄拘束され過ぎ。ここも、実際の百福さんに起きた事ですからドラマに入れないわけにはいかないけれども、国籍・出生という大原因を無いことにしたために、腑に落ちる感の少ない、無駄にストレスフルな話になってしまった。

 克子姉の夫で画家の忠彦さんが、出征前は専ら鳥の絵を描いていたのに、色覚を失って復員、画風が変わるとなぜか魚類、海の幸系専門になったり、戦時中憲兵から逃げ回って放浪していたかつての萬平の事業パートナー・加地谷が、更生して再会したときなぜかチンドン屋になっていたりと、シュールで「おい!」とテンション上がる展開も随所にあったのですがね。加地谷に関しては、スタッフが片岡愛之助さんのチンドンメイクを見たかったからとしか思えないんですけど。

 朝ドラでなく、三年ほど前に複数シリーズで放送された『経世済民の男』の様な仕様で、夜の深い時間の放送なら、かなりいけたかもしれません。個人的には、立花夫妻よりむしろ、「いまの世の中、いいも悪いもない。あるのは不公平だけや」と言い切った、天性の世渡りプロ=世良のスピンオフを見たいですね。

 長谷川博己さんは、次々回作の2020年大河ドラマ『麒麟がくる』明智光秀役で主演が決まっていますからそちらに期待しましょう。活躍中のアラフォー俳優さんの中では、明智光秀にいちばん似合いの人だと思うので。

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まんぷく ~カムバック蘭丸~

2018-11-09 14:55:42 | 朝ドラマ

 10月から始まったNHK朝ドラ『まんぷく』はどうでしょうね。

 放送開始のずいぶん前から、日清チキンラーメンの父・安藤百福(ももふく)さん夫妻のお話と聞いていたので、日本におけるインスタント麺の勃興と発展とともに育ってきた世代として、月河も大いに期待していました。『ゲゲゲの女房』と似た動機で、同じくらいの体温でしたね。

 11月に入って、いま6週めですが、こんなもんなのかなーという感じですね。安藤サクラさん扮するヒロインの福ちゃん=福子さんと、長谷川博己さんの萬平さん、ここまでいい場面が幾つもあったんですけど、どうしても、見てるだけで自然にウフフッと頬がゆるんできて、この二人の人生をずっと見ていたいと思える“お似合いのふたり”に見えてこないのが惜しい。何というか、“きれいめのオタク中年がゆるキャラマスコットを愛しんでる”みたいなんですな。

 長谷川博己さんも安藤サクラさんも演技力の点では何の心配もない、いい役者さんだし、好きか嫌いかで言えば好きなほうなんですけど、組み合わせて夫婦役やカップル役に映えるかどうかは、演出や個々のキャラもあるしなかなかむずかしいですね。

 6週めというと同路線の“夫婦もの”朝ドラ『ゲゲゲ』では布美枝さんがしげるさんの漫画のベタ塗りなどのアシを始め、そこへしげるの悪友というか“男のヒモ”みたいなイタチこと浦木が入り込んで「少年戦記の会」なるファンクラブの看板を掲げ、怪しい模型付録つけてちゃっかり便乗小金稼ぎを目論むなんてエピをやっていましたし、『あさが来た』では炭鉱事業に前向きになるあさをよそに新次郎の朝帰りが続き、心配した姑が妾を囲うよう勧めて、あさも「旦那様に跡取りを」と一時はハラをくくったものの「・・やっぱりイヤや!」と本音を訴え、改めて夫婦の深い絆を確かめ合うというくだりがありました。

 どちらも毎朝、劇中夫婦のちょっとしたアイコンタクトや2ショット場面の空気感に、ふんわかニマニマしながら、夜、録画を再見、再々見してまで見入っていたものです。

 今作『まんぷく』ではヒロインと相手役の幼少時代や遭遇エピを語る“子役パート”がなく、第一話から本役の俳優さんたちが登場して、第1週の最後は実質プロポーズだったし、“夫婦もの”の軌道に乗るのは早かったはずです。

 演技力で押す派の安藤さんが、若妻の初々しさや一生懸命さを表現するために、殊更高い声で芝居しているのも一因かもしれません。「あ~、久しぶり~」みたいな、語尾だけどうしてもカタカナで表記したくなる金属音、まさに“ゆるキャラの声優吹き替え”っぽいんですが、特に朝の台所で、背中で音声だけ視聴だと、意外なほど耳障りです。

