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らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

「シュウメイギク(秋明菊)」の花

2009-10-21 | 
秋の深まりとともに菊の蕾も開き始め、来週くらいから菊花展のシーズン到来となります。
今日は菊花展とは直接関係関係ありませんが、菊の名前がついていながら実際には菊でなく、アネモネの仲間である、「シュウメイギク(秋明菊)」をご紹介します。

「シュウメイギク(秋明菊)」はキンポウゲ科アネモネ属の多年草で、別名を「キブネギク(貴船菊)」と言い、欧米では「ジャパニーズ・アネモネ」と呼ばれています。
原産地は中国で、日本にはかなり昔に渡来し、山野に野生化した帰化植物です。
別名の「キブネギク(貴船菊)」は京都市北部の貴船地方に古くから野生種が多く、栽培も盛んだったことからつけられたといわれています。

・我が家の庭に咲いている「シュウメイギク(秋明菊)」です。


「シュウメイギク(秋明菊)」の名前の由来は、秋に菊に似た花を咲かせるところからつけられました。
草丈は50~100cmになり、9~10月にかけて、数本の花柄を長く伸ばし、直径5㎝前後の花を1個ずつつけます。

・このように茎の節から花柄を数本伸ばし、その先に1個の蕾をつけます。


野生種は紅紫色で、八重咲きの平らな花をつけますが、近年は他種との交配品種が市販されるようになって、白色や花弁数の少ない品種が多く栽培されるようになりました。

・一重咲きの白色品種です。


・茎に対生し、3裂してしている「シュウメイギク(秋明菊)」の葉です。



「花言葉」  忍耐

(ご参考)
 なお、アネモネ(Anemone)は、ギリシャ語の「風」が語源で、「風の花」の意味だそうです。



皇后陛下のお誕生日と弟橘比売(おとたちばなひめ)」の入水物語

2009-10-20 | 雑学

皇后陛下:美智子さまは今日、75歳のお誕生日を迎えられました。
 
産経ニュース報道によれば、皇后さまは、1年ほど前に世界的な金融危機が生じ、日本でも多くの人が職を失うなどの影響が出たことを「この1年、最も案じられたことでした」と感想を述べられています。
更に、オバマ大統領が核兵器廃絶を訴えた「プラハ演説」にも言及されて、「被爆国である日本は、このことに対し、国際社会により広く、より深く理解を求めていくことが必要ではないかと考えています」との思いを示されています。
宮内庁によると、皇后さまのお立場でこの1年になさった公務は400件に上ったようです。このうち、地方への公務なご訪問は7府県9回で、7月には2年ぶりの外国ご訪問(カナダ、ハワイ)も果たされました。


・皇后陛下お誕生日に際してのご近影(お写真)です。(宮内庁HPより)
天皇皇后両陛下のお写真

「弟橘比売(おとたちばなひめ)」の吾妻における入水の物語   
さて、皇后陛下:美智子さまは、国際児童図書評議会名誉総裁に就かれ、その特徴あるご活動として、児童への図書普及への取り組みをされています。
1998年には、インドで開催された国際児童図書評議会における、ビデオによる基調講演の「子供時代の読書の思い出」では、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の妃
「弟橘比売(おとたちばなひめ)」の、吾妻における入水の物語などを引用して、ご成婚以来のその胸中を語り、世界中に大反響を呼んだことがありました。
その講演内容は『橋をかける』という題名で、各国に出版されたそうです。

引用された「弟橘比売(おとたちばなひめ)」の吾妻における入水の物語の概要とは次のような内容です。
 『弟橘比売(おとたちばなひめ)」は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の后で、尊の東征に同行します。
 走水(はしりみず)の海(現在の浦賀水道)に至った時、尊の軽はずみな言動が海神の怒りを招き、海は荒れ狂い、先に進むことが不可能となりました。
 海神の怒りを解くため、弟橘比売は「私は夫である皇子の身に代わって海に入水します。どうぞ皇子の東征を護らせ給え」と念じて浪の上に菅畳、皮畳、絁畳を
 各八重敷いてその上に座って入水しました。
 すると、波が穏やかになり船を進めることが可能となりました。
 彼女が持っていた櫛は7日後、海岸に流れ着きました。

