私はアドラー心理学を参考にジムの共同体づくりをしているが、アドラーの言う共同体意識は重要である。共同体意識とは?正確に言えば共同体感覚であるが、まず共同体と言うのは平たく言えば自分の居場所となる場所、そして共同体感覚はその居場所に仲間に囲まれて生きているとしたら、仲間たち共同体のために貢献しようと思える感覚のことである。しかしここで言う貢献とは単に人のために何かをしろと言うことではなく意識的な問題である。それは自己への執着(self interest)を他人への関心(social interest)に切り替えていくことで得られるもので、そういう感覚が共同体の雰囲気をよくするものだと思っている。私はよく武勇伝ややんちゃ話を得意がってするのはみっともないし、うちのジムでは害になると言うのはれっきとした根協がある。武勇伝ややんちゃ話をする人間の何がいけないのか。それはまず聞いててみっともないし不快だからだ。俺は強い俺は偉いと自己主張して人よりも上の立場に立ちたいのだろうが、力や忍耐よりも知性や発想力が乗除価値の生産にとって重要なネオリベラリズムの時代に、何もないからと言って力を誇示することは非常に原始的でアホである。こういう承認欲求の強い人間は常に勝つか負けるか人よりも上か下かの縦の関係でみるので非常にやっかいである。他人はどれだけ自分に注目し、自分のことをどう評価しているのか?どれだけ自分の欲求を満たしてくれるのか、そういうことばかり気にする承認欲求の強い人間は他人を見ているようでいて、実際は自分のことしか見ていないし、考えていない。わたしにしか関心がないのだ。自己中心的でこういう人間がジムに集まってくるとくだらない小競り合いや、サルと同等のヒエラルキーができる。武勇伝ややんちゃ話でマウントをとろうとするのはその典型的な例である。MOBはマイノリティを大事にする。格闘技で言うところのマイノリティは女性であるが、ここでは女性を優先的に考えてトレーニングすることが全体の平等だと考えているが、そういう感覚を理解できるにはやはりある程度のレベルが必要であり、バランスが大事である。だからこそそこにどういう人たちが集まってジムが運営されているかと言うことが求められる。私が哲学とか理念を主張するのは単に自分の考え方を聞いてもらおうとか、押し付けるのではなく、この考え方をベースにして共同体感覚を養い、ジムの雰囲気をよくしたいと思っているからだ。同じような教育レベルで同じような仕事の人間がマジョリティのクラブで自分たちはわきあいあいとやっている、みんな平等だというのと、われわれのように多様性があるクラブの人たちが言う平等とか楽しさは雰囲気が全く違う。雰囲気は大事だ。そしてその雰囲気をつくるのはそこにどういう哲学があって、どういう人たちがジムに在籍しているかということである。
参考文献
岩井 俊憲 「人生が大きく変わる アドラー心理学入門 」
岸見一郎「嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え
人から物を考えるセンスがあるとお褒めの言葉にあずかるので、それをさらに言わせてもらえば考えるセンスを養うためには原書を読む、今日あげた参考文献はアドラーの論文ではなくアドラーに考え方を説明している本である。原書は日本語のものは少ないが英語なら読めるので読む価値はあるので読んだらいいと思う。