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軌道エレベーター派

伝統ある「軌道エレベーター」の名の復権を目指すサイト(記事、画像の転載は出典を明記してください)

軌道エレベーターが登場するお話 古典(2) 宇宙空母ブルーノア

2022-10-27 22:44:42 | 軌道エレベーターが登場するお話


宇宙空母ブルーノア
よみうりテレビ、アカデミー製作
(1979年)


 昭和期の古典的作品を紹介する2回目です。本作は現時点で確認できる限り、軌道エレベーターを映像化した初の作品だと思われます。以前、「劇場版 仮面ライダーカブト」を、初めて軌道エレベーターが登場した実写作品と紹介しましたが、本作は実写・アニメ問わず、映像全般として初になります。今回はラストまでネタバレしますのでご注意下さい。

あらすじ 西暦2052年、異星人ゴドムの襲来により地球は壊滅寸前に追い詰められる。生き残った主人公たちは空母ブルーノアに乗り込み、ゴドムへの反撃を始める。


1. 本作に登場する軌道エレベーター
 えー、軌道エレベーター初映像化作品、と強調しましたが、残念ながらその扱いは実に粗末なものでした。7話に登場し、次の回であっさり破壊。しかも建造したのは敵であるゴドムなんですよ。
 ゴドムはいつの間にか、現在のキリバス領ギルバート諸島付近の赤道上に軌道エレベーターを完成させています。半透明のチューブみたいなピラーが上空へ伸びており、その中を昇降機らしきものが動いているのが外から見えます。



 ゴドムは重水を主なエネルギー源としていて、この軌道エレベーターも海水から取り出した重水を宇宙に運んでいるらしいのですが、詳細は不明。直径500mで「耐レーザー装甲」を装備してるということ以外は、全長、材質、昇降機が有人なのか、動力源は何なのか、一切データがありません。説明できるのはこれだけ。重力を制御できるゴドムが、軌道エレベーターを必要とするのも説得力がありませんが、ようするに作中の役割は、縦向きのベルトコンベアーみたいなものでしょう。
 で、ブルーノアは航海の途中でこの軌道エレベーターを発見。この時、

 「おそらくこれは、軌道エレベーターです。
 高度3万6000kmの静止衛星軌道まで、届いているものと思われます」


 というセリフがあり、作中で「軌道エレベーター」と発言された初の映像作品ということにもなりますね。これを搭載兵器の反陽子砲により破壊します。軌道エレベーターの出番はこれだけで、その姿も、終始俯瞰した姿しか出てきません。

 ゴドムに痛手を与えたんでしょうが、はっきり言って登場しなくても大差ない代物でした。本作は、日本の軌道エレベーター学普及の立役者でもあり、亡くなった金子隆一先生がSF監修をされていたのですが、軌道エレベーターに関しては「ちょっと出してみた」程度のものだったと思われます。

 ちなみに反陽子砲ですから、軌道エレベーターの構成物質の陽子を対消滅させる原理だと思われますが、破壊後に完全消滅せずに若干物質が余ったらしく、砕けたガラスみたいなものが大気中を舞っていました。宇宙でもこのゴミが漂っており、ゴドムはそれを掃除機みたいな機械で吸い込んでいたのですが、真空の場所で掃除機使えんだろ。
 こんなわけで、記念すべき軌道エレベーターの初映像化作品なわけですが、なんとも残念な描写でありました。


2. ストーリーについて
 母星を失ったゴドム人は、デス・スターみたいな「ゴドム人工惑星」でやって来て地球周回軌道上に留まり、この人工惑星により地球上に大規模な災害が発生。さらに侵略を受けて人類は大打撃を受けます。学生だった主人公の日下真は、父親が亡くなる寸前、ブルーノアに至る鍵であるペンダントを受け取り、生き残った友人たちと乗艦、そのままクルーとなります。

 この時点で、ブルーノアは飛行能力のない潜水空母であり、宇宙への進攻に必要な改修を受けるため、反重力エンジンが開発されているバミューダ諸島の基地へ向かいます。航海の過程でゴドムの艦隊と闘ったり、基地を破壊したりし、軌道エレベーターも破壊。反重力エンジンを装備後は宇宙に出てゴドム人工惑星を直接攻撃し、敵の内乱も重なって勝利します。

 本作は「宇宙戦艦ヤマト」の成功にあやかろうとした二番煎じの作品で、人物配置や展開も非常に似通っていますが、「ヤマト」が放映後に人気が出て映画化や続編制作もされたのに対し、本作は尻すぼみに終わりました。
 本作に限らず、昭和期のアニメは良くも悪くも型にはまっていてヒネリがなく、ツッコミどころも多すぎて、令和の視点で見ると退屈なのは否めません。正義感の強い熱血主人公やたおやめなヒロイン。ノリで闘う若者と、それを許す大人たち。勝利よりフェアプレー精神にこだわる敵味方。。。でもって作画のブレは日常茶飯事。本作もこれが当てはまります。

 しかし本作の最大の問題点は、全24話中、20話までずーっと地球の海を航海して、タイトル通り宇宙空母になったのが最後の4話だけということでしょう。放送期間の短縮のせいもありますが、制作者の好みで海を舞台にしたともいわれます。
 Wikipediaに海洋冒険ものとしては一定の評価があると書かれているものの、とにかく海の描写長すぎ。しかも主人公の真が乗る小型潜水艇「シイラ」の活躍が中心で、ブルーノアは待機していることが少なくなかった。

 加えてラストが拍子抜けでして。。。本作ではゴドムの指導者ザイデル総統が地球侵略に妙に固執します。5ちゃんねる風に書くと、

総統 地球を侵略するで (`・ω・´)
軍人 ワイらの母星と重力値も違うし、ほかの星でええんちゃうか? (・ω・)
総統 あかん!何としてもブルーノアを倒して、大至急地球を奪うんや (`Д´)/
軍人 しゃあないなあ (´・ω・`) ……(なんでやろ?)