 現在の東京湾沿岸には、こゆるぎという地名や袖ヶ浦、袖ヶ浜などという地名が多くありますが、これは弟橘比売の帯や袖が流れ着いたという伝説に基づいて
 名付けられたといわれています。

 弟橘比売を忘れることができない尊は、碓日嶺(うすひのみね)(現在の碓井峠)において「吾妻はや(我が妻よ)」と嘆いたそうです。
 日本の東部を「あずま)」と呼ぶのは、この故事にちなむといわれています』(ウィキペディアより)




サツマイモの花

2009-10-19 | 家庭菜園

今日は、本州では滅多に見られない珍しい花、「サツマイモの花」をご紹介します。
先日、サツマイモの畝に一輪の花が咲いているのを発見しました。その日はカメラを持参していなかったので撮影できず、翌日、畑に出向いたところ下の画像のように萎んでいました。
そこで、産経ニュースより開花の画像を拝借してご紹介します。

サツマイモの花は、短日性(日長時間が短くなること)であるため本州などの温帯地帯では、開花しにくく、品種や栽培条件によって稀に開花する程度だそうです。
このため、農業関係者が品種改良をするときには、アサガオなど数種類の近縁植物に接木して、台木から送られてくる養分や植物ホルモンなどの働きによって開花を促進するという技術が使われるようです。

私は、現在まで十数年にわたってサツマイモを栽培してきましたが、サツマイモに花が咲くことは全く知らず、勿論、花を見たのは今回が初めてです。

・これが本州では殆ど目にすることのない「サツマイモの花」です。(産経ニュースHPより)
  東京で咲くのは珍しいサツマイモの花=東京都練馬区
私の畑に咲いた「サツマイモの花」は、この画像のように淡いピンク色の花弁で、朝顔によく似た可憐な花でした。
サツマイモは短日植物で、昼間の長さが短くなって11時間以下になると開花するようです。
開花するための条件は、他にも日照時間、気温や降雨、施肥量や定植時期などがあり、それらの条件が満たされないと開花しないので、本州での開花は非常に珍しいといわれています。

・下は我が家の畑に咲いた後、翌日に萎んだ花です。萎んだ状態もアサガオの花とよく似ています。
 なお、サツマイモは自家不和合性(自らの花粉で結実しない)が強いため、開花しても種子はできにくいようです。


「芋ほり」
今年は、4月に「なると金時」の品種20本を1畝に、6月下旬に「紅はるか」、「カンパチ」「土佐紅」の3品種40本を2畝に分けて植えつけました。

・これが今年植えつけた3畝です。左端の畝が「なると金時」です。
 花が咲いた畝は真ん中の畝で、種類は「カンパチ」という品種です。


先日の芋掘りでは、4月に植えた「なると金時」の1畝を掘りました。
今年は雨が少なく、夏に蔓枯れが発生したため生育が悪く、1株につき1~2個の収穫にとどまりました。
このため、下の画像の右側の芋のように、細い数個の芋がくっついてできたような形の悪い、大きな芋が1個のみという株がたくさんありました。


「紅はるか」など、残る2畝はもう少し収穫時期を遅らせて掘る予定です。





「冷凍食品の日」とは

2009-10-18 | 雑学

10月18日は「冷凍食品の日」だそうです。
そこで、今日はこの日に因み、「冷凍食品」について調べて見ました。

「冷凍食品とは」
先ず、「冷凍食品」とは、長期保存を目的に冷凍状態で製造・流通・販売されている食品を言い、「冷凍食品の日」とは、その冷凍食品の販売促進を目的に、社団法人日本冷凍食品協会が1986年(昭和61年)に制定した記念日で、毎年10月18日となっています。
この日になった経緯は、冷凍の「凍」を10(とお)と、冷凍食品の標準管理温度であるマイナス18度にちなんで、10月18日に決められたそうです。

