脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

アジア諸国って?

2010-12-15 | Weblog
2年ぐらい前だっただろうか、アジアと日本の国交を話しあうような感じのフォーラムがやっていた。
司会者と言うか、そこでフォーラムを仕切っていたのは桜井さんであるが、ある韓国人だったか中国人だったか忘れたが、彼女が日本の戦争責任にたいして、アジア諸国と言った時に、桜井さんの言った言葉が非常に印象的であった。
彼女は言わずとも有名なキャスターであるが、留学経験もあって特に歴史学を専攻しているそうだが、自分の立場をしっかり持っていて、私は彼女の歯に衣着せぬ物言いが好きで、結構彼女が出ている番組なんかは好んでみている。
私の見解では彼女は歴史観がしっかりしていて(ある人間にはまったく逆であるが)物事をするどい視点でとらえているのだが、しかし言葉は単純明快で、人に影響を与えやすく印象深い。
その桜井さんが、その女性にむかって「アジア諸国ってどことどこの国か」と言っていたのだが、これには悪いが笑ってしまった。結局どこの国かと聞かれてしどろもどろしながら、2カ国しか挙げられなかったのだが、しかし彼ら彼女らのプロパガンダ的で、いきおいで論駁しようとするやり方にはいささか辟易している。
私はよくこういうことに巻き込まれたり、テレヴィなどを見ていつも思うことは、われわれがこういう国際的な場において発言する時、歴史観をもつことは非常に大切で、そのためバランスというものを考えて歴史を学ばなくてはならないと思っているのだが、このアジア諸国と発言した国には、それが当たり前になっているのだろうが、しかしこの発言は非常にバランスにかけた発言と思えるのだ。

以前アンビリーバボーという番組で、イレイナ サンドラーさんと言う、2500人のユダヤ人を救った人の話が取り上げられていた。私は日ごろからテレヴィごときで感動するなといいながらも、実際見て深い感動をおぼえてしまったのであるが、それはあるアメリカの4人の高校生の物語である。
アメリカでは全米歴史コンテストと言うのがあって、その歴史コンテストに出場するために、4人はテーマを探していたのだが、その時ある記事に目がとまった。
それは2400人ものユダヤ人の子どもたちを救ったあるヒロインの記事であったのだが、1200人を救ったシンドラーに対してその倍の人数も救ったということで、さっそく研究のテーマに選び、とりかかったそうだ。
しかし実際そのテーマに取り組んで見たものの、インターネットの検索にはかからないし、実際資料がない、歴史の専門家の先生に聞いても、そういう人はいるかいないかわからない、少なくとものこっている資料や記録がないと言われて、4人はあきらめかけていた。
しかしある一人の言葉であきらめず、その研究を再開する。
それは小さい時に親に見放された高校生が、自分は大人を信じられないが、こういう人が本当にいたなら大人を信じれるような気がすると言ったひとことで、その言葉で4人は研究を再開するのだが、ここから本格的な半年に及ぶ調査がはじまる。
実際彼女たちは資料がのこっていないので、実際にアウシュビッツから生き延びた人たちを捜し、そこから情報を集めようとするのだが、しかし証言者と言っても、彼ら彼女らにしてみればあの地獄のような体験だったので、証言者から直接話を聞くことは難しく捜査は難航するのだが、しかしそれでも彼女らは真実を知りたいと、あきらめず情報者を探すのであるが、その努力の結果、ついにヒロインを探し当て真実にたどりつくのである。
そして今まで歴史コンテストではパネルや資料をつかってプレゼンをするのが習わしであったが、それでは本当の彼女(イレイナ センドラー)の気持ちが伝わらないと、この物語を劇にして歴史コンテストで発表したそうだが、この物語はそこで大きな評価を得てコンテストで優勝し、現在もその劇は「Life in a jar(ビンの中のいのち)」という名前でのこされ公演されているそうである。

ここまでユダヤ人の命を救ったヒロインであったのだが、なぜ彼女スポットライトをあびなかったと言うと、当時彼女の生きていたポーランドは社会主義国で、彼女の活動はある意味地下組織的でもあったので、そういう人間にスポットをあびせることは危険だと今までほうむりさられていたそうである。
それが4人の女子高生によってとらえられ、歴史の中に組み込まれたのであるが、まさにこの4人の活躍は政治史ではなく、文化や人間と言う視点で歴史をとらえ、真実をとらえようとした結果であるのだ。
最近では歴史を政治史からとらえるのではなく、文化史や人間学からとらえる傾向がでているのだが、政治史だけではなく、文化や人間にスポットをあてると言うことは、ある意味本当の真実が見えてくることもあるのだ。
まあ歴史的なことなので、ここは曖昧にしておわりたいのだが、しかし本当にしっかりした歴史観をもつということは、歴史を政治史としてとらえるのではなく、文化や、人間というものを理解することが不可欠である。
結論的に雑ないいかたであるが、歴史を学ぶ時に同時にヒューマニティについても考えることが必要だろう。
私は思うにバランスのある歴史観を持つと言うことは、それはヒューマニティをもつということと深くかかわっていて、個人的な意見だが桜井さんがバランスがいいと思えるのは、彼女がヒューマニティをしっかりと持って語ることができるからだろうと思っている。

この「Life in a jar」であるが「世界を変えた普通の高校生」で検索すれば、その高校生たちの物語が見れる。




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