私が学生時仲がよかったアメリカ系韓国人の女の子がいた。お母さんが韓国人でお父さんが韓国系アメリカ人、彼女は英語、韓国語、日本語を流暢に話す。そして彼女とはよく半島の話をしたが、お互い仲間意識をそこで感じていたことは確かである。私も彼女も苗字が金であるが、半島では同じ名前で出身地が同じだと結婚できないというわけのわからないルールがある。彼女はそういうわけのわからない因習や儒教の因習が理解できないと言っていた。彼女のおばさんはkoraen barを経営していてそこに来る女性のほとんどは夫の暴力から逃げてきたり、子供が生まれても女性一人では育てられないのでとここを頼ってくる女性たちだ。彼女はそういう人たちの背景にある社会的差別に不条理を感じていて、時々そういう話を私にした。私がマイノリティの問題に関心があってクラブの名前で毎年募金しているのは彼女の影響が大きいであろう。
韓国に伝説のボクサーがいる。特に韓国系アメリカ人の間では有名なボクサーであるが彼の名前はキム・ドゥック、彼の話は後にチャンピオンと言う映画にもなっている。少年時代貧しかった彼はソウルに出てきてボクシングに出会う。韓国のいじめや差別はえげつない。身分や国籍、出身地そして学歴など何も持たない人間はひどい社会の差別にさらされる。そういう中で力をもたなくては生きていけないと感じるのはよくわかる。まさにキムドゥックもその底辺にうごめいていた人物であったが、そういう何もない人間がボクシングを競技して栄光をつかもうとする姿はまさに韓国社会のひずみとだ。そしてそこで才能を見出されめきめきと頭角をあらわし、ついには世界戦のきっぷをつかみLVへと、試合から序盤から壮絶なうちあいとなりまわりは大いにもりあがるが、しかし彼は壮絶な打ち合いのすえ死んでしまったのだ。その時ボクシングのルールは世界戦は15ラウンド戦うことになっていたが、しかしその試合があまりにも壮絶であったがゆえにルールを改正15ラウンドから12ラウンドになったことは有名な話である。
そしてこの物語には続きがある。実は彼は結婚していて子供が生まれる予定であったが、彼はその子供の顔を見る前に死んでしまった。そしてたぶんその後のこされた彼の奥さんの人生はもっと壮絶であったと推測されるが、その奥さんや子供の消息は未だにつかめないなぞのままであるそうだ。男が好きなことをやって太く短く壮絶な生き方をして、そしてそれを伝説化するのも大いにいいことであろうが、そこでのこされた家族はどうなるのか。彼の物語はチャンピオンと言う映画にもなっているが、しかしこれは男性中心の世界から見た映画言わば伝説化された映画で、私はなぜ彼がここまでやらなくてはいけなかったのか、そして儒教色の強い韓国社会では女性一人で子供を育てていくことは困難であるがゆえにおこる不条理、世の中の構造、そして我々の中にも今ある女性差別も含む差別や不条理、我々が見えていない見ようとしない現実をとらえる視点は大事なことで、この話は有名であるがゆえに、社会差別や生命倫理なども含めてサクセスストーリのような形で語られる単純なものではないと思っている。
実はこの話を聞いたのもこの女性からである。ボクシングやっていると言うと「그렇게 재미있어?(そんなにおもしろいの)」とさめたように、そして「有名な話教えてあげる」と教えてくれたのがこの話だ。たぶん彼女はこの伝説に社会のひずみを感じていたのだと思う。もう絶対に会うことはないであろうが、私は彼女から大きな影響を受けている。