脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

When I was a boy

2019-07-05 | Weblog
ボクシングをはじめて自信がついた時、ヒスパニック系の人間とのスパーでまったく相手にならなくてくやしくてくやしくてなぜかリングをずっと見ていたら、ジョージに強くなりたかったら明日ここに来いと言われてボクシングを個人的に習うことになった。当時私は大学の同好会みたいなチームに所属していたが、当時のトレーニングはカラカウアと言う大きなジムがあってそこに集まってトレーニングする。そこは外部の人も結構来ていてその人たちから自由に習うことができた。それがジョージと言う人物であった。そして私は今でもその時の気持ちはおぼえている。へたで才能はなかったけどくやしくて上手になりたい強くなりたいそう心から強く願った。たぶんそういう気持ちが彼にとどいたのだと思う。

若い人を見ていてわかるのは気持があれば上達もはやいということだ。おもしろい、楽しい、そしてもっと上手になりたいという気持ちが強ければスポーツは上達する。そしてなによりもそういう気持ちを持ち続けて競技するということは、その競技人生に大きな価値をもたらすだろう。私もたいした実績ではないが、それでも大した才能もない私ががんばれたのもボクシングは面白い、楽しい、そしてもっともっと上手になりたいという気持ちがあったからだと思う。そしてその気持ちをださせてくれたのはそのクラブの雰囲気である。ジョージは決して私を日本人の監督のように偉そうにひよっこ扱いしないし、自分が経験したボクシングの厳しさなんて語らない。ただ本当に一緒にボクシングを楽しんでくれたと思う。試合で勝てばリングサイドで大喜びする、他のトレーナーに私を紹介する時はこいつの右ストレートは全米一だなどと大きなことを、ただ本当に彼は私のことをリスペクトしてくれている。ボクシングが本当におもしろいやってて楽しいと思えるのはそこにお互いのリスペクトがあるからだ。試合でもそうだがお互いにリスペクトがなければただのなぐりあいだ、そしてそのなぐりあいをスポーツかえるのはリスペクトする気持ちであり、へんな言い方であるがそのお互いを尊重し合うことができるからなぐりあう意味がある。それがボクシングの醍醐味であると思う。そしてトレーナーは競技者に相手をレスペクトする気持ちをつたえていかなくてはいけないと思っているが、そういう環境で競技できるからこそ自分はボクシングをやっていてよかったと思えるし、その競技人生にほこりを持てるのだと思う。

うちのクラブのプライオリティはボクシングは楽しい。面白いという気持ちを出させるようにすることである。そういう気持ちがあると競技でもダイエットでもおのずと頑張ろうという気持ちが出てくるし、何よりも楽しくできればその人の生き方にも大きく影響するからである。うちのクラブは能力なんて関係ない。人と比較さえしなければボクシングが楽しい面白いと感じることができたら、その人なりの成果はある。そして何よりも大事なことはひとりびとりをリスペクトする気持ちである。私は学生時代その環境にはたいへん恵まれていたと思う、そしてそういう環境だから自分は十分に実力を発揮できた。うちのクラブもひとりびとりがそういう健全な向上心をもてる場にしたいと思っている。

私が今でもおぼえているのはあるハワイアンとの試合、私が勝ってありがとうとタッチしてリングをおりる。そして試合がおわってしばらくして彼と目が合い5秒ぐらい見ていた。たぶん今度はやってやるみたいな感じだと思うけど、でも不思議と敵対心は感じられず、私も次もかえりうちにしてやるぐらいの気をかえしたが、でも心の中では彼に深々とお辞儀をしていた。たぶん彼もそうであったと思う。


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« それが君のやり方か | トップ | vocabulum »
最新の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事