──みたいな状況だったのですが、実はゴドム人工惑星内では、軍人が知らないうちに民間人が死滅してしまっていたのでした。

 んなアホな (´Д`)

 居住区画が軍民で分断されてるらしいんですが、軍人だって民間人の家族とかいるだろうに、連絡とってないのか? つーか民間の後方支援なしで戦争が維持できるのか? ツッコミどころ満載ですが、総統はそれを隠して地球侵攻を急がせており(保管していた遺伝子を使って地球で人口を増やすつもりだった)、事実を知った軍人たちが総統を殺害して組織崩壊。残ったゴドム人は地球から去ることを決めます。
 ゴドムの軍人でブルーノアの宿敵ユルゲンス(「ヤマト」のドメルみたいな立ち位置)は人工惑星に帰還せず、フレーゲル男爵みたいにブルーノアに艦対艦の一騎打ちを提案。すでに勝敗は着いていたのに、ブルーノアの土門艦長はあろうことかこれを受けます。本当にプロか。ブルーノアは僚艦(宇宙に出た後は、ブルーノアを旗艦として4隻で艦隊を編成していた)から離れ、単艦でユルゲンスに勝利します。ただし土門艦長は戦死。
 ユルゲンスの犠牲にもかかわらず、ゴドム人工惑星は太陽に突っ込むという悲惨な結末。。。ちょっと後味も良くなかったのでした



3. ブルーノアの子孫
 ストーリーはともかく、ブルーノアのデザインは非常にユニークでした。巨大な潜水艦が、浮上中は艦体の上半分が左右に割れるように展開して空母となり、断面が飛行甲板として機能するというものでした。
 また艦首の喫水線から下の部分が小型潜水艦シイラとして分離、後部甲板の一部も分離変形して戦闘ヘリ・バイソンになるというのも、なかなか斬新で意欲的なアイデアだったと思います。ちなみに宇宙空母への改修の際には、シイラは(バイソンも)お役御免となり、ドッキングしていた艦首部分に反重力エンジンを搭載したのでした。



 ですので、「宇宙戦艦ヤマト2199」みたいに、現代向けにヒネリを加えてリメイクしたら、意外と見応えあるんじゃないかなあ。最新のCGを駆使した作画で、リアルなデザインのブルーノアも見てみたい気もします。
 かわりというわけではありませんが、「宇宙戦艦ヤマト 復活編」に新しくデザインされたブルーノアが登場し、こちらは主翼のような兵装コンテナが展開するというデザインでした。このほか未視聴ですが、「YAMATO2520」にも登場しているそうです。
 
 制作から40年以上経つ本作を、私は10年くらい前に海外のamazonでスペイン語版DVDで購入し、実に久しぶりに視聴しました(だからスペイン語の字幕が出ちゃうんだよ)。
 それがなんと、現在dアニメストアで視聴できるそうです。このコーナーで古典作品を扱おうと思ったのは、こうしたデジタル配信で見られる機会が増えてきた背景もあります。良い時代になったものです。ご興味のある方はそちらでご覧ください。

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軌道エレベーターが登場するお話 古典(1) 星ぼしに架ける橋

2022-07-31 10:27:28 | 軌道エレベーターが登場するお話

星ぼしに架ける橋
チャールズ・シェフィールド
(1979年 邦訳は1982年 早川書房)


 今回から、20世紀にリリースされ、今では簡単には目を通せない古典的作品を、いくつか扱います。このコーナーは、ご覧いただく方がなるべく入手可能な作品を選んできたのですが、軌道エレベーター史から外せない作品であるということで、原点に回帰して紹介しようと思います。まずは原点中の原点である本作を。

 本作はアーサー・C・クラーク氏の「楽園の泉」と共に、長編小説としては初めて、軌道エレベーターの実現をメインテーマとした作品です(軌道エレベーターが単に登場するだけなら、小松左京氏の「果てしなき流れの果に」「通天閣発掘」の方が10年以上早く、世界初ですが)。しかし「楽園の泉」が今も読み継がれているのに対し、本作ははるか昔に絶版。その背景考察も含め触れていきます。

あらすじ
 若き工学者ロブ・マーリンは、建築に関する優れた能力を見込まれ、宇宙開発の主役となってきたロケットに代わるシステムとして、軌道エレベーター「ビーンストーク」の建造を引き受ける。マーリンはビーンストークの実現に邁進する傍ら、自分の両親が殺害された事件の真相にも迫っていく。


1. 本作に登場する軌道エレベーター
 本作では、赤道上のキト(現代のエクアドルの首都)の北部に、全長約10万5000kmのビーンストークを建造します。この名は「ジャックと豆の木(Jack and the Beanstalk)」にちなんだものですね。
 太陽系規模の流通網を握る大富豪のダリウス・レグロは「ロケット王」として知られながらも、実はロケットの非効率性や環境負荷を嫌っており、主人公マーリンに目を付けます。マーリンは、頑丈なケーブル素材を切れ目なく生み出せる「スパイダー」を開発してパテントを有しており、それを生かして巨大な橋を造った実績がありました。ロケット依存からの脱却を目指すレグロは、軌道エレベーター建造にはスパイダーが必要と考え、マーリンにビーンストークの実現を要請します。

