脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

ボクシングにおけるドーパミン効果の一考察

2017-07-07 | Weblog

今日は七夕韓国では七夕の次の日は、牽牛と織姫が別れをおしんで号泣することから大雨になると言われているが今年は事実その通りに、しかし九州の大豪雨はかなり心配、無事にかつ迅速に解決されることを願っている。

今日はドーパミンがもたらすスポーツの関連性から小学生の時からボクシングをさせることは好ましくないと言うことを述べたいが、ドーパミンは日常の行動の動機付けになっていて、特にスポーツなどのパフォーマンスが高くなるとドーパミンの量が多く分泌されるそうである。ドーパミンとは何かということをひとことで説明するのはむずかしいのだが、ドーパミンは脳内の快楽物質、適度に分泌させればいい刺激になるが、しかし麻薬や快楽殺人などもドーパミンの量が多く分泌していて、麻薬や快楽殺人がやめられないというのはドーパミンを増やす効果があるので行動そのものが動機となってあらわれるからである。しかしドーパミンはやる気が起こった時に分泌されるので、ドーパミンを分泌させることはわるいことではない、これが少ないと無気力になるらしいが、これが多くなると心のバランスがわるくなり、統合失調症をおこしたり、変なことや恥ずかしいことを平気で言ったりするらしいが、ここで注意すべきことは麻薬やギャンブル依存症はドーパミンと大きく関連しているということだ。

前から子供に殴り合いなどさせるなと言っているが、その理由の一つは子供の頭蓋骨が柔らかくダメージを受けやすいということ、さらにもうひとつの理由は依存性とドーパミンとアドレナリンのバランスである。
ボクシングや格闘技系のスポーツはなぐられるので、ドーパミンの分泌量が他のスポーツに比べて多いと言えるであろう。頭をなぐられたら気持ちいいとも言えるような快感を得ることができるのは、危険を察知して脳内にドーパミンが分泌するのだと思うが、よくボクシングは一度やったらやめられないというのはこれ、私がよくボクシングしかできないようなアウトローくさい人間が、出所仲間を頼って集まるようなジムは子供の教育上よくないと言ったが、そういう人間が集まると言うのもボクシングは依存性の高いスポーツだと言えることだと思う。
子供を取り囲んで「おら行けーっ」とか「ファイトー」と下品な言葉で煽って刺激を与える。そういう刺激を与えたり、単純にほめられるとドーパミン効果があらわれるので目は生き生きしてくるのだが、しかし激しい下品な言葉で煽ったり、おだてているのかほめているような環境で子供の頃からボクシングをさせるのは、まさに軽い麻薬を与えているようなものである。
少年期に頭をたたきあうということは、どう冷静に考えても子供にとって健全であると言うことはできない、こういう時期に頭をなぐって麻薬のような高いドーパミンの分泌を経験させたり、攻撃性ホルモンであるアドレナリンを出しまくるということが将来人格を形成していく上で健全であるとは思えない。
私は専門家ではないのでおおすじに従って言っているだけだが、しかしボクシングと言うスポーツは特殊なスポーツで医学的な安全性と言うものが説明されない限りは、子供には競技させてはならないと思う。

前におこったボストンテロ事件であるが、その主犯がアマチュアでオリンピックを目指していたそうである。彼は問題児でその事件と暴力にボクシングによるheadtraumaが関係しているのではないかと言う論文がでている。もちろん日本語のものではないが、読んでみたらいいと思う。
英語にはこういう論文や記事がたくさんある。
しかしたぶんそういうことを奨励している人間は読めないのでわからない。
読めないくせに詭弁で一応ごまかしてはいるけれども、こういう問題をしっかりととらえて問題にできなければ無責任、俺たち勉強キライデース、だからボクシングを一応一生懸命やって他人と差をつけようとしてまーすというような考え方は社会で通用しない。こういうアウトローくさい奴が指導していたり、ボクシングを競技していることには非常に問題を感じているが、まずボクサーで英語が理解できる人間がいないと言うことが問題、全体的に学力がひくいと思う。ボクシングと言うのはある程度医学の問題を扱うのだから学問的な考察ができなくてはコーチや監督としては失格だ。真面目に考えているならばしっかりと文献を読んで、ある程度専門的な知識を身に着ける必要がある。

 

 

 


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행복해요?1年前のブログ

2017-07-07 | Weblog

今から書くことはあくまで昔の若い時の私であると言うことを注意して読んでほしいのだが、このブログは脱あしたのジョーである。題名の通り私はあまりあしたのジョーと言うアニメは好きではない。どちらかといえばかなり否定的であるが、昔在日韓国人の女の子にジョーとかぶると言われたことがある。どうかぶるのかと言えばまず自由人であること、そして徹底して協調性がない、絶対に群れないと言うようなところらしい。私は本能的にどうかたまっていいのかわからない、仲良くしましょうなんていう言葉はF○ck youに等しいぐらいに思っていたが、仲間と言う言葉が大嫌いだし、数でいくやり方は本当に卑怯だと思っているが、たぶんそういうところがかぶるのだろう。その時その女の子に「そういうとこかっこいいんとちゃうの」と言われて思わず赤面してしまった。

ジョーは徹底して自由人である。社会を敵対し孤独であるそのジョーがボクシングと言うスポーツに魅了され、そして最後はあの名言である真っ白な灰になってキャンバスにちっていくのであるが、ボクシングと言うスポーツは我々自由人にとって非常に魅力のあるスポーツである。キャンバスで動いている時は何もかもをわすれることができたし、何よりもあの場所は平等であったと思う。事実私はアメリカではマイノリティが生き生きと競技しているのを見て救われたことも事実であるが、キャンバスは社会的にハンデをもった人間、孤独で人と強調できない不器用な人間が思いっきり自分を表現できる場だ。社会ではいろいろなハンデがあって平等とは言えない扱いを受けるだろうが、しかしそこでは自分のすべてをぶつけていける。そういう場で自分の存在価値を見出すジョーの気持ちはわからないわけでもない。

ハワイのキャンバスは自分のすべてをぶつけていける場であったと思う。マイノリティであろうがpovertyであろうが関係なくそこは平等である。何とか軍団とか権威主義のじじいがいばっているわけでもなく、べらべらと仲間意識を強調するかのようなおしゃべりなどなかったが、私はそこで生まれてはじめて拘束されない自由と言うものを感じて心から楽しかったことは確かである。徹底して協調性のない人間が外国に行くのだから、当然そこには軋轢がある。当時はこいつだけはと言うのが何人かいて一応顔見知りなので試合で会うとすれ違いざまに顔を合わせて「うんっ」いうようなしぐさを見せるが、しかし内面は絶対こいつだけはぶちのめしてやるなどと思っていたし、向こうも思っていただろう。はたから見たら一体何なんだとさえ思うだろうが、しかし本当にすごくおもしろかったし充実していた。今までの最高の思い出であったと思う。自分は本当に群れるのがいや、数で行く奴は本当に卑怯だと思うし、仲間なんて言う言葉はfuck youだ。でもたぶんそんな自分にとってそこがいごこちがよかったのはそこがひとりでいい場所だったからだと思う。


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