うちのジムはおっさんが多い。30代は若手、20代は超若手である。みなさんそれぞれ在籍年数も長く5年以上続けてくれている人の割合が高く、そういう世代や年齢の壁をこえてトレーニングしているが、みなさんすごく楽しそうである。私はかつて競技者であったわけだが、引退してジムをオープンして思ったことは、スポーツは続けなくては意味がないということだ。健康維持でもダイエットでも楽しんでスポーツを続けることがスポーツ本来の目的であり、そういう意味ではMOBのみなさんは楽しんでボクシングを続けてくれていると思う。
ユクスキュル は著書「生物から見た世界」の中で「すべての生物は自分自身が持つ知覚によってのみ世界を理解しているので、すべての生物にとって世界は客観的な環境ではなく、主体的に構築する独自の世界である。」と言っている。これをユクスキュルは環世界(Umwelt )と言っているが、われわれはその自分たちがつくった主観的な世界に生きているということである。視力が弱く嗅覚がすぐれている犬と人間ではその見ている世界が違うし、視点がちがう。そのように我々は独自の視点をもって世界を解釈していいのだ。そしてそれはボクシングも同じことが言える。試合に出なければボクシングではないとか、俺たちはそんなすごいことをやっているんだぞとさもいいたげにボクシングは危険なスポーツだとか、それぞれ解釈するのは勝手であるが、しかしそういうわくに押し込めてボクシングを理解するのは愚かだと思う。試合に出なくてもリングでシャドウをして、ミットをうてばそれはそれで立派なボクシングのトレーニングだし、ボクシングは危険なスポーツだという見方も一面的で、実戦をノンコンタクトマスボクシングを中心にすれば安全にボクシングを競技することができるが、多様性を認めず、これがボクシングだという自分たちの価値観を押し付けて、ボクシングはこうだというのは無理がある。うちのクラブでは試合にでていてもみなさん健康維持と言う。それはみなさんが多様性を認めているからであり、関係がフラットだからだ。MOBでは試合に出るからと言って優遇されることはない、みなさん同じ会員であり、むしろマイノリティを大事にするという意味で平等性のあるクラブであると思っている。
ジムは公共の場である。だから試合に出るとかそういう人間たちが何をするにも優先されることは、そのクラブが多様性を認めていないからであり、そういうクラブは往々にして英語に疎い集団だと思っている。私自身競技者としてボクシングを競技していたわけだが、振り返ってそのボクシング人生はドラマのようであったと思う。ピーターに誘われ、ジョージに声をかけられて本格的にはじめたボクシング、悔しい思いもたくさんしたし、初めて大会で優勝した時は本当にうれしかったが、私はいろいろな意味でボクシングを楽しんでいたと思う。よくばりばり競技して引退した人が「競技人生に悔いはない」と言うが、しかし申し訳ないが私はこの言葉に多少の負け惜しみ感を感じてしまう。私自身たいした実績ではないが、振り返ってすごく楽しかったし、それはまるでドラマのような世界であったと思う。私は今そんな小さな実績ではなくそういう思い出とともに生きている。そういう思い出が年をとっても楽しい気分にさせてくれるし、それが私の年輪である。スポーツは修行ではなく楽しむものだ、ジムでは年齢に関係なく楽しくボクシングをして思い出づくりをしてほしいと思う。
参考文献
「生物から見た世界」ユクスキュル 岩波文庫