「冷凍食品の発祥」
冷凍食品の発祥地はアメリカといわれています。
1900年代のアメリカ合衆国において、余り日持ちしないジャム加工用のイチゴを輸送に適するために冷凍したのがその興りだと言われています。
1920年代以降、冷凍冷蔵庫の普及とともに一般家庭に広まりましたが、本格的に冷凍食品が普及したのは1960年代で、日本では1965年(昭和40年)以降と言われています。

「冷凍食品の定義」
冷凍食品については日本では、法律や規制、基準などによりさまざまに定義されていますが、世界で共通する次の4つの条件を備えたものが、厳密な意味での冷凍食品となるようです。
①下処理をしていること。
 魚の場合、骨や頭、内臓などの不可食部分を除去していること。
②急速冷凍をしていること。
 食品を冷凍する際、組織が壊れて品質が変わらないように、非常に低い温度で急速冷凍をしていることです。
③消費者包装がしてあること。
 包装することにより、流通過程における汚染や乾燥、酸化から食品を守ります。
 また、包装には消費期限や保存方法などの必要事項の他に、認定証やJASマーク、保存上の注意事項などの表示がなされていること。
    認定証マークは安心の証
④品温をマイナス18度以下にしてあること。
 生産、貯蔵、輸送、配送、販売の各段階を通じて、一貫して冷凍食品の品温がマイナス18度以下を保っていること。

(参考)
冷凍食品は、水分や油脂が凍結・凝固する程の低温にすることで微生物の活動を抑え、長期間にわたって保存できるのが特徴で、その温度はマイナス18度以下とされ、日本冷凍食品協会によれば製造後1年程度にわたって保存できるようです。

「冷凍食品の注意点」
1.マイナス18度以下で保存すること。
2.一度溶けたものは再凍結させず、早めに使い切る。
  風味や鮮度が著しく落ちるようです。
3.結露した冷凍食品を油で揚げると水分が急速に気化し、熱い油が飛び散ってやけどや火災の原因となるようです。
4.賞味期限を守ること。
  余り長く保存すると乾燥してしまい、解凍してもパサパサになるそうです。
5.運搬中はできるだけ溶かさないようにすること。
  買い物をする場合は最後に購入し、できるだけ早く持ち帰って冷凍庫に入れてください。

冷凍食品といえば2007年に発生した赤福餅の冷凍保存による製造日偽装や、2008年1月に発生した中国製冷凍餃子の毒入り事件など、食の安全性に問題を投げかけましたが、冷凍技術の向上によって、場合によっては生鮮品より割安になり、しかも手軽に美味しく調理できることから、冷凍食品は上手に利用したいものですね。


太陽光の下に咲いた「月下美人」

2009-10-17 | 
誰も見ていない夜に咲く、はかなくも美しい一夜だけの花「月下美人」。
この美しい花も夜が明けると萎んでしまい、明るい太陽の下での開花を見ることは殆どありません。
今日はその珍しい、太陽光の下に咲いた「月下美人」の花をご紹介します。

我が家の「月下美人」については、今年最初の開花を7月28日の当ブログでご紹介しました。
通常、「月下美人」は手入れをきちんとすれば、年に2~3度咲くといわれています。
その手入れとは、花を咲かせるだけの栄養素の蓄積や体力回復のゆとりが成長期に十分あることが要件とされていますが、我が家では、特別に、何ら手入れもていませんが、今年は4回の開花をみることができました。

・今年4回目の開花を見た、夜9時頃の「月下美人」です。


純白の「月下美人」は、いつ見ても見飽きすることなく、その名のとおり素晴らしい花です。その鮮やかさに心を奪われる感じがします。

・横から撮影したところです。


冒頭に書きましたように、「月下美人」の花は、誰も見ていない夜に咲く、一夜だけのはかなく美しい花で、翌朝には萎んでしまいますが、我が家の此度の開花は、翌朝、太陽が昇ってきても未だ美しい姿を見せてくれました。

・翌朝6時頃の月下美人です。太陽が昇ってきましたが、まだ萎れずに開花しています。


午前7時頃、太陽はだいぶ高くなり、秋の陽光が家全体を包み、庭にも差し込んできましたが、その美しい姿は未だ保っています。
過去、何回も「月下美人」の開花を見てきましたが、このような明るい時間帯での開花を目にしたのは初めての経験です。

