脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

zuckerbrot und peitsche

2013-01-24 | Weblog
今週は体育会の暴力や組織について批判してきた。体育会のすべての暴力やいじめなどは一学校や指導者と言った個人の問題ではなく、組織や体質の問題でその組織を根本的にかえて行かなくてはこういう犯罪はおこるであろうということを言ってきたと思う。

体育会を表す言葉として挙げるのが「zuckerbrot und peitsche」と言う言葉である。
これは日本語に訳すと「あまいパンとムチ」一般的には「アメとムチ」と言う言葉で用いられているが、これはドイツが帝国であった時代に宰相ビスマルクが国民をあやつるためにとった国民懐柔策で、アメは報酬、そしてムチは弾圧さらに暴力や強制と言う意味が込められている。
彼がアメとムチで国民を懐柔させ、従わせたことによって、彼の政策は今日の社会保障制度のいしづえとなったが、しかしその一方で社会主義者に対しての激しい迫害があったことも確かなことで、これは近年まで為政者が国民を懐柔させ従わせるために用いてきた手段である。
しかしこう言った懐柔策は為政者がディクテイター(独裁者)であるからこそできる懐柔策で、日本のような民主主義の政治体制では当然実行することはできない、いわゆるアメとムチの懐柔策は独裁者であるからできることである。

体育会系の奴は愛情のある体罰なんていうことを言う、今回の事件でもなぐられたのは自分がミスしたから、しかし監督はなぐってもその分自分をほめてくれたと言うようなことを言っている奴が結構いるのだが、さらに元オリンピック選手は体罰はあったが、何がわるいかということを説明してなぐってくれた、そして監督はいいプレイをした時はほめてくれたとコメントしていた。
バカじゃないのか。本当にスポーツバカはおそろしい。なぜこういうバカを元オリンピックと言うだけでテレヴィに出すのか?
程度のひくいコメントはテレヴィはさせないほうがいい。こういう発言は暴力を容認しているのと同じ、自分たちはアメとムチを使い分けて懐柔させられていると言うことがわかっているのだろうか。
アメとムチのつかいわけは体育会の常とう手段だ、何がわるいのかと言ってなぐるのは、ある意味だまってなぐるよりもたちがわるい、こういうやり方は上下関係をはっきりさせ、従わせるためのもっとも効果的なやり方、口でわかっていることだから口で言えばいいのだが、しかし体育会と言う軍団は、その体質として、みせしめがなくては全体的に統制がとれないので暴力を用いる。
しかしこういうことでも競技面において成長し、情をかけられ、後でちょっとでもほめられれば感謝されるのだから、スポーツしかできないような人間は単純で、こういう懐柔策にかかりやすく、まさに体育会のアメとムチの使い方は洗脳と言ってもいいが、これはクラブと言う小さな世界で監督が独裁者であるからできることである。
しかしアメとムチをつかいわけるなんて言う指導法はもう今の時代には時代錯誤である。
指導者が、厳しくそして時には優しく、競技者から父親のように恐れられて、そしてまわりがそのお父さんを尊敬するという家父長制的な制度は、はっきり言って異常である。今回の事件もそういう体質の中で監督がお父さんや親分的な役割をもち、そういう中で監督の暴力は愛情だと言う暗黙の理解があったのではないかと思っているが、アメとムチの懐柔策は監督がそういうポジションにつき、競技者を従わせるためには必要であったことであり、たぶんこういうアメとムチをつかったやり方は、ほとんどのクラブで行われていることであると思う。
私が今回の問題を一学校や個人の問題ではなく、運動クラブのシステムそのものに問題があると言ったのは、まさにこういう悪習があるからで、こういう悪性の中にどっぷりつかると「愛情のある体罰(暴力)」などと言うバカなことを言うのだと思う。

よくこの問題を体罰は程度の問題だと言う人間がいるが、しかしこれは程度ではなく制度、システムの問題。
根本的にこういう古い徳川時代のような制度をかえなくてはだめ。
欧米なんか参考にしたらもう日本と小学生の地点でスポーツに対する考え方や取り組み方が違うと言うことがわかる。
そこでは子供の人権や主張が尊重され日本のそれとはまったく違うことがわかるが、こういうことも日本はスポーツバカがはびこっているので適応させることができない。なんせ体育会は子供の頃からスポーツばかりで、勉強はろくすっぽしてないやつが多いし、英語を話せる人間がほとんどいないのだから無理もない。
こういう悪弊が残る制度を解体させるためにも、もう少し競技者のレヴェルをあげて指導者をかえるべきだ、そのため競技者にもっと勉強させる必要もある。

欧米では大学は勉強するところだ、授業は基本的には出席する、ディスカッションには必ず参加する。できなけでは後で質問するぐらいでなければ、授業に参加したものとはみなされない。学校で勉強して専門知識を学ぶということはそういうことである。
クラブ推薦で入った奴は何をしているのかわからないが、そもそもスポーツをしに学校に来ると言うのはなめている。
こういう奴らにあまく単位をやる必要もない。学校は勉強するところ、スポーツをする場ではない。
こういう奴らがスポーツ界にはびこっている限り、制度自体をかえることはかなり困難なことだと思う。








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