退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「『痴漢』が治し難い『依存症』であることあるいはあれこれ含めて『奴隷』であること」について

2019-04-01 02:04:46 | Weblog
晴れ。まだまだ風は冷たい。

図書館帰りの空は泰西名画の趣き。
束の間「レンブラント光線」も見える。

斉藤章佳「男が痴漢になる理由」を読む。

「痴漢」は「男尊女卑」を基本的な価値観とする男による「ストレス発散」で
再犯率も高い「依存症」らしい。

周防正行「それでもボクはやってない」(’07)が
「冤罪の怖さ」を強調しすぎたのはどうやらマズい模様。

「沈黙したままの被害者」も数多いことと
PTSDなどの被害の影響を考えれば「現実」はそれとは異なると。

とりわけこの犯罪が日本にだけ特徴的に多いことの意味を考えたいもの。
「加害者の『トリガー』」を刺激しやすい「環境」があまりに多いのか。

具体的には「通勤時の満員電車」。
これがいつまでたっても解消されないのはなぜなのだろう。

加害者の家族(母親や既婚者の場合は妻)の苦悩もあり。
少なくとも「現状」を放置したままではいいことは何もなさそう。

わが国の在り様がそもそも「ストレスに弱い男子」に「キツい」ことは確かか。
もっと「安穏な生活」を送れるようにしないとどうにも。

マル激を観る。

今回のゲストは脳科学者の茂木健一郎。
案外まともなことを指摘しているじゃないかという印象。

どうやら彼は「帰国子女キャラ」か。
「正論」を言って「空気を読まない」あたりが「炎上の原因」だと納得する。

「『うんこな現実』になぜ気付かないのかわからない」という態度だから。
「ピュアな人」だという理解でいいだろう。

まあ自分の場合はもう少し「笑い」を含めて伝えることが多いつもり。
もっともそれは「自分に都合のいい解釈」かもしれず。

いずれ「外国人枠であること」に変わりはないのかも。
わが国で「個人であること」を貫くと自動的にそうなる仕組み。

「成熟=複雑さを理解する人格」が「基本」とされないのもポイント。
「文脈」を無視して物事に対すればそうならざるを得ず。

敢えて茂木健流に言えば「わたしは高校野球が嫌い」。
「いろんな面での技術の不足がもたらすドラマ」のどこが面白いのか意味不明。

なるほど「プロの仕事」が評価されないのはそのあたりに原因がありそう。
「幼さ」がなぜかかくも評価されるこの価値基準の「源」は何処に。

「懸命に努力すること」に異様な高評価を与えるのは
「自らの報われなさ」をそこに見るからではないか。

ならば「真っ当」なのは「自らが報われる世の中」を作ることだというのに。
ここでも「他人まかせの精神」が「新しい現実を作ること」を見失わせている。

この「圧倒的な環境依存ぶり」はどうしたものか。
曰く「奴隷」。
コメント
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