・これが、明るい太陽の下で見る「月下美人」の花です。


・午前8時30分になって、漸く萎みはじめました。
 我が家の「月下美人」の今年の開花は、恐らく、これが最後だと思います。
 この「月下美人」、感謝の気持ちを表して、我が家に微笑んでくれたのでしょうね。


(参考)
・これは7月28日の時の画像で、開花の翌朝5時過ぎの「月下美人」です。
 太陽光は差し込んでいませんが、明るくなるとこのように萎みます。


・縦になっている葉の縁の中央にある窪みに、小さな緑の丸いものが見えますが、これが成長して蕾となる芽です。
 これから秋の深まりとともに気温が下がってくるので、この芽は成長することなく、枯れると思います。


「月下美人の名前の由来」
明治時代の台湾駐在大使であった田(でん)氏(元、参院議員・田英夫氏の祖父)が、昭和天皇にこの花の名前を尋ねられ、とっさに「月下の美人」と答えられ、その後、この名前が定着したことが由来と言われています。

なお、「月下美人」の花の成長過程については、7月28日の当ブログ「月下美人ー蕾から開花までー」をご参照ください。





世界遺産「熊野本宮大社」(その2)「日本第一大鳥居」ほか

2009-10-16 | 旅行
今日は、「熊野本宮大社」の旧社地「大斎原(おおゆのはら)」の大鳥居と湯の峯温泉の「小栗判官蘇生の由来」などについてご紹介します。

「八咫烏(やたがらす)の由来」
八咫烏は日本神話で、神武東征の際に、タカミムスビによって神武天皇の下に遣わされ、熊野国から大和国へ入る険路の先導をしたとされる3本足の大烏です。
3本足の八咫烏は一般に不吉の鳥といわれていますが、「熊野本宮大社」では主祭神の「家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)」の御神徳である、「智、仁、勇」或いは「天、地、人」を表しているといわれており、熊野では神の使者とされているようです。
現在では、日本サッカー協会のマークに使用されていることもあり、よく知られた存在となっています。
なお、咫(あた)とは、上代の長さの単位で、手のひらの下端から中指の先端までの長さを言います。

・上四社南にある拝殿です。左右に丸い八咫烏(本宮八咫烏)が並んでいます。


「日本第一大鳥居」
この大鳥居は、熊野本宮大社・熊野信仰の原点となる大斎原に建立された日本最大の第一大鳥居です。
高さ約34m、幅約42mで、鳥居の中央には八咫烏が掲げられています。

なお、神社の門の一種である「鳥居」の起源については諸説ありますが、確かなことは分かっていないようです。
一説には、天照大神を天岩戸から誘い出すために鳴かせた常世の「長鳴鳥(鶏)」に因み、神前に鶏の止まり木を置いたことが起源とする説や、インド仏教など海外に起源を求める説などがあります。
文献では、古くは「於不葦御門(うへふかずのみかど)」と称して、奈良時代から神社建築の門の一種としており、8世紀ごろには現在の形が確立されたそうです。

・旧社地「大斎原(おおゆのはら)」の日本第一大鳥居です。



・旧社地「大斎原(おおゆのはら)」に通じる参詣道です。
 史上有名な「熊野御幸」はこの聖地で、宇多上皇(887年~897年)より亀山上皇(1259年~1274年)に至るまで、歴代上皇、法皇、女院の行幸は百数十度に及んだ 
 そうです。


熊野本宮大社の旧社地「大斎原(おおゆのはら)」は、樫の枝に神々が3枚の月形となって降臨した地と伝えられています。
明治22年(1889年)の熊野川大洪水まで、熊野本宮大社はここに鎮座していました。
この大洪水では、八神殿は倒壊、主神の四神殿をここより上流700mの高台に遷座されています。(昨日ご紹介した場所です)

