オリーヴは国際的であると言うことを目指している。
でそのため英語と言うのは必須条件で、特に若い人たちには英語をおぼえることを奨励し、場合によってはレッスンを提供しているのだが、そのせいかビジネスマンで海外勤務を希望する人や、学生などで留学を目指している人が意外と多い。
この前もある中学生の会員のお母さんが言っていたが、子供がここに来て英語に興味を持ったらしく、彼がお母さんに「俺高校ぐらいになったら日本にはおらへんで」と、さも自分は留学するんだと言うようなことを言っていたそうだが、この年齢でこういうことが言えると言うのは非常に頼もしいことであり、私としてはたいへんうれしいことである。
手前みそであるが、Mtオリーヴボクシングクラブというのは、子供にたいして非常にいい影響をあたえる場であると信じている。
勉強しろ、英語は大事だと基本的な事柄として、ここでは教えるのであるが、しかしそれらは単に体裁をとりつくるためでもなければ、偉く見られたいから分かったようなことをいうわけでもない。
実際にここに来れば分かるのだが、みなさん真面目にやってきて、社会人としても立派にやっている人が多いのだが、やはりそういう人たちが多いと、勉強しろとか英語は大事だと言うことが肯定的であり、説得力があるので、子供たちはその雰囲気に影響されるのではないかと思っている。
ここオリーヴには何人かの青少年が会員として在籍しているのだが、いつも私が思うことは、自分たちが彼らにどういう影響を与えられるかと言うことである。
はっきり言ってここに来ている子供は、格闘技にみられる勝気で、向こうっ気が強いと言うようなタイプでもなく、どちらかというとみんなおっとりしていて、ばんばん練習をやるよりも、ほどほどにやるタイプである。
この前もサーキットトレーニングの後に、シャドウとミットうちをさせたのだが、しかし途中でばててしまい「もうダメやすませろ」と1ラウンドやると次のラウンドは休むということを繰り返していたのだが、彼らはそこまでばりばりやらなくてもいいじゃないか派で、この年でもうすでに彼らは健康維持コースである。
私は彼らのこういうスタイルを受けいれている。
よく精神を鍛錬するとか、自信をつけると言うが、しかしスポーツクラブの目的はそれだけではない、彼らのようにここに来るのは息抜きのためで、運動することで日ごろのストレスを解消している。そういうスポーツの仕方もいいではないかと思っている。
しかしこんなことを言うと、自分たちだけが一生懸命やっていると勘違いしている軍団がおこると思うが、しかしスポーツを自分たちの価値観だけで定義すること自体間違っていることであって、昔はスポーツで精神を鍛えるというような、日本人特有のスパルタ的な勘違いで、スポーツは楽しむものではなく、苦しむものだ、そしてその苦しむ先には栄光がまっているなどというマゾヒズム的な間違った考えが定着していたが、しかし今はそういう考え方が見直され、誰もがスポーツを健康のためにするという時代になってきたので、ほとんどの人が趣味でスポーツをしていると言うことができる時代である。
向こうに行けば分かるが、アメリカには才能のある人間がたくさんいる。
私の知っている限りでは、WBAの1位までのぼりつめた男がいたが、彼はすごかった。フィリピン系の移民で、ミットうちを見たことがあるが、めちゃくちゃはやい。私も実際スピードには自信があって、2年ぐらい前までは会員に「これがリアルパンチじゃ」と半分冗談でうっていたのだが、そのパンチの速さにすごいなどと言っていたが、こんなパンチは彼のパンチに比べたら話しにならない。前に会員の人が辰吉のミットうちをYoutubeで見て「見えない、すごい」と言っていたが、だいたいライト級ぐらいまでに関してであるが、一流選手とそうでない選手の違いは、パンチの速さだと思っている。
実際パンチの速さを見ればその選手がどの程度かと言うことがわかるのだが、いくら格好をつけてやってもパンチが遅くては話しにならない。キックボクシングだったらまだしも、ボクシングは腕2本で勝負するのだから、スピードがすべてで、スピードのない人間は通用しない。
このヘススと言う男もとにかくパンチが速かった。対戦した奴に聞いたら、対戦してかまえたら6つぐらいパンチがとんできて、気がついたらとめられていたそうだが、とにかく打ち返す間もないぐらいの速さで、電光石火のごとくパンチをはなつらしい。
