脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

アウフヘーベンって?

2015-04-28 | Weblog

日本人が物事をはっきり言えない原因はバランス感覚でものを見ようとすることである。日本人は必ず何か考える時は物事の真ん中を基準に考える。これは我々のように右か左かと言うような物事のとらえ方をしない、とにかく右の意見もあれば左の意見もあると言うような考え方をするのだが、おそらくそういう考え方が思考のメカニズムとしてしみついているのが日本人の思考であると思っている。これに対して哲学の世界ではアウフヘーベンと言う考え方があって、右か左かということを十分に考えて最終的に右だというように自分の考え方を結論づける手学の手法であるが、これは西洋のように他民族や他宗教の中で自分たちの考え方をはっきりさせなくてはいけないということから確立していった手法で、哲学においては物事を考える上では基本的な事柄となっている。宗教論争の古文書にと当時の論争の様子が書かれている。詳しくは書かないがAと言う考え方ととBと言う考え方の対立であって、その論争に出てきたものの多くは体に何かけがをおっていたというようなことが書かれていたのだが、ローマ時代の宗教論争と言うのは非常にえげつないもので、こういう環境の中で平和的に自分たちの考え方を主張するために生まれたのが修辞学や弁証法と言った物事を伝える手段である。しかし日本人は歴史的にもこういう考え方が希薄で、自分の意見を言うというよりはそこで人間関係を見て重視する、結局のところ誰につくかということが問題になってくるのだが、特にスポーツのような縦社会にはありがちなことだと思う。基本的に自分の考え方を伝えるということは立場を利用して自分の言いたいことを言うことでもなく、聞いてもらえるからと自分の気持ちを言うことでもなく、それは学問的な事柄でありある程度それは訓練されていなければできないことである。

スポーツクラブというのも民主主義の世界である。しかし私から見れば未だスポーツの世界は徳川幕府的でそれにつらなる集団は村社会である。それはおそらく議論されるべきことがきちんとしたかたちで議論されていないからで、きちんとそれなりの勉強をして例えば人権や倫理学的なこともふまえてきちんとした物差しをもたなければ、体罰の問題どころか日本は世界からこれからもたたかれ続けるであろう。私はよく外国人と話すが日本人と言うのは非常に印象がいいし、おそらくどの国よりも信頼されていうと言っても過言ではない。私自身名前をふたつ使い分けているがもう一つの名前はすこぶる評判がわるい、しかしそれに比べて日本人であるということはかなり大きなアドヴァンテージとなるのだが、こういう体験一つにしても日本人は素晴らしい民族であると実感できる。しかしそれに対してスポーツは別、おそらくこの縦社会に日本人の内弁慶さが出ているのだろう。日本の監督などは海外に行くとおとなしい、国内ではあれだけえばっているのに海外に行くと借りてきた猫のこのようにおとなしくなるのはなぜだろうか不思議である。確かに海外ではルールを守りおとなしいので評判もあるくないだろうが、しかしその一方で体罰や暴言あるいはオーバーウオークさせるような人権を無視したような行為をはたらくのは、会社では評判がいいがDVを働く人間とメカニズムは同じである。日本人は素晴らしい民族だ。おそらくこのことを一番よくわかっているのは一番関係の深い韓国や中国であろうと思っている。私はスポーツの世界にも哲学や何か議論をするためのベースを養うことは必要だと思っている。体罰なんていうのは礼儀とか言う問題でもないいわゆる人権の問題だ、そしてその人権が理解できたらオーバーワークさせたり子供に危険なことをさせたりすることはないだろう。

 

 

 

 

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