・熊野本宮大社の旧社地「大斎原(おおゆのはら)」です。


「湯の峯温泉」
湯の峯温泉は、第13代成務天皇の代に発見された日本最古の温泉として知られており、ここ、東光寺が最初の噴出地(湯元)といわれています。
この湯の峯温泉は、特に、頭痛にあらたかと言われているそうです。


「小栗判官蘇生の由来」
小栗判官とは、室町時代の常陸の国、小栗15代城主・小栗彦次郎平助重のことです。
1423年(応永30年)8月2日、小栗城は足利持氏の攻撃を受けて落城します。
一族を頼って落ち延びる途中、毒殺事件に巻き込まれますが、他阿太空上人(たあたいくうしょうにん)に助けられ、九死に一生を得ます。
その後も長い旅路を、多くの人に助けられながら、なんとか、ここ湯の峰温泉に辿りつきました。
そして、薬王山東光寺の薬師如来に平癒を祈願し、霊験あらたかな「つぼ湯」で療養した結果、湯の峯の功徳と熊野権現の大きな加護を得て、小栗彦次郎平助重は蘇生して本復を遂げたという伝説です。



・小栗彦次郎平助重が療養したと伝えられている「つぼ湯」です。



(参考)
判官とは、律令制の四等官の第3位で、次官(すけ)の下、主典(さかん)の上に位する地位です。
よく知られているところでは、源義経が九郎判官といわれていますね。




世界遺産「熊野本宮大社」(その1)

2009-10-15 | 旅行

和歌山県、奈良県、三重県にまたがる三つの霊場と参詣道(熊野参詣道、大峯奥駈道、高野山町石道)は、「紀伊山地の霊場と参詣道」の名称で世界遺産に登録されています。
先日、Kさんに案内していただいた「熊野本宮大社」は「熊野三山」の一つで、世界遺産に登録されているお社です。
今日はこの熊野本宮大社をご紹介します。

「熊野本宮大社」
熊野本宮大社は、家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)を主祭神としており、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)の首位を占め、全国に散在する熊野神社(五千数社)の総本宮で、熊野大権現として知られています。

主祭神の家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)は別名:須佐之男命(スサノウノミコト)といわれ、樹木を支配する神で、紀ノ国(木の国)(きのくに)の語源もここから起ったといわれています。

・熊野本宮大社の鳥居です。


・熊野本宮大社へ通じる階段です。


「熊野本宮大社」の由来
「熊野本宮大社」の由来は、降臨神話が始まりとされているようです。
その降臨神話とは、崇神天皇65年に熊野の連(むらじ)大斎原(おおゆのはら)において、大きな櫟(いちい)の木に三体の月が降りてきたのを不思議に思い、「天高くあるはずの月がどうしてこのような低いところに降りてこられたのですか」と尋ねたところ、その真ん中にある月が答えて曰く、「我は證誠大権現(家都美御子大神)」であり、両側の月は両所権現(熊野夫須美大神・速玉之男大神)である。社殿を創って斎き祀れ」との神勅が下され、社殿が造営されたと伝えられているものです。

・熊野本宮大社です


・「速玉大神」のお社です。



「熊野古道」
熊野古道とは、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へ通じる参詣道の総称をいい、主に六つの古道があるようです。
その内の紀伊路と中辺路ルートには、大阪の基点であった淀川河口の渡辺津から熊野三山までに100近くの熊野権現を祭祀した「九十九王子」があったようです。

熊野古道の「九十九王子」とは、熊野古道沿いに在する神社のうち、主に12世紀から13世紀にかけて、皇族・貴人の熊野詣でに際して、先達を務めた熊野修験の手で組織された一群の神社を言い、参詣者の守護が祈願されたようです。
「王子」とは、参詣途上で儀礼を行う場所で、儀礼とは主に経供養(読経)のことを言っているようです。

