退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「いい気なものであることもしくは展開の相似と音階の差あるいは『自分でもわからない脈絡』」について

2019-04-12 02:08:05 | Weblog
晴れ。そこそこ風が吹く。

「白楽天詩選(下)」読了。

(上)には魅力を感じたものの(下)はそれほどでもなく。
「中隠」などと言えば聞こえはいいが「いい気なもの」と思えなくもない。

繰り返すが彼は相当な官位まで上り。
「貧しさ」を謳いながらその実は裕福だったりするので何とも微妙。

むしろ「平穏」を手に入れた「老年」に「衰えた」のではないかという印象。
とりわけ本書の後半にそれを感じた次第。

とりあえず生活に何の憂いもなければ
そこが「無何有郷=ユートピア」になるのは当然だもの。

とはいえわが身を振り返れば自分も似たようなところがあり。
「官位」はないが現在の生活には文句なしで。

いずれ「いい気なもの」であることに変わりはないか。
「後世に伝わるようなもの」を生み出していないことを思えばさらに「タチが悪い」かも。

それとは別に。

竹原ピストルのCM曲とスピッツ「やさしいあの子」の冒頭の違いが面白い。
上がり下がりの激しい前者と平坦な後者の味わいの差よ。

敢えて例えるなら「味噌とペパーミント」。
展開の相似に比べて採用されている音階の違いがなかなか。

いかにもわかりやすい「個性の違い」なので。
もちろんどちらがより素敵だという無意味な問いはなしにして。

声質も同様に。
なるほどこうなるわけだと思うことしきり。

この二曲を同時に流したらどういうふうに聞こえるのかが知りたいところ。
残念ながらそうした技術は持ち合わせていないので興味のある向きには是非お願いしたいところ。

一小節だけリズムとギターとキーを同じにしてという設定でよろしく。
この種の「発見」はよくあることだけれど。

唐突にチューリップ「田舎へ引っ越そう」を思い出す。
そこに「脈絡」はあるのか。

個人的にはあるのだろうが客観的に見ればどこにもないし「自覚」もない。
かくして「勝手な結び付き」と「youtube巡り」は続く。
コメント
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