ハワイの東洋人が集まる某カラオケ店で売れない(私の主観だが)演歌歌手のおっさんをおこらせたことがある。学生時代私はほんと時々そこにアジア人の友人たちと行くのだが、そのおっさんとは反りが合わなかった。私はおっさんのことを売れない歌手と言い、おっさんは私のことをクソガキと言いお互いののしりあっていた。ある時何を言ったかははっきりとはおぼえてはいないが、私がおっさんの一言にカチンと来てケ○○ッ○と言ってしまったことがきっかけでちょっとしたこぜりあいになった。たぶん日ごろのうっぷんがたまっていたのだろう、そのおやじは私のところにつかつかとよって来てその時彼が私を何かものたぶん本みたいなものででなぐろうとしてきたのだ。しかしボクシングを競技していたのでよけるのなんてたやすいこと、私はそのおやじが本か何かでたたいてきたのをうまくよけた。はははははミスりやがったとばかりに人差し指でこいこいと言うしぐさを、さらにおやじが余計にヒートアップしてさっきよりも力をいれてなぐろうとする、あててみやがれこの売れない演歌歌手がとばかりにとさらによける。おやじの怒りのボルテージがマックスになりかけたところで、みっともないからやめろということになったのだが、しかしその後年長者を敬えとアメリカ系韓国人の女の子から思いっきりおこられた。今考えたら本当に私は礼儀知らずでケグジェンイであった。お前ようそんな話が次から次へと出てくるなあと思うが、しかし私がおぼえていなくてもまわりがおぼえている。うちの妻とハワイのジムに、10年何年ぶりにたずねて言った時にもあれだけ人がごった返しのジムでしかも10年たつと言うのに、そこのトレーナーたちが私のことをよーくおぼえていたのをうちの妻が不思議がっていたが、それだけインパクトが強いと言うことである。
そのヨジャチングの話であるが、そういえば昔、彼女とはたくさんのことを議論した。日韓の関係を話し合った時はこれで関係がおわるんじゃねえかと思うぐらいの激しい議論であった。そして時には傷つくこともあったし傷つけることもあったが、しかしそれでもそれは若さゆえに受け入れることができたし、何よりもそういう経験が若い時には必要であり、そういう経験を通してできた友達とはいつまでたってもかわらぬ関係でいれるのだろう。社会学者のジンメルは「若者の言うことは間違っているが主張することはただしい」と言っているが、若い時はたくさんのことをあれこれと議論することは大事なことだ。議論することだけが正しい生き方ではないが、しかしそういうモラトリアムには思い切り自分の存在を表現していくことも大事なことで、そういうことを主張し受け入れあっていくのは若いからこそできることであり、それはある意味若さゆえの特権であってもいいと思う。ラインやフェイスブックの返事が来るとか来ないとかそんなことはたいしたことではないだろう。私の意見ではそんなものをすぐかえすとかかえさないとかで悩んでいるようでは本当の友達とは言えない。本当の友達とは何年会わなかってもまた昨日会ったように話すことができる存在、そういう存在を私はチングと呼んでいる。
私はそのチングの影響を受けている。クリスマスには虐げられている子供や女性をおぼえてクラブの名前で募金しているのは、そのチングからたくさんのことを学んだからだ。まだまだ世の中には多くの子供や女性たちが幸せとは言えない状況の中にある。自分一人では何もすることはできないが、しかしせめてこのクリスマスにはMTオリーブフィットネスボクシングクラブを通してそう言う人たちのことをおぼえたいと思う。
今日あげた「なごり雪」は最初が韓国語そして日本語で歌われているが、その国は私にとって最も嫌いな国で一番関係が深い国でもある。