 第1話、昭和13年に高等女学校新卒で大阪東洋ホテルに就職した設定の福ちゃん、現在放送中の昭和21年初夏には二十代半ばのはずで、実年齢32歳のサクラさんがそんなにセリフ言いの面で若作りすることはないと思うんですが。

 劇中、“結婚して間もなく戦争が激化し、夫が特高に誤認逮捕されて不当な取り調べを受け健康を損なう”“空襲が迫り、福子の母とともに縁故疎開、終戦後は子だくさんの次姉宅で仮住まいを余儀なくされる”という流れもあって、この夫婦、なかなか夫婦らしい夫婦生活が持てないでいることも一因かもしれない。

 仲が良いことはわかる、福ちゃんが萬平さんの才能と人間性を心から信頼している一方、萬平さんは福ちゃんのほんわか笑顔に最初からぞっこんだったというのもとてもよくわかる。んでも、どうも、空気が熟してこないんですよ。

 萬平さんのように生活感のない相手役というのは、朝ドラでは珍しくなく、むしろ好感をもって受け入れられることが多いです。家族や肉親との縁がうすく天涯孤独の萬平さん、アイディアや技術は優秀だがカネ勘定や営業に疎く、苦労人なわりには浮き世離れしていて、食糧難の時代でもカスミを食って生きてるような雰囲気があり、“生活担当”のはずの福ちゃんがそれに対して、「萬平さんは立派な発明家です!」「萬平さんだからできることがきっとあります!・・私が見つけます!」と全肯定で、そこに摩擦係数がまったくないのも、逆に、夫婦間の熟しが進まない原因かもしれない。やっぱり、“オタクとゆるキャラ”の自給自足相愛ワールドなんです。

 喩えとして適切かわかりませんが、モデルが日清の安藤さんだけに、星野源さんと吉岡里帆さん演じる『どん兵衛』CMどんぎつねシリーズを思い出させるところがある。あれくらいのリアル感の希薄さ。想像上の動物との交流だからリアルに男女関係になる事は100%ない前提のあのしつらえと、誰もが見てわかる分、ふんわかニマニマくすぐったくなる度はこちらのほうが上で、成熟しているとさえ言える。

 ・・・それもあって、福子母の鈴さんが、顔さえ見れば「なぜ子供をつくらないの、早く孫の顔を見せて」「つくりなさいホラ、私がいるからつくれないなら、私は別の部屋で寝るからホラ」という調子なのも、あの時代には普通なこととは言えドラマとして見てるとやっぱり邪魔くさい。鈴さんを演じる松坂慶子さんが、こちらは演技派臭とは対極の、お若いときから変わらない天衣無縫な感じなので、だいぶしつこさが薄められるとはいえ、これだけ生々しさの希薄な夫婦ものドラマに、露骨な“子作り圧力ぶっ込み”は、女性視聴者の感覚でどう受け止められているのか。

 萬平さん≒安藤百福さんが、ふとしたヒントからスープでもどすフライ麺を思いつくところなど是非見たいので、継続視聴するつもりではいますが、朝のBS放送分の録画のアタマと尻尾を編集して、再生して見てからディスクに移す時間が、だんだん後回しになってきました。

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39(サンキュー)昭和

2017-04-17 01:34:29 | 朝ドラマ

 久しぶりに戦争を跨がない昭和ものということで『ひよっこ』、早くも”昭和39年あるある””あったあった”で盛り上がってますね。いま日本でいちばん人口シェアの大きい団塊世代が、多感で好奇心旺盛な思春期を過ごしていた時期ですからそりゃもう小道具のひとつひとつ、劇中人物が口ずさむ歌の一節一節まで、引っかかって「いまのはねー・・」と語り出したら果てしがないという。

 たぶんドラマの背景・時代設定としては現時点で最強のハズレのなさでしょうな。なんたって、愛されてます。白黒テレビや手押し式スイッチの炊飯器や小麦粉から炒めて作る真っ黄色いカレーが懐かしいだけじゃなく、あの頃の自分、いまなら当たり前以下でしかないすべてのものが目新しく、有り難くてしょうがなかったピュアでイノセントな自分が愛おしい。みね子(有村架純さん)の笑顔や涙を通して、イージーでエゴくて人工的な時代に毒された自分を洗い流している様な気分になります。