・「天照大神」のお社です。


・「家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)」のお社です。


世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」
2004年7月に「紀伊山地の霊場と参詣道」の名称で文化遺産として世界遺産に登録されました。
紀伊山地は、神話の時代から神々が鎮まる特別な地域と考えられていました。仏教においても深い森林に覆われた紀伊山地の山々を阿弥陀仏や観音菩薩の「浄土」に見立て、仏が持つような能力を修得するための山岳修行の舞台となりました。
その結果、紀伊山地にはそれぞれの起源や内容を異にする「吉野・大峯」、「熊野三山」、「高野山」の三つの「山岳霊場」と、そこに至る「参詣道」が生まれました。
これらの山岳霊場には、都を始め全国から人々が訪れるところとなり、日本の宗教・文化の発展と交流に大きな影響を及ぼしたといわれています。
更に、これらの自然の景観が文化的景観とされ世界遺産に登録されたものです。


 


カヌー工房の見学

2009-10-14 | 旅行

先日、ご近所のKさんご夫妻に、カヌー工房の見学と渡瀬温泉、湯の峰温泉、それに世界遺産の熊野本宮大社など熊野方面を案内していただきました。
今日と明日は、この時見学した「手作りカヌー工房」と世界遺産の熊野本宮大社をご紹介します。

初日の今日ご紹介する手作りカヌー工房は「乙女のカヌー工房」と言い、ここの指導者の指導の下に、各自がカヌーを製造するものです。

・「乙女のカヌー工房」の正面です。


この工房では、今までに100名以上の人たちが自分のカヌーを造り、ある者は川に浮かべて渓流下りを楽しんだり、またある者は海に浮かべて魚釣りなどのレジャーに使用しているそうです。

案内していただいたKさんご夫妻も、この工房で作ったマイ・カヌーを所有しており、工房主催の渓流下りレースに出場たり、ご夫妻でカヌーに乗ってレジャーを楽しんでいるそうです。

では、手作りカヌーの大まかな作業工程をご紹介します。
先ず、船首から船尾までの各モールドを立てて固定します。

・船首から船尾までのモールド13枚を立てて固定したところです。


床に置いてある杉のストリップ材(細長い板)を13枚のモールドの型に沿って、一枚一枚張り合わせて行きます。(英語で細かく裂いた木をストリップ:stripと言います)

・一艘のカヌーで、ストリップ材は70本~75本使用するようです。


・ストリップ材をモールドの型に沿って張り合わせているところです。


・ストリップ材の貼り付けが終了したところです。この後、接着剤を塗り、グラインダーで磨きをかけます。


・荒げ刷りをしたカヌーです。この後、グラスファイバーを内側、外側に貼ります。


・グラスファイバーを貼リ終えたカヌーです。


・完成したカヌーです。


・最後にオールも自分で作ります。この後、進水式をしてお祝いするそうです。


この工房は、基本的に最初から完成までを各個人が仕上げます。勿論、指導者がいますので指導を仰ぎながら、手順を追って作業を進めていくことができます。
1艘のカヌーを仕上げるには約1ヶ月を要し、費用は材料代程度の費用負担でカヌーが造れるようです。

この工房は和歌山県田辺市に所在しています。
手造りカヌーの愛好者は全国から集まり、自分の都合に合わせて、数日から1週間連続して、或いは週末毎にここに来て、約1か月間(作業日数で約30日)の作業を行っているそうです。

日曜大工などの経験のない、全くの素人の方でも自分のカヌーが作れるそうです。

関心のある方は挑戦してみては如何でしょうか?




落花生栽培(その3)収穫

2009-10-13 | 家庭菜園

今日は「落花生栽培」(その3)収穫をご紹介します。

私の「落花生栽培」は昨年に続き2回目の挑戦となります。
昨年は収穫時期が遅れたため、コガネムシの幼虫に蝕まれ、散々な結果でした。
これを踏まえて、今年は昨年より収穫時期を1ヶ月程度早め、開花から90日程度にしました。
その結果、収量は6~7kgで、まずまずの出来だったように思います。

反省点としては、もう少し広い畝(120㎝幅)に2条植えとするか、或いは今年と同じ60cmの畝では1筋植えとすべき点でした。
狭い畝では、茎が上に伸びて、子房が地下に入らず、結果的に莢果(きょうか)の数が少なく、収量増加につながらないことが実体験できました。

