、韓国語と日本語は助詞がある。けれどもその助詞の使い方は多少異なるのだが、興味深いのは「は」と「が」の使い方である。日本語では「が」は多少物事を強調するときに使うが韓国語は逆である。例えば名前は何ですか이름이 뭐에요(イルミモォエヨ)이름이 뭐예요の이は韓国語で言うところの「が」にあたるのだが、韓国語では何々は何ですかとかどこですかと聞く時日本語で言うところの「は」は使わずに「が」が使われるのだが、それでもあえて「は」を使う時は取り立てて強調する時である。したがって韓国語で名前を聞く時に日本語と同じような感覚で「は」を使うと君の名前は何なんだと言うニュアンスがあるので注意して使う必要があると言うことである。
我々の世代の男性は男は涙を見せるものではない、悔しい時も悲しい時も黙ってこらえろと教えられてきたと思う。この言葉はすべてただしと思わないが、しかし最近の子はそういう感情をあらわにしすぎるように思えるのは私だけだろうか?
昔強い競技者がいた。当時は私も含めて4人ぐらい頭一つぐらい出て強いのがいたのだが、しかし彼はその私たちよりも数段格が上の選手でうわさでは彼はプロに転向するらしく、たぶんその年のマッチが彼のアマチュアでの最後のシーズンであったようである。そのある試合での話、彼は勝った試合にも関わらず自分の試合に納得できなかったのか悔しそうに控室でたたずんでいた。その時あまりに悔しかったのか彼の眼からはうっすらと涙がにじんでいて彼はそれをこらえるようにしていたのだ。私はその時彼を見てこいつは本当に強くなるなあと思った。事実彼はその後めきめきと頭角を現し遂にはWBCの1位まで言ったそうであるが、こんなこと言ったらフェミニズムにおこられるかもしれないが、男が一度悔し涙を流したら本気の涙でなければならない。本気でプライドをかけて次は絶対やってやると言う気持ちがなければ本当に安っぽい涙だ。
悔し涙だけではない、俺は絶対勝つとかでかいことを言うわりにはたいした努力もしないし、まけてもケロッとしてまた同じようなことを言う、ドラクエでもやっている感覚なのだろうか、特にたいした努力もしていないのに泣いたりしているのを見ると가(帰れ)とさえ言いたくなるが、最近個性とか言って言いたいことが好き勝手に言える時代はそういう人間が増えてきたようにさえ思える。それでも受験とかある程度やるべきことをやってきた人間はわかっているのかそういうみっともないことを言わない、だいたいこういう大風呂敷を広げるのは、勉強嫌い何もまともなことを頑張ってこなかった3流の人間が多いと言うのが私の個人的な意見である。私自身もたいしたことではないが実際に優勝すると言ったら優勝したし、次はあいつをたたきのめしてやると言ったらたたきのめしたのだが、それは背水の陣で挑んだからだと思う。何を言いたいかと言うとそういう大きいことを言うのであるならば、ある程度覚悟して言わなくてはならないと言うことで、背水の陣で挑めと言うこと、競技に身をおいている者は軽々しく俺は勝ちますと言ったり、悔し涙を流すなと言うことである。