私は常日頃からジムにはどういう人たちが集まってくるかと言うことを問題にしてるが、それはそのコミュニティに集まる人たちの感覚や価値観がコミュニティのモラルや倫理を決定するからである。倫理や道徳と言う概念は説明するには少し時間がかかるし、抽象的であるともいえる。なぜならその倫理やモラルは国や習慣あるいは人によって違うからである。私は倫理やモラルはセンス(感覚)の問題だと理解している。そのコミュニティの倫理やモラルはそこに存在する人が持っているセンスによって決定されるもので、倫理やモラルはその複合体を通してあらわれるものだ。少しここで倫理と言う言葉に絞って説明させていただくと、論文などでは倫理をE-cordと表現されることもあるが、ここで言うcordは日本語で言うところの倫理規定みたいなもので、同様にcivil-cordが民法と訳されるように、論文などでは法律をあらわすこともある。ブリタニアディクショナリーは倫理をこう説明している。
”The term ethics may refer to the philosophical study of the concepts of moral right and wrong and moral good and bad, to any philosophical theory of what is morally right and wrong or morally good and bad, and to any system or code of moral rules, principles, or values.”「倫理という用語は、道徳的な善悪の概念の哲学的研究、何が道徳的に正しいか悪いか、良いか悪いかについての哲学的理論、道徳的規則、原則、価値観の体系や規範を指す」cited from Britannica Dictionary
倫理は集合体が生み出すひとつの規範や法である。何々するなと禁止のかたちで書かれたルールであるモーゼの十戒は、代表的なその集合体の持つ共通感覚であり、倫理や道徳はその集合体の感覚によって決定され絶対的なものとなりうるわけであるが、倫理はセンスの問題であり、その群れに正しい価値判断があり、共通の正しさを持っていればおのずとその正しさが基準となり、その群れの人間は正しい行動をとろうとするだろう。ジムやクラブにどういう人たちが在籍しているかコミュニティの質を問う上では重要なことだと言っているが、それは言わずとも倫理やモラルはセンスの問題であり、ジムの倫理やモラルはその集まる会員の人たちによって決まるからである。
うちの会員の人たちは一般的にこういう奴が半グレみたいなやつで、そういうやつはろくな人間じゃないと言うとみんながみんなそうではないと言うのではなく、みなさんだいたいこういう人間はダメだと言う基準をしっかりと持っているし、そういう意味ではみなさん倫理や道徳に関しては高いセンスを持っている人が多い、それゆえに安心してジムに来ていただくことができる。
一方いくらあいさつができて自分と利害関係にある目上のものに対して取り入るのがうまく服従の姿勢を示しても、日本語がでたらめ、道徳を語るときも漫画日本昔話程度のことしか話せない人間があいさつとか言っても組織やコミュニティは形骸化する。結局でたらめな人間が集まってくるであろう。
教員なんかもそうであるがコンプライアンスの問題を多少解決できるとしたら、採用する地点で倫理あるいは道徳的センスを持った人間を集めることだと思う。順守すべき何とかとか言ってももともとそういうセンスがなければ意味がない。入社試験に「倫理とは」「ジェンダーについて」「日本におけるハラスメント」などのレポートを提出させると、自ずとその書いた人の倫理的センスが理解できるし、研修などもそういう哲学的なことを講義して議論させるような場を持つことも必要ではないかと思っている。
参考文献
中村昇「ヴィトゲンシュタイン、最初の一歩」