退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「『原発敗戦』の意味と『現在』ゆえに殺される『未来』」について

2019-04-14 02:42:30 | Weblog
晴れ。おだやか。

船橋洋一「原発敗戦 危機のリーダーシップとは」を古本屋で買って読む。

「カウントダウン・メルトダウン」の著者は3・11の事故を「敗戦」として捉える。
まさに然りと言うよりなく。

わが国の「文化」は「最悪の事態を想定すること」を拒むものらしい。
ただしそれを「文化のせい」で終わらせてはいけないというのがポイント。

「米軍の動き」を見る方が「事態の真相」はわかりやすくなる皮肉よ。
われわれに「学習能力」はあるのかと言いたくなるほど。

「思いがけない現場」では常に「具体的な能力」が重要になることにふむふむ。
普段の「チーム力」が「いざという時」を支えることになるのも同様に。

「垂れ流される情報」に対応するより
「大局」を見てむしろ「ノイズ」を排除する大切さも。

この「管理能力のなさ」はおそらく現在も各地で続いているはず。
わが国は「現在」がいつも「未来」を殺すように出来ているらしい。

そして「現場の優秀さ」に引き換え「上層部の無能さ」も再認識したいところ。
「間違い」に気付いても「引き返せない」愚かさの持ち主が多く。

「あれもあるしこれもある」という「正しさ」を配慮しすぎる情報はほぼ無意味で。
どこかで「責任」を取って「ひとつの方向性に限った情報」を戦わせるのが「本筋」。

「官僚の作文を読むだけ」の現首相にそうした上での判断ができるとは到底思えず。
常に「想定外」を意識する自衛隊のみが「有効」なのはいいことなのかどうか。

どうやらわが国に「統治能力」がないことだけは確か。
いたずらな「縦割り行政」も相変わらず。

こうした「現状」を踏まえるにつけても原発はなくさないと危なすぎる。
「エネルギーミックス」などという官僚の「悪知恵」を排除しないとどうにも。

何度でも繰り返すがかの事故でわれわれが「国土を失った」事実を忘れずに。
同時に「故郷」とそこでの生活を失い苦しむ人々を大量に生み出したことも。

ここまで「現実」が明らかになっているというのに
それを「無視する」動きに関してはもっと敏感でないと。

「何事もなかったかのように戻る『日常』」に意味はあるのか。
すでに「世は砂漠」となって久しいというのに。
コメント
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