退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「北に生まれた人のスタイルと北欧の『豊かさ』あるいは『陰翳と黒の魅力』」について

2019-04-23 02:30:15 | Weblog
晴れ。夏の暑さ。

西部邁「保守の遺言 JAP.COM衰滅の状況」を読む。

語源を明らかにしてそもそもの意味を教えてくれる文章が素敵。
敢えて「核武装」を解くことの意義を忘れずに。

「オーソドックスここにあり」といった内容で
「オーソドックス」はギリシャ語「オルトドクシア=正しい考え=正教」から。

「正しいこと」を説くなら「負け戦」であることを基本にというのにふむふむ。

「デモクラシー=民衆政治」はやがて「オクロクラシー=衆愚政治」に変わる「必然」。
さらには「オリガキー=寡頭政治」や「プルトクラシー=金権政治」を通じて。

最終的には「専制君主」による「独裁政治」に至るのだと。
「民主主義」がそのような「危険な制度」であることを意識するのは重要だろう。

「最適な制度」などない以上いかに「バランスをとるか」が大事なことも。
それを維持するためには「共同体」が大切なことも同様に。

周囲の状況を慮りつつ淡々と自死に至る「スタイル」よ。
何とも「粋なパーソナリティー」なことは確か。

この「美学」と「教養」は何としても受け継ぎたいもの。
「絶滅危惧種」並みの「貴重さ」だと思われるので。

深夜「世界はほしいモノにあふれてる」の再放送を観る。

前回に引き続きデンマークの「ヒュッゲ」をもたらす照明について。
谷崎潤一郎「陰翳礼讃」を持つ国の住人としては何ともはやといった趣き。

コンビニに代表される「異様な明るさ」はカラカラに乾いていて
「穏やかな明かり」がもたらす「親密さ」を遠ざける「当然」。

「焚火」に魅入られることを知っていながら
それを身近なものにしない「現実」を問いたいところ。

「陰翳」は「互いの境界線」を曖昧にするものであり
それゆえ普段とは異なる「親密な空間」を生み出すというのに。

日照時間が短く寒い冬に覆われるかの国ゆえの「豊かさ」を知っておこう。
「微妙な光の具合」を知り「豊かな色彩」を求めるのが「常識」である国の文化を。

「ヒュッゲ」という「ホームグラウンド=安心できる場所」があるからこそ
人々は仕事に精を出すこともできる。

いつでも「帰れる場所」があることは「冒険」の気持ちも支えて。
この「当然」が忘れ去られて久しいのがわが国の現在。

個人的には「夜を生きる者」であったりするので
悪いが昼間は「世を忍ぶ仮の姿」だと思っていただいて結構。

さて。

黒はあらゆる色を際立たせる色。
もちろんそれを濃淡で描く水墨画の美しさも。

線の自在な躍動と幾何学的な配列。
いずれも楽しむことのできる「環境」を生きたいものではある。
コメント
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