脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

WTF(what the fuck )なんてこった  

2013-10-23 | Weblog
最近よく話す韓国人の友達の娘が私のブログを見ているらしいのだが、近頃言うことが私に似てきたらしい、彼女はもう日本で暮らしているのでかなり流暢に日本語を話す、私との会話も日本語のほうが楽だと言って日本語で会話しているのだが、しかしそのせいか言っていることや口調までが私に似てきたそうである。おやじは私にもしむこうに帰った時にこういう考え方だとたいへんなことになると笑いながら言っていたが、どうやら彼女は保守的で封建的な世界が大嫌いであるようだ。
おやじは保守的なので彼女に女性らしさを求めているが、しかし彼女はどちらかと言うとそういうタイプではない、私は彼女に相手が女だからというような態度を見せたらかみつけと言っている、おやじには将来は絶対留学させろ、もしできたら多少の援助はしてやると言っているが、彼女は整形はしていない朝鮮顔の美人、言いたいことははっきりいうタイプ、たぶんこれから成功するタイプで将来は有望だと思っている。

ケリーマクゴニガルはその著書「自分を変える教室」の中で、人間の悪しき習慣は伝染するものだと言っていた、おそらく人間の根本的な性質と言うのは正しいものに向かっていくよりも、むしろ悪しき方向に流れていきやすいということだろうか?このことは確信的なものではないとしても、人間の性質が性善説ではないということを考えるならば納得がいく。
特に若いうちはつきあう人間によってその人の生き方がつくられていくと言っても過言ではないが、当然のことだが悪い連中と付き合うと悪いことをおぼえる機会が多いので、まさにそういう悪しきことは伝染すると言ってもいいと思う。
私はけんかなどはしたりしない、どちらかと言えば気が大きいほうではないので、そういう仲間に入ることはなかったが、しかし環境がそうなので周りにはとんでもない連中がごろごろしていて、けんかで何人やっつけたとか組からスカウトされたとか、中にはテレビに出る奴までいたのだが、そういう奴を見るたびにこいつらはバカだ、自分はこんなくずになってはいけないと思ったものである。
そいつらとはくされ縁のような関係もあって、そいつらが自分にかかわることに辟易していたこともあって、ある時「君たちが俺に近づいたら内申書がわるくなるから進学できない」と言ったこともあったが、私はこういう環境におかれてわかったことは人間と言うのは環境が大事だということである。
私は自称くずをよく知る人間であるが、人間と言うのはどうすればくずになるかということをよく見てきたので、よくわかる、ただ私自身もこいつらと同じ穴のむじなだと思っている、がしかし大きな違いはそのエネルギーをどこにつかってきたかということだが、悪い環境におかれたらそれに気づかないのである。

しかしそれとは逆にいい影響をあたえたかったら、そういう環境を作り出すことが必要だ
学生の時アメリカの韓国人の教会にクリスマスに当時のGFが、クワイヤーで出るから見に来いと言われ見に行ったことがある。
そこはおもに韓国人の人たちのコミュニティであった、つかわれているのは韓国語と英語であるが、私のGFの友達は私と同じで日本人と韓国人の血をひいていて、トライリンガルだ、彼女は小さい時からお母さんに連れられてここにきているらしい、しかしお父さんが日本人なので家ではおもに日本語を使っているということを言っていた。
ハワイの韓国系は結構多くの人間が三か国語を話す、どこで覚えるのかはわからないが、おそらく日本語と文法が似ているので習得しやすいから覚えるのだ思うが、この日本語ができるのをアドヴァンテージにして日本人相手に仕事をしている人もいた。
しかし私が驚いたのはそこにはかなり知的な人が多く、社会的にも地位が高く、学歴も高いということだ、そういう人たちがそこには集まっているのだ。
なぜそういう人たちが集まって来るかと言うのは、まさに環境がいいからで、そこで使われている言葉が洗練されているからだ、特にそこのミニスターの言葉が知的で洗練された言葉をつかっているので、おのずとそういう人たちが集まってくる、たぶんそういう人たちに影響されて子供は将来のことを意識し、真面目に勉強するようになると思うのだが、そういうコミュニティーが言葉によってつくられているのだと思う。
コミュニティは言葉によってつくられていくというのは私の考え方である。
そこの指導者のレヴェルがひくければ、まわりに集まってくるのはそれなりの連中である、しかし一方指導者の言葉が磨かれていたら、まわりに集まってくる人たちの幅がひろがり健全なコミュニティを形成してくことも可能だとみている。
だから言葉を覚えることに関しては余念がない、辞書を携帯し分からない言葉はこまめに辞書をひく、この前会社でプレゼンをすることになった会員の人に人前で話すコツを聞かれたが、コツと言うわけではないが、勉強法を教えた、それは辞書をこまめにひくということだが。意外と我々が日頃使っている言葉と言うのは使い方が曖昧であったり、正確にその言葉の意味を知らずに使っていることがある。
そういう不確かである言葉やわからない言葉をを辞書でしらべて正確な意味や使い方を学ぶこと、特に辞書を買う時注意したいのはそれには凡例があるかないか、広辞苑だったらたいてい凡例があるので、それを買うといいが、私も英語を勉強する時はわからない言葉があるとLongmanあるいはOxfordで調べて、その凡例を見て使い方を勉強したのだが、言葉を正確に理解し、使い方を勉強するというのは実際に自分が話すうえでのアドヴァンテージになるものである。
言葉をつかわない仕事はあまりないと思う、特にスポーツクラブは人と人とのかかわりがあるのだから、トレーナーは言葉をよく理解し、正確にその言葉を使う必要がある、どこかの愚連隊は脅迫文を書かせたら右に出るものはいないが、しかし議事録などは社会人レヴェルではないとある人は言っていたが、脅迫文がうまくかけてもきちんとした報告が書けなければまったく意味がない、子供の社会見学の感想文ではないのだから、写真をはればいいというものでもない、本当に馬鹿だと思っている。
子供と言うのは影響を受けやすいのだから、間違った日本語を教えたり話したりするとそれをそのまま覚えてしまう、私はスポーツクラブでは返事やあいさつをさせる前にまず監督やトレーナーが正確な日本語を使うことが大事なことだと思うのだが、一体ある程度のレヴェルで正確な日本語を話せるトレーナーがいるだろうか?
はっきり言って今まで見てきた奴はかなりひどい、もうこういうレヴェルでは英語どころではない、本を読んでなるべく言葉の語彙をふやし、正確な日本語を話す努力をすべきだ、そうすればアスリートの質もよくなり、体罰やいじめはかなり少なくなると思っている。




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