 このビーンストークなんですが、宇宙空間で基本構造を仕上げてから、地球に降ろして地面に突き立てるという、ぶっ飛んだ方法で造られます。手順は次の通り。
 
 (1) 地球-月系のラグランジュ点(重力中和点)の一つ、月の公転軌道上にあるラグランジュ4(L4)で、ビーンストークの主要部分を形成
 (2) 出来上がったら、これを地球に降下させる。降下に従いながら地上に対して直立する向きになるよう制御
 (3) (2)の途中で、地球周回軌道上に移動させておいた小惑星をビーンストークの末端でキャッチし、カウンターウェイトとしてそのまま固定
 (4) 地上には直径400m、深さ5kmの穴が掘られており、ビーンストークの先端が降りてきたら穴にはめ込む
 (5) 穴にはまったら急いで土砂を埋め戻して固定
 (6) 静止軌道上に待機させていた発電衛星や作業ロボットなどがビーンストークに取り付き、エレベーターのシステムを構築













--こんな感じ。全体を支える「負荷ケーブル」の主成分は珪素で、総質量は10億t。小惑星を主な材料源に、ケーブルをスパイダーで紡ぎ出して造ります。最終的にはグラファイトや金属などで超伝導ケーブルも敷設した混合体になるとのこと。
 巨大な柱が空から飛んできて、ずどーんと地上の巨大な穴にはまるというのは、さぞや壮観でしょうね。キトの穴に固定後、揺り戻しによる振動はわずか1日で収束してしまいました。
 作中にはこのほかに、地球以外の惑星上や、太陽系の惑星間にもビーンストークを建造する構想も、セリフの上だけですが登場します。
 
 以上、良くも悪くも、軌道エレベーターを扱った作品としての、これが本作の最大の特徴であり個性です。その是非については、次節で触れたいと思います。


2.「豆の木」と「泉」
 作者のチャールズ・シェフィールド氏とクラーク氏は、本作と「楽園の泉」という、軌道エレベーター建造をテーマにした作品を、ほぼ同時期に世に出しました。天界へと昇る「豆の木」を描いたシェフィールド氏と、軌道エレベーターによって人々が宇宙へ進出する様を湧き出る「泉」にたとえたクラーク氏。両作に「スパイダー」など共通するキーワードも登場することから、本書の解説ではこれを「シンクロニシティ」(偶然の一致)としていますが、私にはそうは思えません。

 両作が発表された1979年の少し前あたりから、軌道エレベーターの研究論文が西側世界に登場し始め、両氏はそれに触発されました。自由世界での研究動向が、これをテーマにした小説を生み出す土壌を前もって育んでいたのであり、作品の出現はむしろ必然でした。
 シェフィールド氏は「楽園の泉」のことを聞き、「オレもこんなものを書いてるよ」とクラーク氏に内容を送ったそうです。そこでクラーク氏はコメント(本作に収録)を公表し、シェフィールド氏を称揚しつつも、ビーンストークの建造方法を「身の毛もよだつものであり、わたしには成功するとは信じられない」と延べています。実際、本作の造り方はかなり無理があると思われます。
 
 軌道エレベーターの建造方法は、静止軌道からケーブルを上下に伸ばして地上に到達させるブーツストラップ式が基本中の基本構想といえます。「楽園の泉」も然り。しかし本作の主人公マーリンは「静止軌道から建造を始めたのでは、ケーブルがかなりの長さに伸びた時、不安定になります。位置の小さなずれが指数関数的に増大するでしょう」とブーツストラップを一蹴。L4での建造を提案します。
 確かに、ケーブルの伸張に応じて、主にコリオリによって各部がまちまちに挙動し、安定しないというのは、ブーツストラップが直面する課題の一つです(この問題については「STARS-Cのミッションと意義」の(2)をご参照ください)。しかしこれはケーブルを制御しつつ一定以上に伸ばし、「コリオリ力<ケーブルにかかる重力」になると解消すると考えられています。
 この上なく動的な「豆の木」と静的な「泉」、両者の造り方は一種の対立構図を成すようにも見えます。その意味では、是非はともかく、ビーンストークの造り方はオリジナル性にあふれています。

 ただ、10憶tあるビーンストークを、月と同じ距離があるL4の軌道から離脱させるだけでも約9800兆Nの力が必要なはずで、また10万5000kmもの長さを持つ質量の移動は一つの質点(全質量がそこに存在するとみなして計算や座標設定を行う点。事実上の重心と見なしてよい)として軌道を導き出せず、よっぽど不安定だと思われます。
 加えて言うと、地球に接近して直立するにつれ、重力でビーンストーク本体が伸びるはずですが、この点には触れられていません。

 しかしそうした疑問以上に、ビーンストークの最大の問題は、建造プロセスに冗長性がまったくない「一発勝負」であることです。小惑星を固定しそこねると「速度を増しながら地球を巻きはじめ」、地上に固定できなければ「ケーブル全体が投げられた石のように月の向こうへ飛んでいって」しまう(これは間違いだと思われる)。うまくいかなかった場合のリカバリーや次善策をまったく考えていない。一度失敗したらもうオシマイだと作中でも認めています。
 成功しても、ビーンストークの先端部が大気圏に突入する際には「マッハ3くらいで運動」していて、着地時には減速し、「時速100キロ以下で降りてくる」とのことで、10憶t×100km/hの慣性質量が地面に衝突するなんて、まるでコロニー落としではないか。
 
