脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

やっぱり70%半島の人だ

2012-10-22 | Weblog
前回のジャージの続きの話だが、何人かで記念につくるそうである。
とりあえずどんなものをつくるのかちょっと見せてみろと言うことで見たのだが、少し暴走族っぽい。
私には着てもらわなくてはいけないからプレゼントすると言うので、「俺はいらん。絶対プレゼントするなよ。もし俺の分をつくったら半額になるとしても俺は絶対にきんからなあ」とはっきりと断ったのだが、しかし意外にも好評で最初はひとりでつくる予定だったのが、今では10着以上つくる見込みはありそうだ。

オリーヴは基本的に社会人が多いクラブであるが、ここには様々なタイプの人間が集う。
高学歴で外国人がいたら英語を交えて話すインテリ派から、ボクシングが好きな人間たち、どちらかと言えばここは真面目タイプが多いが、しかしいわゆる少数派のボクシング好きの人間たちが、おもに試合などに出てがんばってくれている。
普通ボクシングクラブはだいたいがアスリート中心、いわゆる試合に出場する人間が中心にまわっているのだが、しかしここは全く違う。
どう違うかと言うと、試合はここでボクシングを練習したら必然的にするというものではなく、本人が出たいからするものであって、私自身もケガなどの心配もあるのであまり進めてはいない、もし出るとしてもなるべく安全な試合を選んでいるのだが、基本的に私の考えは個人が好きなことをやって、思い切りストレスを発散させてくれたらいいと考えている。試合もそのひとつの選択肢であり、必ずしもそこに目的を置いていない。
ここは試合前になってもいつもと変わらずまったく緊張感などない。普通だったら試合が近づくとどことなく緊張感が出るのだが、ここではそういう厳しい雰囲気はなく、誰も試合があるというまで気づかない、本当にみんな普段通りに練習している。

この前試合が近づいたので会員が話をしていた。
「もうすぐ試合やなあ。体重どうすんの」
「えっ俺○○級で出ようと思ってるんですけど」
「でも、向こうに行ったら前日うまいもん食わんといかんから余裕を持ってた方がいいぞ」
何の余裕だかわからないが、せっかくここまで来たのだから旅行を楽しもうというのだろうか、温泉に泊まりたいとも言っていた。
たぶん時々出張で来てくれる人が、最初すごく驚いたと言うのはこの緊張感のなさだと思うが、おそらく我々の態度は、ボクシングをなめているとしか思えない態度であるが、しかしスポーツは楽しむためにあるもの、狭い世界でそれだけがすべてなんて言うような雰囲気の中で、やっていて楽しいのだろうか不思議である。

しかし前にある人が言っていた。自分たちボクシングだったらよわいけど、口だったら絶対強いでしょうね。これには笑った。
確かにそうだ、私とマネージャーがいるし、結構有名な弁論部だった人も在籍している。
たぶんボクシングクラブディベーティングなんてやったらその中ではかなり強い方だと自負しているが、自分たちは英語でディベーティングも可能である。
ケンカやボクシングはよわいけれど、しかしディベーティングならケンチャナヨだ。
この前マネージャーが私にうちの会員があまり話しかけてこないと言っていた。
実は私は会員に彼女のことを私よりも弁が立つ「俺が初段やったらあいつは10段ぐらいや」と言っているからだと思うが、前に会員が緊張して最初話しかけてこないのは私が何か言ってんのじゃないのか、私はすごく優しくしてるのにと言っていたがビンゴ、ただ彼女は本当にやさしい、私も信用しているから言えるのである。

話しはオリンピックの話になるが、ボクシングで明らかに優勢だったのに、日本人にまけの判定が下った試合があった。
後日判定を覆して、審判を辞任させたそうだが、あの疑惑の判定を日本人は誤審だということを言っていたが、私がめでたいと思うのはあの試合の内容を見て、誤審だと言えることである。
AIBAもたたけと言うブログの中でも言ったが、あの判定は誤審どころではない。私などは意図的に何かの力が働いていなければそういう判定にはならないと思うのだが、それを単なる誤審と片付けていいのか、今後のことを考えたらもっと徹底的にたたいておく必要があるのではないか。
ロンドンオリンピックからヴィデオ判定が採用されたが、これは審判の判定に対して不服であるならば、オブジェクションをとなえて、再判定できるというシステムであるが、これはアメリカンフットボールのルールをそのまま採用したのではないかと思っている。
おそらくこういうビデオ判定が出てきたら判定に対して、異論を唱える国は出てくるであろう。そうなるとディベーティングになれている欧米の人間が有利だと思っているが、この判定がロンドンと言う英語圏から採用されたということからして、少し異論があるが、今後は前にも言ったように、英語を話し、議論できる人材と言うものを養成する必要はあるだろう。

しかし日本人の運動系の奴らは弱い者には偉そうに言えるが、強いものや苦手なものには何も言えない。
サルのように固まって「おい、こら」とか「そこ邪魔」などと、弱いものや少数派には、でかい声で威嚇できるが、しかし海外ではおとなしくかたまっているのが現状だと思う。
時々弱いところばっかりなのに、がんばって自分の威厳を保とうとしているいかめしいおやじを見たら、みじめさを通り越して哀れささえ感じるが、はっきり言って自分たちのようなへたれな人間のほうが堂々と生きている気さえする。

話しはオリンピックに戻るが、あの判定も韓国だったら、誤審どころではすまない。国中が騒ぎ立てて抗議すると思うが、完全に日本人はなめられている。
もう国民のほとんどはそう感じていると思うが、問題は態度ではなく、方法である。どうすれば自分たちのその感情が伝わるかと言うことを勉強しなくてはならない。
日本のスポーツはミーティングのシステムに問題があると思う。
普通ミーティングと言えば議論の場である。しかし日本では監督中心で監督がミーティングのイニシアティヴをとり、そしてひとりひとりがそれに対して意見を言うようなかたちでミーティングがもたれるらしい。
ある奴なんかはスパーリングなどが終わった後に、その人間のいいとこわるいとこを一人つづ言わせていたが、小学生の終わりの会でもあるまいし、そういう知能を疑われるようなことが、しかも高校性以上のクラブで持たれていると言うからおそろしいものだが、人前できちんと話すことができない奴のミーティングなんて所詮こんなものである。

人前でしゃべれないというような奴もいるが、それは日本語がきちんと話せないからか、あるいは自信がないからだ。
しかし監督業をするならばきちんと人前で話す訓練ができてなくてはならない。
日本は派閥みたいなものがあるらしいが、そういう派閥が幅をきかせれるのは、そういう議論ができないから長いものにはまかれろという風潮になるのだろう。
英語どころか日本語すらあやゆい奴もいるが、しかし今やスポーツの監督やコーチは議論できなくてはだめだと言うのが私の意見である。おそらくこれはもう一般的な考え方であると思うが、もし監督がそのミーティングのイニシアティヴをとるにしても、小学生の終わりの会レヴェルではなく、成人なのだから、議論することの訓練もかねて意味のある議論をさせるようなミーティングを持たなくてはならないのではないかと思っている。

最後に断わっておくが私は半島の人間ではない。ずっと英語で話していると、日本人を知っているアメリカ人からは中国人か韓国人だと誤解される。笑い話だが過去に一度台湾料理屋で、台湾人の店員にどこから来たと尋ねられたことがある。高知だというといや国はどこだと聞かれたことがあるが、しかし自分は日本人だし、日本人であることに誇りを思っている。
ただ気質的にはかなり違うと言うことだ。



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