らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

世界遺産「熊野本宮大社」(その1)

2009-10-15 | 旅行

和歌山県、奈良県、三重県にまたがる三つの霊場と参詣道(熊野参詣道、大峯奥駈道、高野山町石道)は、「紀伊山地の霊場と参詣道」の名称で世界遺産に登録されています。
先日、Kさんに案内していただいた「熊野本宮大社」は「熊野三山」の一つで、世界遺産に登録されているお社です。
今日はこの熊野本宮大社をご紹介します。

「熊野本宮大社」
熊野本宮大社は、家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)を主祭神としており、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)の首位を占め、全国に散在する熊野神社(五千数社)の総本宮で、熊野大権現として知られています。

主祭神の家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)は別名:須佐之男命(スサノウノミコト)といわれ、樹木を支配する神で、紀ノ国(木の国)(きのくに)の語源もここから起ったといわれています。

・熊野本宮大社の鳥居です。


・熊野本宮大社へ通じる階段です。


「熊野本宮大社」の由来
「熊野本宮大社」の由来は、降臨神話が始まりとされているようです。
その降臨神話とは、崇神天皇65年に熊野の連(むらじ)大斎原(おおゆのはら)において、大きな櫟(いちい)の木に三体の月が降りてきたのを不思議に思い、「天高くあるはずの月がどうしてこのような低いところに降りてこられたのですか」と尋ねたところ、その真ん中にある月が答えて曰く、「我は證誠大権現(家都美御子大神)」であり、両側の月は両所権現(熊野夫須美大神・速玉之男大神)である。社殿を創って斎き祀れ」との神勅が下され、社殿が造営されたと伝えられているものです。

・熊野本宮大社です


・「速玉大神」のお社です。



「熊野古道」
熊野古道とは、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へ通じる参詣道の総称をいい、主に六つの古道があるようです。
その内の紀伊路と中辺路ルートには、大阪の基点であった淀川河口の渡辺津から熊野三山までに100近くの熊野権現を祭祀した「九十九王子」があったようです。

熊野古道の「九十九王子」とは、熊野古道沿いに在する神社のうち、主に12世紀から13世紀にかけて、皇族・貴人の熊野詣でに際して、先達を務めた熊野修験の手で組織された一群の神社を言い、参詣者の守護が祈願されたようです。
「王子」とは、参詣途上で儀礼を行う場所で、儀礼とは主に経供養(読経)のことを言っているようです。

・「天照大神」のお社です。


・「家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)」のお社です。


世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」
2004年7月に「紀伊山地の霊場と参詣道」の名称で文化遺産として世界遺産に登録されました。
紀伊山地は、神話の時代から神々が鎮まる特別な地域と考えられていました。仏教においても深い森林に覆われた紀伊山地の山々を阿弥陀仏や観音菩薩の「浄土」に見立て、仏が持つような能力を修得するための山岳修行の舞台となりました。
その結果、紀伊山地にはそれぞれの起源や内容を異にする「吉野・大峯」、「熊野三山」、「高野山」の三つの「山岳霊場」と、そこに至る「参詣道」が生まれました。
これらの山岳霊場には、都を始め全国から人々が訪れるところとなり、日本の宗教・文化の発展と交流に大きな影響を及ぼしたといわれています。
更に、これらの自然の景観が文化的景観とされ世界遺産に登録されたものです。