 これに対し「楽園の泉」では、エレベーターをつなげる地上基部の第一候補が確保できず、別の選択をしたり(実にドラマチックな展開で、結果的に第一候補地になるのだが)、途中のトラブルで建造がストップしたりと、幅を持たせた造り方をしています。
 プロセスに冗長性がないというこの1点だけでも、建造の妥当性には「楽園の泉」に軍配を上げざるを得ない。

 そしてビーンストーク建造のための交渉や法的なすりあわせ、広大な土地や空間を専有する問題やコストといった、政治的・社会的な課題の解決は、本作には一切出てきません。全部レグロが金と権力で解決済みで、マーリンは建造だけに集中しています。
 この点も、軌道エレベーターを造るということが、人類社会にどのような影響を与え、どんな障害があるのかを総合的にシミュレートした「楽園の泉」に比べて物足りない点です。

 「楽園の泉」は、こうした障害を乗り越え、軌道エレベーターを実現させようとする過程の面白さと、老いてもなお挑戦する主人公の情熱が醍醐味です。一貫して軌道エレベーター建造を軸に、人物劇や芸術性もうまく載せて感動的な展開にしており、残念ながら本作は、完成度で遠く及ばないというのが私の感想です。


3. ストーリーについて
 以上のように、軌道エレベーターの建造モノとして物足りなさやツッコミどころが多く、「楽園の泉」と明暗を分けてしまった本書ですが、生き残れなかった理由はそこではありません。
 ようするに、小説としてあまり面白くないんです。そんなものをプレゼントするなと文句言われそうですが、結局はそれに尽きる。

 本作はビーンストーク建造と、マーリンの出生にまつわるミステリーが並行して展開します。マーリンは、飛行機事故で母親が死亡した直後に産み落とされ、彼はレグロと関係を持ったことで知り合った数人から、両親が殺害された真相を知ります。
 ビーンストークは事件と無関係なまま、致命的なトラブルなく淡々と進んで完成し、物語の八ぶんめたりで終了。クライマックスは、両親の命を奪った殺人犯とマーリンの対決に紙幅を割いています。
 このせいで、二つの話が中途半端に同居する小説になってしまっています。どうして余計なサスペンス要素なんか入れたんだろうなあ。。。( ´Д`)
 マーリンの人物像も、飄々とした天才肌で魅力に欠ける。物語に緊張感をもたらさず、ビーンストークが出来たらほとんど興味を失ってしまう。
 マーリン以外の登場人物の心理描写は私好みで、人間の二面性などを描いていて興味深いのですが、残念ながら物語の面白さにまったく貢献していない。
 こうした背景から、本作は書店から消えていきました。誠に残念ですが、むべなるかな。

 しかし本作が上梓された時代は、軌道エレベーターのアイデアそのものが浸透しておらず、研究成果もわずかだったため、建造方法も定説化していない状況でした。
 そんな中で、独創性に満ちた建造方法を提案した本作は、軌道エレベーターの研究史に残る思考実験として、やはり一見の価値を有している。仮に建造アイデアが似たようなものなら個性が際立つこともなく、もっと存在感が薄れていたことでしょう。
 その意味で、軌道エレベーターが登場する作品の草分けとして、決して歴史から外せない1作でもあるのです。小説としてはあまりお薦めできません。しかしそれでも本作は、軌道エレベーターを語るなら目を通すべき「幻の必読書」です。


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軌道エレベーターが登場するお話(23) 三体 その3

2021-10-01 16:57:07 | 軌道エレベーターが登場するお話


三体
劉 慈欣
(日本語訳は2019年 早川書房)


 「三体」その3です。今回もけっこうネタバレがありますので、未読の方はご注意ください。その1とその2はこちら↓
1. 本作に登場する軌道エレベーター
2. ストーリーについて

3. 人物描写について
 さて、地球人と三体人の対立は、第2部でいったん決着が付くのですが、第3部ではその裏側で進行していた、三体人との接触計画が描かれます。その後なんとも遠大な結末に向かいますが詳述は避け、今回は第3部の主人公、程心(チェン・シン)の「愛」などについて。

(1) 程心への違和感
 第3部もやはり面白く、ページをめくる手が止まりませんが、程心の振る舞いには終始違和感をぬぐえませんでした。解説では、彼女は「女性性と母性を強調されたキャラクター」で、愛情深い人という設定らしいのですが、まったくそのように見えない。

 程心は人類の命運を担う責任を負わされ、彼女の節目節目の選択により人類社会の方向性が大きく変化します。ある登場人物によると、その選択は「愛」にもとづくものなのだそうです。
 「愛だったのかあれは!?」と、それを読むまでまったく感じ取れず、自分に読解力がそこまで欠けているのだろうかと不安になったくらいです。しかし最後まで読み通しても、程心は他者のことなどほとんど気にかけず、その場その場で自分を「優しい人」に見せようする、心のない、幼い女性に映りました。
 極めて重い責任を負わされる彼女は、自由意思がないがしろにされ、気の毒な苦労人でもあります。しかし程心が他者の心を慮り、思いやりを発揮する場面というのが思い当たらない。

