遊びまわる生活

2009-12-03 14:05:15 | タナカ君的日常
                谷保天神の絵馬掛け

 仕事を止めてから丸11ヶ月が過ぎた。 自分なりの人生設計では75歳までは身体が元気に動かせる、その間は国内・海外を含めて旅行三昧、その後は外歩きも難しくなるだろうから、少し静かに暮らす。 そのための資金配分として75歳までとそれ以降では遊びの資金に差をつけて平均寿命まで生きるとして、それまでに今ある全ての蓄えを使い尽くす計画を立てていました。 この計画で問題なのは平均寿命以上に長生きしたらどうするか? 将来的に変化するであろうインフレなどの経済環境や税金(特に消費税)Upがどの程度僕の計画に影響してくるか? ここら辺りの不透明要因への対処方法は2つ、一つは「判らん将来の不安は脇に置いて、兎に角やりたい事をやる」。 もう一つは「永年慣れ親しんだサラリーマンとしての仕事以外の方法で収入を確保する・・・ ですね。

 やりたい事をやるの一つの柱、 旅行や遊びでは1月から2月にかけてのニュージーランド・ドライブ旅行、 3月末から4月初旬の四国遍路結願の旅、 夏の暑い盛りの一ヶ月を夏でも涼しい大糸線簗場スキー場近く友人の別荘で過ごす生活。 更に合間には蔵王のスキーや九州・久住山のミヤマキリシマ見物、鹿児島から徒歩縦断を成し遂げる友を宗谷岬で迎える北海道への旅、 昨晩の秩父夜祭・宵宮での花火見物等々、傍目には人生を大いに楽しんでいるように見えることでしょう。

 もう一方の新たな収入について話しますと、4月末からはじめたアルバイトは、週に3日・日に4時間を丁度一ヶ月働いて3万円何がしかを得ましたが、辞めてしまいました。 アルバイトに僕が求めたのは人との係わりだったのですが、その職場で求められるPCでのデータ入力ノルマを達成するには、隣のデスクの人とおしゃべりする気分が起こらないほどの集中を必要としたからです。 そのアルバイトで得られる程度の金額なら株取引でも得ていましたし。 働き始めて一ヶ月経過目前での仕事の目標などを話し合う面談の際に「退職の意思表示」をしてしまいました。 雇ってくれた職場には迷惑だったかもですね。 
 一方の株取引の状況ですが、3月末からの四国遍路への出発する前に、手持ち株の全て処分して出かけましたが「ホールドしたまま遍路に出かけていれば大儲け出来たはずなのに!!」 の”たられば”話しもあるのですが、 時にデイトレード、時にスイング取引と行き当たりバッタリな取引のなかで、僕の遊びの資金源の残高は一年前とほぼ同じ水準に維持出来ていますので、これ以上を望んだら罰が当たると思うほどの成果になってます。

 そして世の中は引き続き不況の最中ですが、昨年末に職を失った弟も6月には新たな職場を見つけることが出来たし、年老いた父母の生活を気にしなければならない重圧も何年か前には取り払われている。 そんな僕たちの今の状況は、普通の感覚から言えば「遊びまわって生活して」特に心配事も無い「何も言う事の無い生活」のはずですけれど... 心の底から「毎日が楽しいな!」の気分で生活していないのですよ。 子供の頃のように「明日が」、「お年玉を貰える正月が」来るのを心待ちするような感覚が失われているのです。 自由に行動出来る健康な体、自由に使えるお金、それだけで上野公園で炊き出しの食事を待つ大勢の中高年者に較べたら贅沢なのは判っているのですが。 今の自分に失われているものは将来の目標や希望なのかもしれません。 サラリーマン時代の「時間があったら世界一周旅行しよう!」の考えも、いざ実現出来る環境に身を置いたら、それほど魅力的には感じなくなった自分がいて戸惑っているのです。 それで自分は一体「何を望んでいるのか?」 「何をしたいのか?」、子供の頃の願いや希望といったら「野球のグローブが欲しい」「犬を飼いたい」「庭に池を作って、魚を泳がせたい」「肉が食べたい、それもお腹一杯」といった類のものだったと思うけれど「この歳になった自分の希望を文字で表すとしたら何かな?」 「神社での祈願文の中にぴったり来るものがあるのではないか?」と考えて、昨日のブログに書いたように神社を巡って絵馬を眺めて来たのです。 雨の日の一日、暇つぶしに長めの文章書いて過ごしています。 読んでくれた人もお疲れ様。 今夜の秩父夜祭は雨の中だろうな、昨晩の宵宮は花火の量が少なくて今晩の方が本番らしいけれど「昨晩行ってしまって大正解!!」ですね。
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