・収穫前の落花生の畝です。 畝が狭いので茎が横に張らずに上に伸びています。

・掘りあげた落花生の株です。
 子房が地下に入れば、その先にこのような莢果(きょうか)が付きます。


・今年収穫した落花生です。
 茎が立った分、収穫については余り期待していませんでしたが、思ったよりよくできていました。


・これで6~7kgの収量です。


「栄養成分」
・落花生は脂質が約47%含まれており、豆類の中では最も多いようです。
・次いで、たんぱく質25%、糖質16%、ビタミンなどが12%となっています。

「健康効果」
・ビタミンB1やE、コレステロールを抑えるオレイン酸、たんぱく質などにより、動脈硬化の予防やガンの予防、老化現象の予防効果が期待できるようです。
・落花生を茹でた「ゆで落花生」には「葉酸」や「食物繊維」が豊富にあり、貧血や便秘の予防効果が期待できるといわれています。
・脂質の多い落花生は、約30g(約30粒)で、ご飯軽く一膳と同じエネルギーがあるそうです。




熊取だんじり祭り

2009-10-12 | 地元紹介
10月に入り、全国各地で収穫を祝う「秋祭り」のシーズンが到来したようです。
大阪南部・泉州の各市町でも10日、11日の両日は秋祭りが行われました。
そこで、今日は私が住まいしている熊取の「地車(だんじり)祭り」をご紹介します。

大阪南部の熊取町では、毎年「体育の日」の前々日と前日の土曜日と日曜日に「熊取 地車(だんじり)祭り」が行われます。
「だんじり祭り」は豊作を祈願して行われる秋祭りで、「地車(だんじり)」を曳きながら町内をねり歩くため「だんじり祭り」と呼ばれています。
今年は、一昨日の10月10日(土)と昨日の11日(日)の両日に行われました。

熊取の「地車(だんじり)祭り」は、いつ頃から始まったのか明らかではありませんが、1841年(天保12年)には、町内8ケ村が「地車(だんじり)」を所有していたとの記録があることから、少なくとも160年以上の歴史があるのではないかと考えられています。

・和田地区のだんじりです。


「だんじり祭り」では、「地車(だんじり)」の中で笛や太鼓による「だんじり囃」が奏でられ、屋根の上では、それにあわせて大工方が飛び跳ねる軽妙な舞が行われ、子供から大人まで、そろいのはっぴ姿で「地車(だんじり)」を曳き廻します。

「地車(だんじり)」の舵取りは「後てこ」と「前てこ」によって行われ、時折、スピードをつけて直角に回る「やり回し」が行われます。この「やり回し」が「だんじり祭り」の最大の見所となっています。
また、夜には、「地車(だんじり)」の前一面に、船のマストのように提灯が吊るされ、昼間と違った優雅さを見せてくれます。

・随所に精密な彫り物が施されている、和田地区の「地車(だんじり)」です。


「だんじり」とは、秋祭りのための木造の山車(だし)で、熊取町内11の地区に11台の「地車(だんじり)」があります。その殆どは明治から大正時代に製造されたものといわれています。

「地車(だんじり)」の大きさは各地区によって差はありますが、高さ約3.8m、重さ約4tで、随所に精密な彫り物が施されており、いずれも文化財的な価値を持つ豪華なものばかりです。
彫刻には、難波戦記、太閤記、忠臣蔵、太平記、源平盛衰記などの名場面が刻まれているそうです。

・和田地区の「地車(だんじり)」で、「やり回し」を行っているところです。


「地車(だんじり)祭り」では、10日の初日に「宮入り」がおこなわれ、町内の大森神社の境内に全ての「地車(だんじり)」が奉納され、宮司のお祓いを受けます。
翌日の11日はJR熊取駅への通りでパレードが行われます。

・朝代地区の「地車(だんじり)」です。


・見事な彫刻が彫られている朝代地区の「地車(だんじり)」です。


「地車(だんじり)」の曳き手は、地区の大人から子供までが行い、その人数は少ない地区でも100名前後、多い地区では400名から500名と言われています。

「地車(だんじり)祭り」では、近年は死亡事故はないようですが、毎年けが人が出ています。
今年は何事もなく終わって欲しいと願うばかりです。