退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「女子にしか『希望』が見えない現在」について

2019-04-15 02:00:25 | Weblog
くもり。午後から降り始める。

牧村朝子「ハッピーエンドに殺されない」を読む。

今は亡き井田真木子の作品の中で忘れられないのは
「あなたは何で『普通』なの?」と繰り返し迫った外国人女子の姿。

レズビアンである彼女は常に「あなたはなぜ『異常』なの?」と聞かれる「暴力性」を
「普通」である井田真木子に教えたかったのだという話だったと記憶している。

「結婚=ハッピーエンド」という「常識」を他人に強制する無意識の「暴力」も同様。
そもそも彼ら彼女らの結婚生活がうまくいっているかどうかは相当にあやしいと言うのに。

「歴史」のごく一部の「常識」を何の考えもなく「当然」とし
それを他人に押し付けることがいかに横行しているかをあらためて。

第二次大戦中にドイツの暗号エニグマを解読しイギリスを救った数学者チューリングが
同性愛を病気だとされホルモン治療を受けさせられた挙句に自殺した過去も知っておこう。

「性的志向」による偏見はむしろ
「自らのそれ」を危うくさせることから自分を守ろうとする「恐怖」ゆえか。

もっともその程度で崩れるような「自我」ならさっさと崩れてしまえばいいだけ。
「他人を攻撃すること」で自らを確保する「さもしい振る舞い」はやめたいもの。

著者にはできればエゴサーチなどせず楽しく暮らしていただきたい。
「死んでも治らないバカ」を相手にしてていいんですかと思うので。

同様に「自分の性的志向」を知ってそれを拒絶するだけの親がいるとしたら
そんな「生物学上の親」は捨ててしまってかまわず。

「血縁信仰」も捨てよう。
「家族のかたち」はそれ以外にもあるので。

実は「常識に囚われている」のは自分かもという視点を大切に。
「好きに楽しく生きる姿」こそ最大の「啓蒙」だから。

マル激を観る。

今回は「日本でいっこうに女性議員が増えないわけ」というテーマ。
ゲストは三浦まり。

「クォータ(割り当て)制」は「過渡期の手段」で
むしろ「パリテ=同等、同一」が理念としても好ましいというのにふむふむ。

今後「坂道を下る」一方のわが国で「損得男」は「現状維持」しか望まず。
あらゆる場所で「女子が増えること」にしか「希望」はなさそう。

心ある女子たちには「政治家の現実」を知って是非「ロールモデル」になっていただきたいもの。
「具体的な生活」に関する知恵を元に大いに活躍することを望む。

「滅私奉公」などというバカができるのは男子だけだもの。
おまけにその「公」が自分の所属する集団でしかないんだから。

結局すべての根源に「男女の不平等」がある模様。
すでに野郎のどうしようもなさが明らかになった以上女子の参加を促すよりなく。

それとは別に。

「関ジャム 完全燃SHOW」ではあいみょんがゲスト。
これまでそれなりに「説得力」のあった男子のプロの「想定」を超えていたようで。

「無意識の天才」の前で「分析」など意味を持たない好例。
「分析」は所詮「秀才の業」に過ぎず。

個人的には彼女の楽曲より彼女の鼻が好き。
なんだかしっかりしていて「頼りがい」がありそうなので。

いやはや。

こんなところでフェチですかと自分に問う次第。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする