脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

偏見

2013-10-30 | Weblog
日曜日久しぶりに銭湯に行った、そこのサウナでの話だが、そこには地元で仲間とおぼしきおやじが5、6人集まってテレビを見ながらでかい声で話をしていた、すると突然あるおやじがこういった「こいつは朝鮮人だ、だいたい朝鮮人は名前でわかる、ある女優は父親がテレビに出た時に一世なので日本語が上手に話せなくて、ばれてしまってテレビに出なくなった」そのことをさも得意げに言っていたが、聞いてて頭に来たので思わずハングンマルで話しかけてやろうと思った。
しかしそういうことをしたら全体が凍りついて、来にくくなるので言わなかったが、しかし私はこういう地元だからと固まる、井の中の蛙にたいして問題を感じている。

自分たちの小さい世界だけで物事を理解して判断するというのは、はっきり言って偏見を持つことだ、こいつの話を聞くと朝鮮民族はおとっていて、それをかくすために有名になっても親をテレビに出さない、だからひっそりとその素性を隠して生活しているらしいが、こういうことを公共の場で言うこと自体、そいつがどれだけ井の中の蛙かということがわかるのだが、こういった偏見を持つ人間は結構いる。

私の感想ではスポーツの世界で、それしかやってこなかった奴も物事を決めつけて言う奴が多い、偏見と言えばそれまでだが、しかし話し合いをしても、最初からこうに決まっているという態度で相手の意見を聞くよりも自分のいいたいことを言う、おそらくこいつらの世界はそれを聞いて受け入れるという世界ではない、言いたいことを言って起こるか怒られるかの世界で、縦社会の人間は常に相手が自分より上かどうかを意識し、相手が自分よりも弱かったり立場が下だったら、とにかく相手を正してやろうとしか考えない非常につまらない奴らである。
こういう世界であるからクラブと言うのも、みんなが同じ目的を持って集まるものだと勘違いしている、毎日毎日同じメンバーがそろって同じことをやっているので、結束力はあるのだが、しかしその結束力はみんなと同じ目標を持って、同じことをするからで、そこからはずれたら逆に仲間外れにされてしまう。そういう同じ価値観で集まる小さい世界をつくり偏見を生み出している、そういう意味ではそれしかできない、クラブの世界しか知らない人間はサウナのおやじ達とおなじである。
なぜみんなが毎日練習に行かなくてはならないのか不思議である、目的も健康維持とかダイエットでもいいと思うのだが、なぜみんなが同じ目的を持って、同じことをしなければいけないのかわからない、たぶんやらされているからできるのだろうと思う。
考えてみたらいいと思うが、ボクシングしかできないからそれが好きだと錯覚するのと、いろいろなことをやってきてボクシングがおもしろい楽しいというのは全く違う、それしかできない奴と言うのはやめた後は、非常に不本意な生き方をしているし、話していてもつまらない、しかし勉強もスポーツもきちんとやってきた人間は仕事もきちんとできるし、何よりも考え方のバランスがしっかりしている、それはいろいろなことを体験し、学ぶことで選択の枠を広げることができるからだと思うが、しかし一方不本意な生き方をする奴は考え方にバランスがもてない、選択の枠をせばめている。

実は私は以前ボクシングで、10戦以上している人間はあまりかしこくないという偏見を持っていて日頃からそういうことを冗談交じりに言っていた。
しかしある時クラブに大学の時に競技してましてと言う人が来て、その人が非常に知的な仕事をしている。
私が大学でどれぐらいされてたのですか?と聞くと「ああ4年間やって、11戦試合にでました」げっ俺のラインをこえてるじゃねえか、その時思わず自分が10戦以上している人間に対して偏見を持っていたことを話し、そしてこう言った「これから20戦にひきあげます」
まあこれは私がもっていた偏見であるが、しかしボクシングだけではなく、いろいろなことをやってきた人間は考え方のバランスがしっかりしていて、有意義な人生をおくっていると思う。









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