 程心は実の両親もあっさり切り捨てているし、自分の選択のせいで処刑される相手にも、胸中は複雑なようだが酷薄。特に、彼女のために星を与え、命を捨てるに等しい献身をした雲天明(ユン・ティエンミン)に、「ありがとう」か「ごめんなさい」の一言もないのか? 少しでも報われたと思えるだけで、どれほど彼の心が救われることだろう。利用するだけしておいて、あまりにも薄情過ぎる。
 地球上で暴動が起きた時、程心は親友の艾AA(アイ・エーエー。イニシャルではなくフルネームの人名)と一緒に宇宙船で脱出しようとしますが、子供たちを連れた一団に遭遇します。程心は全員連れて行くと主張しますが、あと2人しか乗せられず、やむなくAAが2人選んで乗せます。
 程心はこれに異を唱えるでもなく、自分の席を譲ってもう1人確保するでもなく、ほかの子供たちを見捨てられないから自分は残るというでもない(そうなったらAAも困り果ててお手上げだったろうが)。こうなると、仮に全員乗せて共倒れになる覚悟を持っていたかも怪しい、というかそこまで想像力を働かせていないと思われる。
 問題解決に何ら資することのないダダを捏ねて、事態を収拾する責任はAAに押しつけ、自分だけはいい人でいようとする無自覚なエゴイズム。「私は全員救けようとした。2人だけ選んだのはAAで、私はこの冷酷な決断に荷担していない」というアリバイ作りにしかなっていない。
 このほかにも汚れ役は人任せにして、自分の立ち位置を守ろうと保身に走っているようにとれる場面が色々あり、どうしても程心を穢れのない女性でいさせたい、というこだわりのようなものを感じました。
 第3部では、受け身がちの程心と、目的のために手段を選ばない彼女の元上司、トマス・ウェイドが対照的に描かれますが、この2人から「プラネテス」の田名部愛(タナベ)とウェルナー・ロックスミスを連想しました。
 同作のアニメ版では、やたら「愛」を連呼するタナベに、同僚が「あなたの愛は薄っぺらいのよ」と言い放つシーンがあります。程心は言葉で「愛」などと振りかざさないけれども、タナベが後にその愛を実践して多大な代償を払うのに対し、程心は他者を動かしてばかりで、身を切って行動しない。てか自分たちだけ安全な場所に逃げてばかり。利己主義がいけないなどとは言ってません。愛があるという設定の割には薄っぺらいのです。

 一方ウェイドは冷酷ですが内面は情深く、ロックスミス同様心を秘めている人物に見えます。詳しくは読んで感じていただきたいですが、程心よりウェイドの言動の方に慈愛を感じるのは私だけでしょうか。

 悪口ばかりで心苦しいですが、人物描写にはこんな違和感を終始感じました。程心に限らず、本作は女性の描き方がかなりドライな印象を受け、魂のない人形のような女性が目立ちます。私も架空の人物に何をムキになってるのやら。ですが、愛にもベクトルがあると思う。程心の愛は、一体何へ向けた愛なのだろうか。



(2). 第3部の「引き算」
 ただし程心の選択の描き方は、物語上の要請が大きい。第3部は後半になると「引き算」が目立つようになります。たとえば地球を防衛する技術か、地球を捨てて新天地を探す旅に出る技術か、どちらに力を傾注するかといった選択が示され、「こういう理由でこの選択肢しか残されなかった」と引き算して一つ残す感じで、物語の道筋が狭められていきます。そうしてるうちに三体人も関係なくなっちゃう。

 これは、本作の結末を作者が描きたいがために、ほかの結末へ向かう可能性を潰していく作業でしょう。程心の選択もこの引き算の一部であり、愛というのはそこにストーリー性を与える演出というか装飾で、後付けの理由だから、どこか無理を感じるのではないか。そりゃあんな遠大な結末へ向かわせるには、少々強引な引き算が必要だよなあ。
 さらに「穢れのない女性」と上述しましたが、これも結末における彼女の役割から、聖母的なイメージをまとわせたいのだと推測します。ただこの試みは、かえって程心を型にはめすぎて人形化してしまっているように見えます。


(3) 諸行無常
 最後に来て一番最初のエピソードに触れますが、本作で一番圧倒されたのは、序盤の文化大革命における壮絶な思想弾圧の描写でした。もうここから引き込まれます。アイヒマンテストなどの歴史をなぞらえるまでもなく、人間は状況に強いられた時、いかにたやすく理性や秩序を失うものかと考えさせられもします。
 この序盤の大衆の描き方=人々はいかに流されやすく、理性を失いやすいかということが、全編を貫いていると感じました。
 
 何世代もの長い物語の中で、人類は恐慌に陥ったり、三体文明の迎撃準備の副産物として豊かな時代を享受したりしますが、総体としての人類は昨日の自分をすぐに忘れて危機感が薄れたり、傲慢になったり、集団ヒステリーや暴動を起こしたりすることを繰り返します。最後の最後まであがき続けている。
 これが人間に対する作者の見方なのかわかりませんが、実際、人間はそういうものだと思う。もし人間の気質を数値化できたら、個々人は理性的だったり暴力的だったりと異なる値をとっても、全部を積分すると、昔も今も常に同じカーブになってしまうとでも言えばいいでしょうか。

 本作の底流には、人類の様々な営みも、結局はほとんどが無に帰すという観念が流れているように思えます。そして読後感として「諸行無常」という言葉が最もしっくりきました。

 本作を評する書評子の多くは、きっと「壮大」という言葉を使うのではないでしょうか。諸行無常ではあるんですが、確かにそう言わざるを得ない、SF界を活気づけた大作であり、読み終えると自分自身が長い旅をしてきたような気持ちにもなります。何より「続きが気になる」という、物語でもっとも大事な要素がてんこ盛りですので、ご一読をお勧めします。

