退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「学識の凄みと『泥海の中から』が本当であること」について

2019-04-02 02:27:28 | Weblog
晴れ。夜風が冷たい。

猪木正道「新版 増補 共産主義の系譜」を少し読む。

さまざまなマルクス主義思想を排して
マルクスの「原典」から「本物」を取り出す手付きが素敵。

今のところフォイエルバッハとラッサールまで。
その人の人生と時代背景を重ね合わせての「解読ぶり」よ。

なるほどここまでやらないとダメかと思わせる内容。
「清濁合わせ飲む」感じの評価もいかにも「公平」で。

「素晴らしい批判の書」はむしろその対象を「好ましい」とさえ思わせるもの。
やはり「本物」に出会うのはうれしく明日が楽しみ。

ただし内容が相当に濃いので読了できるかどうかは別の話。
時間の経つのが早い割りにページ数が捗らない。

「学識」というのはこのあたりを基本にしないとと思うことしきり。

それとは別に。

「新元号騒ぎ」について。

「平成」の時と比べて明らかに違うのは人々の異様とも思える「はしゃぎぶり」。
もちろんマスコミのそれもバカバカしいほど。

なぜそうなるのかと言えば答えは簡単。
現在があまり好ましい状況にないからだろう。

占いにかすかな「希望」を見出したい気持ちに似ているような。
もっともそこには「知性のかけら」もなく。

オリンピックや万博などという「イベント」の陰に隠れることが多いものの
まともに考えれば今後わが国は「坂道を転がる」。

各地で認識されていた「底抜けの現実」が隠しようもなくなるだけ。
自国を賞賛したくなるのは「誰も褒めてくれない自分の投影」。

そもそも「楽しく充実した毎日」があるなら「国」などどうでもいいはず。
自分以外の「大きなもの」にすがるのは「貧しい現実」のせいで。

それが本当かどうかはやがてわかる日が来るのだとして
とりあえずそのくらいに思っていた方がいいかも。

そうしている間に「生き残る力」を蓄えて。
少しでも「たくましさ」を身につけることが肝心か。

「さまざまな失敗」や「理不尽さ」が人を育てるもの。
少なくとも「現在の自分」ですべてを測るのは大きな間違い。

「明日は少しマシになれ」という中島みゆきの歌詞は「正しい」。
ちなみにその曲のタイトルは「泥海の中から」。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする