ら族の歳時記

「道が分かれていても人は幸せになる道を選ぶ能力がある。」
能力を信じ、心の安らぎの場を求めて、一歩一歩。

なるがままに

2007-11-11 23:44:12 | Weblog
今日は座談会だった。
最近、テーマなし。
最近疑問に思ったことから
なるがままに雑談していく。

その中で、運についての話があった。
女の子ばかり続いて家が絶えるのも運であり、
仏教ではそれが悪いこととはいっていない。

そこから話が始まった。

臓器移植の話がでた。

「高名な僧侶のなかには
『そんなことをしてまで命をつなぐべきでない』
といっているひとがいるが、
仏教においてはそんなことはない。
なるようにしかならないといっている。
運があれば臓器の提供があり、命を長らえる。
運がなければ提供がなかったり、
提供があっても体に合わなかったりする。
すべて運だ。
ただし、死ぬ時に
『臓器が欲しかった』と執着を残してはいけない。
『運がなかったんだ』と思い果てること」

確かに、ひ●さ●や氏も梅●猛氏も
「臓器移植をしてまで生きることはいけないこと」
と新聞等で書いていたのを読んだことがある。


私も登録をしていた時期があった。
でも、ステロイドを飲まない素晴らしさを知って
また、
「移植をしても私は社会に貢献できるだろうか。
移植を受ける価値がある人間だろうか」
といろいろと考えた末、登録を止めてしまった。

今だったら、なにごとも
として受け止めることができたと思う。

再度、移植の登録をするつもりはないけれど、
今の透析している事実を受け止めることができる。
そして移植をしてい生きることを選択した人を
温かい目でみることができる。

ちなみに
「男運も結婚運も運よ。
運がなければ結婚できないし。
そんなのじたばたしたって
結婚できない人はできないし」

だって。。。
私の方をみていうな!!!!!!
やはり結婚運はないんだ。
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