 最後にあと一つ添えますと、本作の日本でのヒットは、カバーイラストの美しさが貢献しているのではないでしょうか。迫力があって美しく、奥行きを感じさせる絵で、書店に置いてあったら手に取りたくなる魅力がありますよね。
 ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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軌道エレベーターが登場するお話(23) 三体 その2

2021-09-25 11:03:44 | 軌道エレベーターが登場するお話


三体
劉 慈欣
(日本語訳は2019年 早川書房)


「三体」を取り上げて3回に分けて書くうちの2回目です。今回も重要なネタバレがありますので、未読の方はご注意ください。その1とその3はこちら↓
1. 本作に登場する軌道エレベーター
3. 人物描写について

2. ストーリーについて
 本作では、太陽系から4.3光年の距離にあるケンタウルス座アルファ星系にある、三連星の周囲を公転する惑星の文明人(以下「三体人」)が、地球からの電波を受信して存在を知ります。彼らの母星は、周回する恒星がいわゆる三体運動(特殊解以外に運動方程式が未解明で、三つの恒星がどのような運動をするのか予想ができない)をしています。
 三体運動のため極寒や灼熱の環境が不規則に訪れる過酷な環境にあり、安定した環境を持つ地球への関心と、後述する安全保障上の猜疑心から、三体人は地球を侵略するために艦隊を差し向けます。相対論的限界から、艦隊が到着するまで数百年かかるので、第1部、2部ではそれまでの間の地球での出来事や人類の対応がメインストーリーになります。
 情報量が膨大で、面白いところもツッコミどころもありすぎるくらいなので、いくつかに絞ります。

(1) “ファースト”・コンタクト作品ではない
 以前本作に触れた際、「これだけ落胆し、なおかつこれだけ面白く先へ先へと読ませるSF小説は久しぶり」と書いたのですが、理由を書く時が来ました。

 私はSF作品の中でも、いわゆるファース・トコンタクトを描いた作品に興味があります。地球外知的生命に初めて接した際、人類はいかにコミュニケーションを確立するのか? 異なる文明からのメッセージを、どうやって解読するのか? ファースト・コンタクト物はそこを描いてなんぼであり、作者はどんなアイデアや想像力を見せてくれるのかを楽しみにしてきました。
 で、本作についてある雑誌に「ファースト・コンタクトがテーマ」と書かれていて、俄然期待して読み始めました。

 本作では1960年代、中国の極秘プロジェクトで建設された「紅岸基地」が、宇宙に電波を送信。それを受け取った三体文明からの返信を、およそ8年後に受信します。紅岸基地のコンピュータは、この人類初の地球外知的生命からのメッセージ(しかも単なる挨拶ではなく危機的感情が込められた警告)を、瞬時に解読してしまう。

 ( ゚д゚)

↑こうなったの私だけじゃないよね? ちなみに解読後ほどなく、返信も出しちゃいます。地球の言葉の翻訳機さえなかった時代に。中国科学院スゲエエエエ!
 第3部を読むと、この時のやり取りには、メッセージに解読の手引きのような部分が含まれていたらしいことが示唆されるのですが、その解読ツールはどうやって解読するのか? たとえば単純な二進法を使ったとしても、何回ものやりとりを経て対照表のようなものを作って、ようやく双方向のやりとりが確立するものではないのか? 凡庸な一読者の理解が及ばない方法があるのかも知れませんが、私はそれを見たかったんです。

 言語はもちろん生物学的器質や思考パターンが異なり、まったく接触のない、そもそも言語を有するかどうかさえわからない相手に通じうる概念といえば、自然数や原子量、物理定数など極めて限定的でしょう。「0」を伝えることすら極めて困難に違いない。
 私はファースト・コンタクトSFの最高峰は、カール・セーガン博士の「コンタクト」だと思っていますが、同作では1と素数、つまり1、2、3、5、7。。。と自然現象では発生しえないパターンの信号を最初に電波で送ることで、自分たちが知的文明だということを地球人に伝えます。ある日突然、主人公の務める電波天文台が、強力な素数の電波を受信する場面は、読者を最高に興奮させるツカミです。

 この素数を送るやり方を、本作でも第3部で、三体文明とは異なる未知の知的存在に対して行う場面が出てきますが、これは三体文明を認識してから100年以上後の話で、20世紀の方があっさり意思疎通しちゃっている。
 本作は“コンタクト”ではあっても“ファースト”に重きを置く作品ではないことを知りました。ていうか最後まで三体人と直接コンタクト=第三種接近遭遇しないんだわ!せめてなぜ嘘がつけないのかくらい知りたかったよ←あまりに重要なネタバレなので白く反転しておきます。これから読む人はスルーしてください。 
 そんなわけで、肩透かしをくらったのでありました。


(2) ヘンな小説
 ほかにも「そんなことが可能なのか?」と思ってもまったく説明がないネタ(たとえば全宇宙共通で三体文明の座標を示す方法など)が、本作にはけっこうあるんですよね。そのせいか、「なんかヘンだよこの小説!?」と感じてなりません。
 ファンの皆さんすみません。貶めているわけではないのですが、自分の根っこの感覚がそう訴えてかけてくるんです。しかしそれでも読むのを止めなかったのは、こうしたご都合主義を補って余りある面白さが横溢していたからです。
 非常に多くのSFネタを取り入れている本作は、SFガジェットのカタログのような一面があり、「細かいことはいいんだよ」という描き方も多い。実際、それぞれを過剰に掘り下げて物語を作るとツッコミどころが増え、ハードSFなどが好きな読者から失笑を買いかねないところを、決してギャグには堕さないバランスを巧みに保っているように見えます。結果としてちょっとヘンなんですが、それを読者をひきつける磁力にしています。

