来年韓国語の教室を開校予定しているが、しかしここのところ日韓の関係が悪化してきているので、延期せざるを得ない。
まあ彼ら彼女らのこういった一連の行動はあらかじめ予想できたことなので、特にあせりなどないが、しかし大統領の発言を発端に反日教育の実態がさらけだされ、今では旅行者もへってきているのだが、たぶんしばらくはこういう状態が続くであろうと予想している。
この韓国語の教室であるが、これをするにあたって友人の紹介で講師を紹介してもらっている。
彼女は来年卒業予定の大学生、就職が厳しいのでその間つなぎで韓国語を教えると言うことを言っていて、この前この学生と韓国語の打ち合わせをしたのだが、その時ちょうど大学のアサインメントがあって、彼女は教育学部の日本語学科で将来日本語の教師を希望しているのだが、私に「日本ではいい教師ってどんな教師なのか」ということを聞いてきた。
私はとっさに「devote themself to students」ができるような人と言ったのだが、これは私の持論である。
たぶんこのことは人に何かを教えるときにおいてそうだと言えるのだが、おそらく人に何かを教えようと言うような仕事には、ある程度の犠牲といってはおおげさだが、そういう部分がなければいけないと思うし、人から多くのもの見返りとして期待してはいけないと思っているのだが、ボクシングを教えると言うことにおいても、ある程度犠牲的というか、そういう精神や奉仕的な精神がなければ人に教えて本当の信用を得ることはできないと思っている。
これは前にも話したが、私は以前福祉施設で何人かの子供をカウンセリングしたことがある。
私自身も複雑な環境におかれて、それなりに世の中に対して反発して生きてきたが、しかし彼ら彼女らのように自分の親に見捨てられたと言うことから比べたらそんなことは比ではない。とにかく彼ら彼女らの信用を得ることは難しかった。
実際かかわっていても最初はかなり食い違うことが多く、はじめの頃はかなりきつい裏切りにもあって、正直頼まれて引き受けたがもうかかわるのはやめてやろうかと思ったこともしばしばあったのだが、しかし彼ら彼女らと向き合ってかかわっていくうちに、彼ら彼女らは犠牲者で、自分は彼ら彼女らからどうしたら信用してもらえるかと言うことを真剣に考えたことはたしかなことである。
前回生徒をほったらかしにして遠征でキャバクラに行く下半身にしまりのない奴らのことを言ったが、特にこういう不誠実は、親や人間に裏切られた人間にとっては、一番信用を失うことで、豪快でいいとかおもしろいですまされる話ではない。
なぜなら親が酒におぼれて暴力をふるうとか、母親が男に走って子供をほったらかしにされりたり、ひどい奴になると男に好かれるために子供を虐待したという話があるからで、子供たちがこういう大人の自分勝手て自重できない行為の犠牲になってきたからだ。
私はそういうかかわりの中で、今後一切酒を飲んだり、不誠実なことはしないと誓ったのだが、これが唯一不完全である私にできる建設的なサクリファイスであったと思っているが、無力であってもこういうことをしっかりすれば信用を得れるものである。
現にそれ以来思い切り言いたいことが言えたし、思っていることも伝えることもできた。時にはかなりおこって言ったこともあるが、しかしお互い一人の人間として向き合えたことは確かなことで、うまくいかなかったこともあったが、しかし私は彼ら彼女らを裏切ることはなかったということは自信を持って言える。
サクリファイスというのは日本語で「犠牲」という言葉である。
しかし私の言うサクリファイスは「犠牲」と言うよりも、子供と大人の心理的な壁をとりのぞくために必要な大人が譲る行為で、正直子供とかかわる人間は大なり小なりこのサクリファイスが求められるのではないだろうか?
