脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

まずは300点から

2012-05-30 | Weblog
昨日新聞で韓国の英語村について記事が書かれてあった。
英語村とは、ユニバーサルスタジオぐらいの敷地に、ホテルやショッピングセンターそして研修所などを設け、そこで英語しか話してはいけないと言う環境をつくって英語を学ぶ、今かなり話題になっているレジャー施設のようなところであるが、日本でもこういう施設が最近にわかに増えてきているらしい。
むこうではかなり英語がさかんである。
ソウルに行った人はわかると思うが、向こうでは就職するのにはtoeic700点以上とか、そういう能力が条件になっているので、大学生などは就職するために英語をむこうの言葉で「気をつかって」おぼえなくてはならない。電車などにのったら英語の文法書などを読んでいる姿をよく見かけるが、就職はもちろんのこと、ベンチャー企業をおこしたり、フリーランスをするのも英語が不可欠で、その英語熱は社会人や大学生、高校生だけではなく、最近では小学生にまでおよび英語村には多くの小学生が英語を勉強しに訪れるらしい。

私の日本にいる韓国人の友人がいるのだが、彼には小学6年生の子供がいる。以前学校のことで相談にのったことがある。
日本の学校に通わせるか、インターナショナルスクールに通わせるか、しかしインターナショナルだと英語がまだ十分ではないと悩んでいたので、私立にしろ公立にしろ日本の学校は大丈夫だ。日本人どうしなら多少のいざこざもあるが、しかし外国人になるとかなり気をつかってくれる日本とはそういう国だ、だから安心して行かせたらいいとアドヴァイスした。
実際この女の子は日本の学校に通っているそうだが、今では日本語はペラペラ、そして最近では英語もかなりうまくなってトライリングアルになったようで、この子も確かそこ英語村に行って勉強したと言うようなことを言っていたが、こういう3か国語を話せる子供は今や韓国では特別な存在ではない。
時々スカイプで彼女と話すその時は、もちろん日本語で会話するのだが、私がAKBのメンバーをひとりも言えないのに少女時代のソヒョン、ユナ、ユリなどと全員言えるのはこの子の影響が大きいが、ちなみに彼女はソヒョンに似ている典型的な朝鮮の女性の顔である。

基本的な個性とは別にして、今や個性と英語や他の語学を話すことときりはなして考えることはできない。
私が見る限りでは、ボクシングの世界は語学に疎く、非常に封建的であるであるが、こういうコミュニティーで個性など育たないだろう。
練習などの雰囲気も武道的で、誰が練習中に声だしなどいうバカなことをするのかわからないが、これではボクシングと言うよりも拳闘と言った方がいいと思うのだが、もはやこういう概念を打ち破るには、英語を話すことと英語的な感覚を持つことが不可欠だと思っているが、組織の持ち方も村そのもの、ひどいところは組である。
村長がいて、子分やその仲のいい人間が集まって村社会をつくる。私自身こういう村社会であるからこそできる不公平と言うのを実際目の当たりにしたり、聞いたことがあるが、こういうことはお互いが仲間で、つるんでいるからこそおこりうることだと思っている。
そしてこういう村社会の中で生きて育てられた人間は、学校を卒業しても先輩や監督には一生頭が上がらない、そういうしがらみの中で生きているような気がしてならない、さらにそういう関係に好んで入ること自体がおそろしいことだが、わるく言えばそういう人間関係の中でしか生きていくことはできない、非常になさけない話であるが、おそらくそこで指導者の暴言や不謹慎な行為が問題にならないのはこういう村社会を形成しているからだ。

おもしろいことにこの世界では腕だけではなく、下半身もつかうバカもいると聞く。
しかも下半身を使う時もしばしばファウルがあるのだが、しかし常識では信用をうしなうことであっても、こういうファウルは村社会ではとらないらしいが、競技であれだけ厳しくファウルをとるのに監督などの私生活や管理に対してはあまい、村社会そのものである。
日本の狭い特別な世界ではどうかわからないが、世の中の人間が英語を話し、専門性を身に着ける時代に、勉強もしないでただひとつのことだけしかできない芸のない人間は指導するにはふさわしくない。
そういう人間ばかり集まると保守的になってくるので群れ自体が閉塞してくる。それが今の現状であり村社会をつくる原因であるが、柔道事件など氷山の一角で、酒を飲むなとは言わないが飲み方なども節度をわきまえ、女性などの接し方なども気をつけたほうがいいと思うのだが、その他監督の暴力や暴言、ボクシングにいたっては医学や成長期を無視して、子供になぐりあいをさせたり、無理な減量をさせるような行為が容認されるのは、こういう社会が狭い村社会であるからだと思っている。

英語を勉強しろとしつこく言うのは、英語を話していろいろなことを知れば、そういうことがバカげていると思えるからだ。理屈だけでもひろいものの見方ができるからだ。
もう今スポーツの世界は日本語だけで物事を考えていくと言う時代ではない。外からの情報を得ることができないとその群れ自体が閉塞してくる。雰囲気が武道のようで、組織が封建的なのはまさに日本語だけでしか物事を考えられないからである。

これは私の提案だがこれからのアマチュアの指導者には、語学のテストを義務付けたらどうかと思う。
テストの義務化と言ってもそんなおおげさなものではない。ただtoeicで300点取ればいい、toeicの最高得点が990点だからこれぐらいとれなくてはかなりなさけない話であるが、しかし実際にはほとんどがクリアできないだろう。
これからのスポーツの風通りをよくしたかったらこういうドラスティックな改革も必要であり、こういう改革をすることで仲間通しの結託をふせぎ、封建的であるがゆえにおこる監督の暴言や先輩のいじめなどが少なくなるのではないかと思っている。

練習中の声だしがいかに馬鹿げているかと言うことを理解したかったら、ベネディクトの「菊と刀」を見ればいい、ベネディクト自体日本人を好意的に見ているが、しかし我々の考え方が合理的ではないことがわかる。







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