アメリカの大統領選挙も数日後に迫り、毎日毎日、選挙がらみのダイレクトメールやら電子メールやらが大量に届く。特に電子メールは、この1ヵ月ほど、ものすごい量が届く。オバマ大統領本人が差出人のものはもちろん、ミシェル・オバマ、ビル・クリントン、民主党支持のハリウッドスター、民主党選出の州上院議員、ペロシ下院議長などなど、様々な差出人から、投票を促すものよりは寄付を求めるメールが日に30通も届く。3ドルでいいから、とか、5ドルでいいから、とか、10ドルでいいから、とか、寄付がダメならボランティアしない?とか、とにかくすごい。
各種団体からの選挙に関するメールも多いが、こちらは投票を促すものが主だ。地区ごとにその団体が支持する候補者や住民投票の選択肢をメールしてくる。住民投票に関しては、大きな選挙に合わせて毎回かなりの数が行われる。中には「死刑制度を廃止すべきか否か(実際に今回、こういうのがあります)」といった非常に分かりやすいものもあるが、大抵はどちらを選べばいいのかとんと分からぬもので、自分が信頼する団体から「こっちに投票だよ」と教えてもらえるのは非常に有り難い。
さて、こういった選挙がらみの寄付に関しては、求められても比較的気楽に無視できる。しかし、選挙に関係ない寄付を求める手紙(DM)の多さには、この半年ほど正直なところ、辟易としている。恐らく、去年の年末にいくつかの団体に寄付をしたためだろう。あの時も、こうなることを恐れる気持ちはあったのだが、果たしてそうなってしまった・・・
なにしろ、ほとんど毎日、どこかしらの団体から寄付を求める封書が届く。毎週のように送ってくる団体もあれば、たまにとか、初めての団体もあるが、多い日には4~5通も寄付を求める封書が届く。どれも、書いてある活動内容はまっとうで、人権擁護、途上国援助、差別撤廃、環境保護など、寄付してあげたいのは山々なのだが、ビル・ゲイツじゃないんだから、例え大した額じゃなくてもすべてに寄付していたら破産するわい!
特にイヤなのは、グリーティングカードや差出人ラベル、メモ帳、カレンダーの類を勝手に同封して寄付を求めてくる手紙。寄付しないことに多少の罪悪感を覚えるし、DMにそんなコストをかけるぐらいなら、その分を活動費用に回せよという思いもある。中でも差出人ラベルは本当に勘弁してほしい。手紙類を送る際に封筒などに貼るためのシールだが、今時そうそう個人的な郵便なんか出さないから貯まる一方である。よせばいいのにわざわざ私の名前の頭に「Mr.」とつけてある差出人ラベルも結構あり、こういうのは微妙にムカつくので寄付しないことによる罪悪感は薄いものの(アメリカでは差出人どころか宛名にも「Mr.」や「Ms.」なんてつけないのが普通だし、男か女か分からないのなら何も付けなければいいのに、どうしてわざわざ「Mr.」と付けてくるのか、理解に苦しむ)、捨てるのももったいなくて、使い道に困る(公共料金の支払い時の封筒ぐらいしか思いつかん)。
先日は、本物の小銭を同封してきた手紙があってびっくりした(参照)。「この5セント、あなたにとっては僅かな額でも途上国の人にとっては・・・」って、何人に送ってるのか知らないけど、この5セントのお金としての価値と同封する手間、同封することによる郵送料の増大分を、それこそ途上国の人のために使ってくださいよ。
「15ドル以上寄付した人にはギフトを差し上げます」といったうたい文句もよく見かけるが、これも大嫌いだ。そんなものくれなくていいから、寄付は全額、有効に使えよ!と言いたくなる。ギフトとしては布製バックやリュックなどの鞄類が多いが、そんなものがほしくて寄付するヤツがこの世に存在するのか?! 自分だったら、そんなものをくれるのだったら、言い換えれば自分の寄付が全額有効に使われないのなら、逆に寄付なんかしたくないけどねえ。その団体に寄付しているということをアピールしたい人向けには、有料でバッグやステッカーを売ってあげればいいでしょ!