実は彼と私は同じ階級で、次のトーナメントに出場していたら間違いなく彼とあたっていたのだが、彼はプロになるためにメインランドに、たぶんというか、もしあたっていたら間違いなく、ぼこぼこにされていただろうと思う。
さらに向こうではスポーツをかけもっている人間が多く、才能がある人間は何をやってもそこそこできて、我々が5年かけて出来たことを半年ぐらいでやってしまうのだが、トーナメントでもいきなり出て来た新人に、何年もやってた人間が、ころっとまけるなんていうことも十分にありうるのだが、半年前まではサーフィンに力をいれていたが、今回はボクシングの試合にでも出て見ようかなんて言う奴にまけてしまうのである。
才能と言うのはおそろしいものである。だからもしそういう世界で、上に行くことだけを目指すだけであれば、才能のない人間はその競技上においては、価値がないように思えるのだが、私がボクシングは趣味だというのは、実にそういうところにある。
しかし趣味だと言うのはにげ口実ではない。
何もスポーツは上を目指すのが本当の目的ではない、確かにそういう人間もいるけど、しかしまた別の楽しみ方もある。
もともとスポーツと言うのはすべての人のためにあるのだから、誰にでもそれを行う資格はあり、それを楽しむ資格があると思っているのだが、趣味だと言うことは実にそういうことである。
向こうに行けばわかるが、みんなスポーツをやる人間の顔は生き生きしている。
日本のように追い詰められて、修行みたいな感じでボクシングをしているよ言うような感はなく、ただ純粋に趣味でやっていると言う人も多く、本当にスポーツを楽しんでいる。
スポーツ本来の目的は楽しむことであり、その楽しむことで人は日ごろのストレスや、しんどさから解放されると、そう信じている。封建的な世界では修行のようにしんどい思いをしてくるしまなければ、本当の達成感や喜びなど得られないと損じているが、しかしそれは間違いだ。
私は精神を鍛錬すると言うことは教えることはできないが、しかしエンジョイするということは教えることができる。
なぜならそのエンジョイの仕方は自分が経験したものであり、その経験を伝えることができるからである。
でそのため英語と言うのは必須条件で、特に若い人たちには英語をおぼえることを奨励し、場合によってはレッスンを提供しているのだが、そのせいかビジネスマンで海外勤務を希望する人や、学生などで留学を目指している人が意外と多い。
この前もある中学生の会員のお母さんが言っていたが、子供がここに来て英語に興味を持ったらしく、彼がお母さんに「俺高校ぐらいになったら日本にはおらへんで」と、さも自分は留学するんだと言うようなことを言っていたそうだが、この年齢でこういうことが言えると言うのは非常に頼もしいことであり、私としてはたいへんうれしいことである。
手前みそであるが、Mtオリーヴボクシングクラブというのは、子供にたいして非常にいい影響をあたえる場であると信じている。
勉強しろ、英語は大事だと基本的な事柄として、ここでは教えるのであるが、しかしそれらは単に体裁をとりつくるためでもなければ、偉く見られたいから分かったようなことをいうわけでもない。
実際にここに来れば分かるのだが、みなさん真面目にやってきて、社会人としても立派にやっている人が多いのだが、やはりそういう人たちが多いと、勉強しろとか英語は大事だと言うことが肯定的であり、説得力があるので、子供たちはその雰囲気に影響されるのではないかと思っている。
ここオリーヴには何人かの青少年が会員として在籍しているのだが、いつも私が思うことは、自分たちが彼らにどういう影響を与えられるかと言うことである。
はっきり言ってここに来ている子供は、格闘技にみられる勝気で、向こうっ気が強いと言うようなタイプでもなく、どちらかというとみんなおっとりしていて、ばんばん練習をやるよりも、ほどほどにやるタイプである。
この前もサーキットトレーニングの後に、シャドウとミットうちをさせたのだが、しかし途中でばててしまい「もうダメやすませろ」と1ラウンドやると次のラウンドは休むということを繰り返していたのだが、彼らはそこまでばりばりやらなくてもいいじゃないか派で、この年でもうすでに彼らは健康維持コースである。
私は彼らのこういうスタイルを受けいれている。