 何より「続きが早く読みたい」と思わせる展開に、終始引き込まれます。たとえば第1部で、化学者の汪森(ワン・ミャオ)の視界に、ある日カウントダウンのような数字が現れるという、オカルト現象みたいなことが起き、さらには最先端の物理実験がこぞって破綻してしまう事態も生じて、「三体文明の仕業なのか? 一体どうやって?」と読み進まずにはいられない。その意味で第1部はミステリーの要素が強いとも言えます。

 三体人は侵略艦隊の到着に先んじて、「智子(ソフォン)」という特殊な手段(詳しくは読んでほしいが、このアイデアは本当に面白い。智子を開発できる科学力があるなら、母星の環境改造くらい簡単にできそうなものですが)で地球人の情報を収集し、科学技術の発展も停滞させます。
 混乱はこの智子の仕業なのですが、さらに三体人と内通する地球人組織も存在し、地球人社会が三体人によって蚕食されている実態が明らかになっていきます。智子によって情報も技術も丸裸にされた状態で、いかに三体艦隊を迎え撃つ術を見いだすのか。この展開が、先へ先へと読ませる引力にあふれています。

(3) 黒暗森林について
 本作は色んなSF作品のエッセンスがちりばめられていて、ほかの作品を連想する人は多いようです。私は、三体文明の脅威が明らかになった第1部のラストにTVシリーズの「V」(古い方ね)を思い出しました。

 宇宙に存在する知的生命は、自分たちが攻撃される疑念に常に取り憑かれ、相手を認識し次第、すべからく先制攻撃に走る。それを回避するには、息を潜め自分たちの存在を隠し続けるしかない--「黒暗森林」と呼ばれるこの相互不信が、本作における宇宙の暗黙のルールであり、「異星人がいるならなぜ地球に来ないのか?」という「フェルミのパラドックス」への一つの回答にもなっています。
 「進撃の巨人」に「世界は命ん奪い合いを続ける巨大な森ん中やったんや…」というセリフがありますが、本作はそんな感じの宇宙を描いています。

 ちなみにこの掟が明らかになる第2部は、昔紹介した「宇宙家族ノベヤマ」を思い出しました。同作では知的文明間の最終戦争を回避するため、一定の科学水準より先へ進もうとする文明には制裁が加えらるという秩序が確立しています。宇宙に進出した主人公たちがそのルールを学び、行き詰まりかけているこの秩序の打開策を模索するあたりに、本作との共通性を感じました。
 文明同士が共存・排他のいずれに走るのかに、遺伝子が影響しているという点や、文明に制裁を加える場合、恒星を異常活動させて熱や放射線で惑星を焼いてしまうあたりも同作を連想します。
 しかしこの掟にもツッコミたい部分があり、居場所がわかったら狙われるというなら、三体文明は地球の位置を全宇宙に「通報」してしまえばいいのではないのか? とも思います。地球文明から得るものがあるとしても、何百年もかけて艦隊を送るなど割に合わないだろう。

 フェルミのパラドックスについて、個人的には「単に宇宙が広大すぎて地球人の存在を知らない、知ったとしても相対論の限界から接触する方法がない、あるいは割に合わないからやって来ない」ということじゃないのかな、と思っています。
 知的文明が、必ず本作のような疑心暗鬼の思考をたどるのかは疑問ですが、宇宙の秩序というか掟についての独自の世界観は非常に興味深く、そのベールがはがされていく展開は、とても読み応えがあります。
 また個人的な好みの問題ですが、「説明がない」部分も多いけれども、基本的に現代科学に根差した発想に終始しており、そこから外れた超能力とか魔法とか超常現象とか、反則じみた設定は出てこないのも好みで、こうした読書意欲をそそるSFは久しぶりでした。

 第3部は、気の遠くなるような遠大な話で、「果しなき流れの果に」を思い出します。第3部の主人公については色々思うところがあるので、次回はその点について書こうと思います。
(次回に続く)

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軌道エレベーターが登場するお話(23) 三体 その1

2021-09-12 12:13:07 | 軌道エレベーターが登場するお話

三体
劉 慈欣
(日本語訳は2019年 早川書房)


あらすじ 世界各国の有能な物理学者の自殺が相次ぎ、科学界が混乱する。それは、かつて極秘裏に進められた、地球外知的生命との交信の試みが招いた事態だった。

 話題の「三体」です。とてつもないスケールの大作で、とにかく面白い。軌道エレベーターも登場するので、読み通したら扱おうと思っていました。今回は重要なネタバレもありますので、未読の方はご注意ください。
 なおこのコーナーは、これまで1回1作のペースで扱ってきましたが、軌道エレベーターの考察から感想その他まで、我ながら毎回長ったらしく、読んで下さる方に飽きられてしまうと危惧し、実験的に3回に分けてアップします。3回掲載後、一つに編集し直すか判断するつもりです。その2とその3はこちら
2. ストーリーについて
3. 人物描写について

1. 本作に登場する軌道エレベーター
 本作は“人類存亡年代記”とでもいいましょうか、非常に長い時間をかけた、いくつもの世代にわたる物語です。軌道エレベーターも構想から建造途上、複数完成して運用されるまで、折々で登場します。