などと偉そうに文句を垂れたものの、要するに私はビル・ゲイツじゃないんだから、そんなに毎日寄付を求める手紙を送りつけられてもほんっと~~~に困るんである。今年も年末ぐらいは寄付をしようかなと考えていたけれど、寄付を求める手紙がこれ以上増えたらと思うと、二の足を踏んでしまう。
もう本当に、いろんな意味で心が痛むだけで、それによって(私のような一般庶民からは)寄付が増えたりはしないから、いくら寄付したくてもない袖は振れないし、手紙やおまけを送ってくるコストが無駄だから、とにかくもう私に寄付を求めるDMは送らないでくれ~!!!
各種団体からの選挙に関するメールも多いが、こちらは投票を促すものが主だ。地区ごとにその団体が支持する候補者や住民投票の選択肢をメールしてくる。住民投票に関しては、大きな選挙に合わせて毎回かなりの数が行われる。中には「死刑制度を廃止すべきか否か(実際に今回、こういうのがあります)」といった非常に分かりやすいものもあるが、大抵はどちらを選べばいいのかとんと分からぬもので、自分が信頼する団体から「こっちに投票だよ」と教えてもらえるのは非常に有り難い。
さて、こういった選挙がらみの寄付に関しては、求められても比較的気楽に無視できる。しかし、選挙に関係ない寄付を求める手紙(DM)の多さには、この半年ほど正直なところ、辟易としている。恐らく、去年の年末にいくつかの団体に寄付をしたためだろう。あの時も、こうなることを恐れる気持ちはあったのだが、果たしてそうなってしまった・・・
なにしろ、ほとんど毎日、どこかしらの団体から寄付を求める封書が届く。毎週のように送ってくる団体もあれば、たまにとか、初めての団体もあるが、多い日には4~5通も寄付を求める封書が届く。どれも、書いてある活動内容はまっとうで、人権擁護、途上国援助、差別撤廃、環境保護など、寄付してあげたいのは山々なのだが、ビル・ゲイツじゃないんだから、例え大した額じゃなくてもすべてに寄付していたら破産するわい!
特にイヤなのは、グリーティングカードや差出人ラベル、メモ帳、カレンダーの類を勝手に同封して寄付を求めてくる手紙。寄付しないことに多少の罪悪感を覚えるし、DMにそんなコストをかけるぐらいなら、その分を活動費用に回せよという思いもある。中でも差出人ラベルは本当に勘弁してほしい。手紙類を送る際に封筒などに貼るためのシールだが、今時そうそう個人的な郵便なんか出さないから貯まる一方である。よせばいいのにわざわざ私の名前の頭に「Mr.」とつけてある差出人ラベルも結構あり、こういうのは微妙にムカつくので寄付しないことによる罪悪感は薄いものの(アメリカでは差出人どころか宛名にも「Mr.」や「Ms.」なんてつけないのが普通だし、男か女か分からないのなら何も付けなければいいのに、どうしてわざわざ「Mr.」と付けてくるのか、理解に苦しむ)、捨てるのももったいなくて、使い道に困る(公共料金の支払い時の封筒ぐらいしか思いつかん)。
先日は、本物の小銭を同封してきた手紙があってびっくりした(参照)。「この5セント、あなたにとっては僅かな額でも途上国の人にとっては・・・」って、何人に送ってるのか知らないけど、この5セントのお金としての価値と同封する手間、同封することによる郵送料の増大分を、それこそ途上国の人のために使ってくださいよ。
「15ドル以上寄付した人にはギフトを差し上げます」といったうたい文句もよく見かけるが、これも大嫌いだ。そんなものくれなくていいから、寄付は全額、有効に使えよ!と言いたくなる。ギフトとしては布製バックやリュックなどの鞄類が多いが、そんなものがほしくて寄付するヤツがこの世に存在するのか?! 自分だったら、そんなものをくれるのだったら、言い換えれば自分の寄付が全額有効に使われないのなら、逆に寄付なんかしたくないけどねえ。その団体に寄付しているということをアピールしたい人向けには、有料でバッグやステッカーを売ってあげればいいでしょ!
などと偉そうに文句を垂れたものの、要するに私はビル・ゲイツじゃないんだから、そんなに毎日寄付を求める手紙を送りつけられてもほんっと~~~に困るんである。今年も年末ぐらいは寄付をしようかなと考えていたけれど、寄付を求める手紙がこれ以上増えたらと思うと、二の足を踏んでしまう。
もう本当に、いろんな意味で心が痛むだけで、それによって(私のような一般庶民からは)寄付が増えたりはしないから、いくら寄付したくてもない袖は振れないし、手紙やおまけを送ってくるコストが無駄だから、とにかくもう私に寄付を求めるDMは送らないでくれ~!!!