脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

ノムキッポヨ

2013-10-27 | Weblog
今日トレーナーからうれしい吉報がはいる。
うちの競技者が勝って敢闘賞をとったらしい。彼は非常に気が弱くて、人見知りをするので、最初はすぐにこなくなると心配していたが、その心配もよそに何年もこのクラブに通い、ついに試合に勝って敢闘賞までいただいた。
ここはおっさんたちが多いので30才を過ぎた彼の勝利にみなさん大喜びだ、おまけに敢闘賞までいただくなんて、この前も中学生がマスをやってくれと(しかも中一、当然中学生はあてるが彼はあてないマスだが)しつこく言われて「やらんといっとるやろがー」ときつく言っても「やってやー」と完全に中学生になめられていた、試合前なので中学生には試合が終わってからにしろ、それまで邪魔をするなとくぎをさしておいたが、これで大丈夫なのかと思うぐらい、へたれで気が弱い彼の勝利は、自称へたれが集まるオリーヴの連中にとってうれしい勝利であったと思う。

しかし私は彼は絶対に勝つと確信していた、それは彼がだいぶ前にグローブを購入するという話であるが、彼はいつも消費税あわせて10000円とか微妙な買い物をしていたが、今回は何とウイニングを。それが自分に合えば買うというのだが、その時思わず「お前どうしたんじゃ」と言ってしまったが、笑い話だが、私はこの彼の買い物の仕方に、迷いのなさとボクシングが楽しくなってきたと感じたから、一皮むけた、勝つと思ったのである。

今回はトレーナーの功績は大きい、彼の素晴らしいところは人を自分にあわせさせるのではなく、自分から人にあわせるということだ、少々しんどかってもその選手にあわせて出てきて指導してくれる、そういう大人に合わせた指導法ができることで、彼らは気兼ねなく練習できたのだと思う。
またこれはある人が彼に熱心にアドヴァイスをしてくれたのだが、彼は今回試合に出る人間とはまったく正反対のタイプの人間で、こういう正反対の人間のアドヴァイスはこういうタイプには何をしたらやりにくいか、こういう時どうしたらいいかということを別の立場から教えてくれるので、非常にアドヴァンテージになると思っている、たぶんそのアドヴァイスによって、ある種の戦い方の幅ができてきたのだと思うが、まったく違うタイプの人間のアドヴァイスは実戦を考える上では非常に重要な意見だ。

たぶん教えていたり我々みたいに客観的に見ていたら、勝つか負けるかと言うことはだいたい冷静な判断ができるものだ、ポーカーフェイスにふるまってはいるが、こんなこといっちゃあ何だが、状況的なことやいろいろなことを考えてだいたいはわかるものである。
往々にして気持ち的にみだれのある場合はいい結果をのこせない、しかしそれは気持ちが強いとか気持ちをしっかり持つとか、そういうことではなく、気持ちが安定することだ、精神的にぶれていない状態の人間はだいたいいい結果を出すが、しかしそういう状態に持って行けるのは、日ごろのトレーナーとの相性や、練習が楽しく無理せずにできるということだが、しかしたいていの人間はナーバスになると欠点ばかりに気をつかい、心にぶれや迷いが生じてしまう。
迷わないと言うのは、バカみたいに自信をもてとか、心を強く持てと非科学的なことを押し付けるのではない、迷わないというのは、無理をせずにマイペースでやるということだ、そのマイペースがリラックスした状態をつくりだす、まさにこれがぶれない精神だと思っている。

自信と言うのもリラックスできるかどうかということだ、そのリラックスできる状態を作り出してやるのが我々の仕事だ、それをミーティングを開いて、無知で無学な奴が悔いのないようにとか自信を持てとか励ましているつもりだろうが、しかしそんな状態でそんなことを言われても、本当にリラックスできるはずはない、自信を持てと言ってる奴自体が自信なんて持っていないし、自信なんてわからない、じゃあ自信って何だと聞いてやったらわかると思うのだが、答えられない、競技における自信と言うのはリラックスできる状態と関係している、そういう状態を常に作り出す訓練をすることが大事なことだ。
はっきり言って自信と言うのは相手を支配することではない、自信と言うのは自分自身を支配することによって生まれるものだ、人間の存在能力を高めるα波と言うのは、リラックスした状態によって生まれるらしいが、まさにそのことが意味するように、本当の自信と言うのは心と体から少し離れた状態から自分を見つめることで、そういう状態をヨガや好きな音楽などを聞いてリラックスすることでつくりだすのだ。


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