 ヒロインが”東京五輪を高校最後の年に見る”という点がドラマ上重要です。

 放送時制で昭和39年の秋にいるみね子は、翌昭和40年3月高校卒業見込みですから、ドラマが始まる前の時制で病気休学でもしていない限り昭和21年4月2日から22年4月1日までの間に生まれているはず。もちろんド戦後生まれですが、のちに広く称される所謂”団塊の世代”とは微妙に違います。

 日本で言う団塊世代とは、アメリカで言う”ベビーブーマー”とはちょっと色合いが違い、昭和20年8月15日の終戦後、同10月頃から始まった復員ラッシュで、いままで軍にかり出されていた成人男性たちが、女性たちの待つ本土に大量に戻ってきたことでもたらされた子供たちの事を言います。ですから誕生日で言えば早くて21年8月頃。もう少し後の、22年~23年生まれが、いつでも国勢調査で人口ピラミッドのピークを成します。

 みね子の誕生日は現時点では劇中で明かされていませんが、もし21年7月までの生まれならはっきり統計上も、意味合い的にも”団塊”からは外れています。お父ちゃんの実さん(セクスィー農業沢村一樹さん)は農家の長男で家長ゆえに召集を免れた可能性もあるので、みね子は玉音放送が流れる前、ひょっとすると、20年6月の静岡に続いて7月には千葉が仙台が宇都宮が・・と本土都市部の空襲が続いていた戦争末期に身籠られた子かもしれません。少なくとも、みね子と同じく昭和40年春の卒業を待つ学年の仲間にはそういう、”純粋な戦後”生まれではなく”たまたま戦後になった”生まれの子が、多くはないが居たはずです。

 そもそも”団塊世代”という表現は1970年代も後半に、堺屋太一さんのベストセラーにもなった著書のタイトルで使われてから定着したものであって、昭和39年時点ではそんな言葉も概念もありませんでした。

 月河の実家両親とそのきょうだい(伯叔父母)たちは、生まれた年代が大正終わりから昭和一桁世代に集中していますが、彼らはよく所謂”戦後のドサクサ”の中でタネを仕込まれ、あっちこっちでドサクサドサクサと生まれまくった子たちのことを”終戦っ子”と呼んでいました。

 彼らに言わせれば、昭和21年の、特に前半生まれは”戦後生まれ”ではあり、歌のタイトルにもなった”戦争を知らない子供たち”ではあっても、”終戦っ子”ではないのですな。団塊が生まれ終わったずっと後に生まれた月河なんかから見ると、なーんだかゲスい話ではありますが、戦前戦中をも知ると自負している彼らにとっては、玉音放送を聞く前にお腹の中に居た子か、聞いてからホッとして(しなくてもいいが)やおら仕込んだ子かの違いは、ひそかに重要らしいのです。

 みね子と同じく昭和39年の秋に高校3年生として東京五輪の喧騒に接し、翌40年春に卒業を迎えた皆さんの中には”戦争末期仕込み”と”終戦ホヤホヤ仕込み”の2つのカテゴリが存在する。後者の後半グループ、特に昭和22年の早生まれ組は微妙に”団塊”に半身突っ込んでいますが、みね子学年は社会に出ても、自分たちの”一期二期下”でたいへんな人間洪水が起きるのを一段”陸(おか)”で眺めるようなところがあったのではないかと思います。まだ人数の圧力で扉が開かれていない、道がついていないだけに、パイオニア・先兵としての苦労もあれば、逆に自由で高揚感も大きかったかもしれません。

 『ひよっこ』も、ドンズバ団塊世代の青春譜というより、東京五輪をひとつの契機にふくらんでいく時代の”先触れ役”としてみね子たちを見たほうがいいのかもしれない。大きな流れに巻き込まれたり押し流されたり、逆にラクして乗っかったりするのではなく、流れの先陣にいて、あらゆる風景を真っ先に見て、感じて、反応していく、そういう物語になって欲しいと思います。

 ところで、そんなことを考えていたらふと思い出しました。日本はその後めでたく再び戦争を経験することはなくここまで来ていますが、西暦1989年に”昭和”から”平成”に元号が変わるという、これはこれで大きな節目イベントがありました。

 なので、同じ一つの学年に”昭和63年(4月2日~12月31日)生まれ”と”昭和64年(1月1日~7日)生まれ”と”平成元年(1月8日~4月1日)生まれ”の3カテゴリが共在したわけです。2007年=平成9年3月に高校を卒業した皆さん。今年から来年にかけてそれぞれのお誕生日を迎えて満29歳になりますね。有名人芸能人にも数多いと思いますが、変り目、節目の生まれってどんな時代にもあるものです。

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