 第1部では、いずれ実現するというくらいで直接登場はしませんが、主人公はナノ素材の研究者で、クライマックスの場面でその素材を使い、敵対勢力と決着をつけるエピソードが描かれています。
 ちなみに第1部は「軌道エレベーター」と「宇宙エレベーター」の呼称が混在しており、「宇宙エレベーターは、まさに運河だ。(中略)地球と宇宙をつなぐことになる」といったセリフも出てきますが、第2部以降はすべて「軌道」です。うむ。
 その後第2部、第3部では軌道エレベーターを舞台にしたシーンがあり、この二つを中心に取り上げようと思います。

 さて、第2部「黒暗森林」では、「天梯(ティアンティ)」と名付けられた軌道エレベーター3基が建造され、試験運行の様子などが、ニュースや登場人物の会話で語られています。ほかにも世界各地で色々なタイプの軌道エレベーターが建造されていると推測されますが、今回はこのうちの「天梯Ⅲ」を図示します。細かい情報がないのでざっくりした図で失礼。



 天梯Ⅲは赤道上にあり、海上のフローティング基地「ヴェルヌ島」が地上基部になっています。このため自力推進で地上基部を移動させられるそうです。軌条=ガイドライン(ピラー)は試験段階で1本、やがて4本になることが示唆されています。
 「運搬キャビン」は時速500kmに達し、68時間で静止軌道に到着するそうです。末端には「電磁ランチャー」というのがあって、太陽系脱出速度で質量を発射できるそうです。

 この天梯Ⅲなのか不明ですが、第2部中盤で章北海(ジャン・ベイハイ)という軍人が、軌道エレベーターの静止軌道よりちょい上の、カウンター質量を兼ねた「黄河宇宙ステーション」で船外活動をしている人々を銃で狙撃し、暗殺するというエピソードが登場します。そこで以下のように書かれています。

 弾丸は真空と無重力のおかげで、まったくなんの干渉も受けずにまっすぐ進む。
 照準さえ正確なら、弾丸は安定した直線の弾道でターゲットに命中する。


 残念ながらこれは間違い。弾丸はまっすぐ飛ばず、決して狙ったポイントには当たりません。章北海は"無"重力でその場に留まり漂っているわけではなく、重力にとらわれて地球周回軌道上を公転=楕円運動をしている状態にあるからです。こういう誤解を招きやすいから、無重力ではなく「無重量」の方がいいと書いたんです。
 ようするに章北海自身が一つの衛星なわけです。その状態から運動速度が変化すれば、重力の影響=位置エネルギーも変化し、軌道が変化します。軌道上から弾丸を発射するのは、宇宙機が軌道速度+弾丸の初速度の⊿v(速度)で軌道遷移するのと同じ行為です。
 結果として、軌道上のある1点から進行方向(本作の場合は東)に銃を撃てば弾道は上方へ逸れ、逆方向(同西向き)に撃てば下に逸れます。左右(南北)の方向に撃った場合も、通常の弾丸の速度であれば下に逸れます。

 ついでに言うと、黄河宇宙ステーションは静止軌道より300km上にあるので、そもそも無重量状態でもありません。章北海がステーションから一定の距離を保ったまま宇宙遊泳することは不可能です。次第に軌道エレベーターから距離が離れていきます。
 ただし宇宙服に推進装置があるので、それで解消している可能性はありますが、そんな姿勢制御をしながら銃の狙いを定めるのは至難の業でしょう。なお、反動が極めて小さい銃らしいので、発射の反作用についてはスルーします。これで物語の面白さが損なわれることは決してありませんが。

 第3部「死神永生」では、主人公・程心(チェン・シン)が、太陽-地球系のラグランジュ点(L1)である人物と会合するため、その通り道として軌道エレベーターが使われます。
 この時点で、物語はかなり先の未来を描いており、程心が乗った軌道エレベーターも、トップスピードが時速1500kmの上昇能力を持ち、浴室も備えた「五つ星ホテルの部屋のような(中略)豪華な客室」と、かなり居心地の良い空間が確保できている場面が登場します。乗ってみたいものですね。
 静止軌道ステーションは自転する多重構造のリング状らしく、これでも「世界で最初に建設された」軌道エレベーターらしいのです。ちなみに「三万四千キロの宇宙空間」とありますが、これは単純な数値の間違いだと思われます。

 ただし、作者は軌道エレベーターの大きな利点であり、加速不要で第2宇宙速度までは重力圏外への投射機能がある軌道カタパルトは応用していないようです。
 上述の電磁ランチャーがそれを兼ねているのかもしれませんが、程心が軌道エレベーターからL1へ移動するのには、静止軌道から宇宙艇に乗り換えていますし、第2部でも巨大な宇宙戦艦を脱出に到達させるのに軌道エレベーターの運動エネルギーを利用せず、自推に任せており、それが技術上の課題として扱われてもいます。その意味では、軌道エレベーターを活用し切れていないようで、惜しくも感じます。

 こうした細かい部分気になる点はあるものの、本作では軌道エレベーターを特別な存在にせず、「人類社会にあって当たり前、利用して当たり前のインフラ」として扱っていて、とても好感を抱きます。このような日常の感覚に溶け込んだ姿こそが、軌道エレベーターのあるべき姿の一つでしょう。
 本作は、軌道エレベーターを含む数々のSF作品に登場するガジェットを意欲的、効果的に活用しており、それが本作の面白さの一つであることは間違いありません。ご都合主義が多くツッコミ所も多々ありますが、それを補って余りある面白さに溢れています。次回はそのストーリーについて述べたいと思います。
 (次回へ続く)

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