よく精神を鍛錬するとか、自信をつけると言うが、しかしスポーツクラブの目的はそれだけではない、彼らのようにここに来るのは息抜きのためで、運動することで日ごろのストレスを解消している。そういうスポーツの仕方もいいではないかと思っている。
しかしこんなことを言うと、自分たちだけが一生懸命やっていると勘違いしている軍団がおこると思うが、しかしスポーツを自分たちの価値観だけで定義すること自体間違っていることであって、昔はスポーツで精神を鍛えるというような、日本人特有のスパルタ的な勘違いで、スポーツは楽しむものではなく、苦しむものだ、そしてその苦しむ先には栄光がまっているなどというマゾヒズム的な間違った考えが定着していたが、しかし今はそういう考え方が見直され、誰もがスポーツを健康のためにするという時代になってきたので、ほとんどの人が趣味でスポーツをしていると言うことができる時代である。
向こうに行けば分かるが、アメリカには才能のある人間がたくさんいる。
私の知っている限りでは、WBAの1位までのぼりつめた男がいたが、彼はすごかった。フィリピン系の移民で、ミットうちを見たことがあるが、めちゃくちゃはやい。私も実際スピードには自信があって、2年ぐらい前までは会員に「これがリアルパンチじゃ」と半分冗談でうっていたのだが、そのパンチの速さにすごいなどと言っていたが、こんなパンチは彼のパンチに比べたら話しにならない。前に会員の人が辰吉のミットうちをYoutubeで見て「見えない、すごい」と言っていたが、だいたいライト級ぐらいまでに関してであるが、一流選手とそうでない選手の違いは、パンチの速さだと思っている。
実際パンチの速さを見ればその選手がどの程度かと言うことがわかるのだが、いくら格好をつけてやってもパンチが遅くては話しにならない。キックボクシングだったらまだしも、ボクシングは腕2本で勝負するのだから、スピードがすべてで、スピードのない人間は通用しない。
このヘススと言う男もとにかくパンチが速かった。対戦した奴に聞いたら、対戦してかまえたら6つぐらいパンチがとんできて、気がついたらとめられていたそうだが、とにかく打ち返す間もないぐらいの速さで、電光石火のごとくパンチをはなつらしい。
実は彼と私は同じ階級で、次のトーナメントに出場していたら間違いなく彼とあたっていたのだが、彼はプロになるためにメインランドに、たぶんというか、もしあたっていたら間違いなく、ぼこぼこにされていただろうと思う。
さらに向こうではスポーツをかけもっている人間が多く、才能がある人間は何をやってもそこそこできて、我々が5年かけて出来たことを半年ぐらいでやってしまうのだが、トーナメントでもいきなり出て来た新人に、何年もやってた人間が、ころっとまけるなんていうことも十分にありうるのだが、半年前まではサーフィンに力をいれていたが、今回はボクシングの試合にでも出て見ようかなんて言う奴にまけてしまうのである。
才能と言うのはおそろしいものである。だからもしそういう世界で、上に行くことだけを目指すだけであれば、才能のない人間はその競技上においては、価値がないように思えるのだが、私がボクシングは趣味だというのは、実にそういうところにある。
しかし趣味だと言うのはにげ口実ではない。
何もスポーツは上を目指すのが本当の目的ではない、確かにそういう人間もいるけど、しかしまた別の楽しみ方もある。
もともとスポーツと言うのはすべての人のためにあるのだから、誰にでもそれを行う資格はあり、それを楽しむ資格があると思っているのだが、趣味だと言うことは実にそういうことである。
向こうに行けばわかるが、みんなスポーツをやる人間の顔は生き生きしている。
日本のように追い詰められて、修行みたいな感じでボクシングをしているよ言うような感はなく、ただ純粋に趣味でやっていると言う人も多く、本当にスポーツを楽しんでいる。
スポーツ本来の目的は楽しむことであり、その楽しむことで人は日ごろのストレスや、しんどさから解放されると、そう信じている。封建的な世界では修行のようにしんどい思いをしてくるしまなければ、本当の達成感や喜びなど得られないと損じているが、しかしそれは間違いだ。
私は精神を鍛錬すると言うことは教えることはできないが、しかしエンジョイするということは教えることができる。
なぜならそのエンジョイの仕方は自分が経験したものであり、その経験を伝えることができるからである。