ら族の歳時記

「道が分かれていても人は幸せになる道を選ぶ能力がある。」
能力を信じ、心の安らぎの場を求めて、一歩一歩。

Aちゃん

2015-09-08 21:50:09 | Weblog
仕事から帰ってくると
母が固定電話の前に椅子を置いて座り、
メモを書いていた。

母は電話が好きではない。

椅子を置いて長電話をする姿を見たことがない。


椅子を置いているということは最初から
話が長くなるとわかっていてのことか。



「ああ。。お帰り」

「めずらしいじゃん。
 椅子に座って電話するなんて」

「うん。整理していた。
 訃報だよ。
 Aちゃんがなくなっただって。」



Aちゃんは私のいとこ。

母が不在だったためか、
連絡が叔母に入り、
叔母から、母に詳細を伯父に聞いてと依頼があって、
その電話をしてらしい。



Aちゃんはいとこでおばあちゃんと同居していたが、
いつ訪ねて行ってもおばあちゃんだけいて
AちゃんもAちゃんの両親もいなかった。

だから、いっしょに遊んだこともないし、
Aちゃんの年齢も知らなかった。






そして。。



AちゃんもSLEだった。




発症して母が見舞いに行ったときは
ぼーっとしていて無反応だっときいていて、
家族が付き添いをしていたという。

プレドニンを朝一度に23錠も飲む治療をうけていたと
きいたことがある。



その後、結婚し、子供を産んでいる。

だた、子供を産んだ後、
大腿壊死になり、人工関節が入っていると聞いている。

当時のSLEはステロイドだけの治療だったので、
当然といえば当然の結果かも。


それ以外は、調子が良くて看護師のパートに出ていると聞いていた。


家庭も持てて、再燃もなくていいなと
彼女のことを思っていた。




母は、私に対して葬儀に参列するかなど全く聞いてこなかった。


私自身、葬儀は好きではない。

次は自分の番というか、
連れていかれそうな気がするからだ。



結婚式と葬儀は、
本人のためでなく、
周囲が納得するためにするものというが、
納得も何もない。

人の死を受け入れたくない。


まして、同じ病気のいとこ。

母はそれを知ってか、参列を求めてこなかった。





葬儀は、母と叔母が参列して、
父方のいとこはだれも参列しなかったという。

けれど、友達はたくさん参列していたという。




Aちゃんは、どうしてなくなったのか。

2年ほど前から、いろいろな臓器に
不具合が出てきた。

一つを治すと次がという具合で、
入退院を繰り替えていたという。

最後には、
足先からだんだんむくんでいって、
なくなったという。


腎臓だけでなく、心臓も
問題があったのかもしれない。




とにかく、Aちゃんのご主人は
わずかの間に、老けてやつれ、
別人のようだったとか。


仕事、Aちゃんの看護、
家事と受験生の一人息子の世話と。

すべてをひとりで受け止めてきたのだった。



伯父も痩せた。

高齢の伯父には、
病身であってもAちゃんが頼りだったんだろう。

伯母の葬儀もその後の法事も
すべてAちゃん夫妻が手配をしていた。

自分の今後、そして葬儀も
Aちゃん夫妻がしてくれると思っていたと思い、
安心していた部分はあったと思う。

まさか自分より先に行ってしまうとは思ってもいなかっただろう。

ほかに娘がいても、代わりにはならない。



「若い人の葬儀は、嫌ね。」と母。

母たちも葬儀には出たけれど、
火葬場まではいかなかったという。

伯父とAちゃんのご主人の泣き崩れる姿を
見たくなかったし、
どのように言葉をかけてふるまえばよいか
自信がなく、辞退したと思う。



伯父は、やっぱり、
「ら族ちゃんは元気か」と聞いてきたという。

「あーだこーだいいながらも
 元気だよ」と答えておいたとか。

やはり、同じ病気の私を心配していた。
コメント
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