子供と言うのはよく見ているものだ、たぶんこういう下半身にしまりのないような奴らは、本当の意味で信用などされない。たぶんそういう奴らが作る群れと言うのは、仲間や子飼いと言った、自分たちさえよければいいと考えているような奴らが囲む集団で、親玉中心の封建的な社会がまさにそれだと思っているが、こういう奴らばかり集めて自分たちの小さい王国をつくろうとするから社会的に影響などもたない、むしろボクシングは野蛮でバカがやるスポーツだと揶揄されるのだと思う。
今や社会的に何らかのかたちで世の中に貢献しなくては、スポーツの存在意義は乏しいものだ、アマチュアボクシングがマイナースポーツでおわっているのも、こういう貢献の仕方ができないからであり、ある意味レヴェルがひくいと言わざるを得ないような行動をおこすからだと疑っているが、親玉だけではなく、この世界は本当に人権を無視していることが多い。
ちなみに私は人権派の人間ではない。
むしろすべてのことを人権にからめてアドヴァンテージをとろうとする団体に対しては、疑問を持っているが、しかしそれにしてもアマチュアボクシングはひどすぎる。
まあ彼ら彼女らのこういった一連の行動はあらかじめ予想できたことなので、特にあせりなどないが、しかし大統領の発言を発端に反日教育の実態がさらけだされ、今では旅行者もへってきているのだが、たぶんしばらくはこういう状態が続くであろうと予想している。
この韓国語の教室であるが、これをするにあたって友人の紹介で講師を紹介してもらっている。
彼女は来年卒業予定の大学生、就職が厳しいのでその間つなぎで韓国語を教えると言うことを言っていて、この前この学生と韓国語の打ち合わせをしたのだが、その時ちょうど大学のアサインメントがあって、彼女は教育学部の日本語学科で将来日本語の教師を希望しているのだが、私に「日本ではいい教師ってどんな教師なのか」ということを聞いてきた。
私はとっさに「devote themself to students」ができるような人と言ったのだが、これは私の持論である。
たぶんこのことは人に何かを教えるときにおいてそうだと言えるのだが、おそらく人に何かを教えようと言うような仕事には、ある程度の犠牲といってはおおげさだが、そういう部分がなければいけないと思うし、人から多くのもの見返りとして期待してはいけないと思っているのだが、ボクシングを教えると言うことにおいても、ある程度犠牲的というか、そういう精神や奉仕的な精神がなければ人に教えて本当の信用を得ることはできないと思っている。
これは前にも話したが、私は以前福祉施設で何人かの子供をカウンセリングしたことがある。
私自身も複雑な環境におかれて、それなりに世の中に対して反発して生きてきたが、しかし彼ら彼女らのように自分の親に見捨てられたと言うことから比べたらそんなことは比ではない。とにかく彼ら彼女らの信用を得ることは難しかった。
実際かかわっていても最初はかなり食い違うことが多く、はじめの頃はかなりきつい裏切りにもあって、正直頼まれて引き受けたがもうかかわるのはやめてやろうかと思ったこともしばしばあったのだが、しかし彼ら彼女らと向き合ってかかわっていくうちに、彼ら彼女らは犠牲者で、自分は彼ら彼女らからどうしたら信用してもらえるかと言うことを真剣に考えたことはたしかなことである。
前回生徒をほったらかしにして遠征でキャバクラに行く下半身にしまりのない奴らのことを言ったが、特にこういう不誠実は、親や人間に裏切られた人間にとっては、一番信用を失うことで、豪快でいいとかおもしろいですまされる話ではない。
なぜなら親が酒におぼれて暴力をふるうとか、母親が男に走って子供をほったらかしにされりたり、ひどい奴になると男に好かれるために子供を虐待したという話があるからで、子供たちがこういう大人の自分勝手て自重できない行為の犠牲になってきたからだ。
私はそういうかかわりの中で、今後一切酒を飲んだり、不誠実なことはしないと誓ったのだが、これが唯一不完全である私にできる建設的なサクリファイスであったと思っているが、無力であってもこういうことをしっかりすれば信用を得れるものである。
現にそれ以来思い切り言いたいことが言えたし、思っていることも伝えることもできた。時にはかなりおこって言ったこともあるが、しかしお互い一人の人間として向き合えたことは確かなことで、うまくいかなかったこともあったが、しかし私は彼ら彼女らを裏切ることはなかったということは自信を持って言える。
サクリファイスというのは日本語で「犠牲」という言葉である。
しかし私の言うサクリファイスは「犠牲」と言うよりも、子供と大人の心理的な壁をとりのぞくために必要な大人が譲る行為で、正直子供とかかわる人間は大なり小なりこのサクリファイスが求められるのではないだろうか?
子供と言うのはよく見ているものだ、たぶんこういう下半身にしまりのないような奴らは、本当の意味で信用などされない。たぶんそういう奴らが作る群れと言うのは、仲間や子飼いと言った、自分たちさえよければいいと考えているような奴らが囲む集団で、親玉中心の封建的な社会がまさにそれだと思っているが、こういう奴らばかり集めて自分たちの小さい王国をつくろうとするから社会的に影響などもたない、むしろボクシングは野蛮でバカがやるスポーツだと揶揄されるのだと思う。
今や社会的に何らかのかたちで世の中に貢献しなくては、スポーツの存在意義は乏しいものだ、アマチュアボクシングがマイナースポーツでおわっているのも、こういう貢献の仕方ができないからであり、ある意味レヴェルがひくいと言わざるを得ないような行動をおこすからだと疑っているが、親玉だけではなく、この世界は本当に人権を無視していることが多い。
ちなみに私は人権派の人間ではない。
むしろすべてのことを人権にからめてアドヴァンテージをとろうとする団体に対しては、疑問を持っているが、しかしそれにしてもアマチュアボクシングはひどすぎる。