脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

18と28

2012-10-08 | Weblog
昨日親しい人数人でパスタ屋に食事をしにいった。
前から外国人の友人に、イタリア料理には実際ないナポリタンを食べさせてみょうということで盛り上がって行くことになったのだが、会員の人がみつけてくれたとある店に私たちは行った。
そこはそこそこおいしいパスタの店で、メニューにナポリタンがあったのだが、どうやら料理は注文番号があってそれにしたがってそれぞれ決めたパスタを注文した。
そして注文をしている時に、その外国人の人がいきなりウエイトレスにこういった。
「私はイタリアから来ました。私はピザの味がわかります。私はあなたがたのつくったピザを食べたい。だからピザを注文します」と言ってシーフードピザを注文したのだが、これには店の店員も驚いたようで、少しびびりながら注文をとっていたが、しかし彼はシェフでもなんでもない普通のおっさんだ。
しかしあそこまで堂々と言われたら、どこかの偉いパスタの店のオーナーでも来たのかと思い、つくる側としても粗末なものを出してはまずいと思ったのだろう、多少の動揺が見えたが、そのピザはあつあつの状態で一番早くとどけられた。
しかしシェフでもないのに、味を見てやるから持って来いと言わんばかりにあそこまで堂々と言えるののには驚いた。
その後彼は「うんおいしい」と言っていたが、しかしかなり気をつかってていねいにはしていたが、かかった時間がはやかったので私はそれがインスタントではないかと思っている。
外国の人たちはみなさん自己主張をするのでユニークな人が多く、私はそういうことをいろいろと見てきたのだが、コレアンもこれにまけてはいない。
以前焼肉屋に連れて行ったことがある。「ここはうまい日本式のプルコギの店だ。韓式とは少し違うが俺はどちらかというとこっちの方が好きだ、とにかく食べてみろよ。」ということで、大阪でそこそこ有名な焼肉屋に連れて行ったことがある。
まあそこで会食していたのだが、彼はメニューを見ながら、こういった「あれキムチがあるじゃないか」私は「ああキムチがあるが韓国のとは少し違う」「えっ何が違うんだ。よしじゃあ注文してみよう」ということで注文することになったのだが、その注文する時に彼は「私は韓国人だ」と日本語でその彼と同じようなことを店員に行ったのである。
そしてキムチが運ばれてきたのだが、それを食べると彼は「えっこれうまいじゃないか。」と言ったのだ。
「なぜこんなにおいしいのか、韓式とは少し違うって言ったけど何が違うんだ」と聞いてくるので、私はこう言った「発酵させてないだけだよ」友達は「えっ発酵させていないキムチってこんなにおいしいの」と言っていたが、韓式と日式のキムチの違いはまさに発行させているかいないかの違いである。
こっちではキムチと言うのは発酵させないが、しかし保存食として食べるキムチは発酵させるのが、一般的なキムチの食べ方で、まさか本場の奴が発酵させていないキムチをおいしいと言うのは意外だったが、私個人的にも発酵させたものよりもさせていないものの方がおいしいと思う。しかしそれを焼くとなったら別、むこうではキムチを焼いて食べる習慣があるのだが、発酵したキムチを焼いて食べると味がまろやかになりおいしくなる。日本人でこういう食べ方をする人は見たことがないが、意外とおいしいので焼肉の時に食べてみてはどうか。

よくなぜそこまでむこうのことに詳しいのかと人に聞かれることがある。
それはもちろん私はバイレイシャルであるからだ(バイレイシャルは日本語でいうところのハーフだが国際語ではこういう)。
だいぶ前にそれを知ってか私のところに18と書かれたメールが来た。
18と言うのはシッ○ルと読むのだが、この18の発音がむこうのくそ野郎よりもひどいくそ野郎というスラングの音と同じで、たぶんそのことを私に言いたかったと思う。
しかしそれならせめて18よりも28と書いた方がいい。
なぜ28かというと20と言うのは「イーシッ○ル」と発音するのだが「イ」というのは代名詞の「この」という意味で直訳すると「このく○野郎」でどちらかと言えばこちらのほうがきつい。
まあこういうメールを送ってきたのは韓国人に対する抗議のようなものであるとも思っている。
正直な話世界的に見て韓国人の評判はわるい。特にアジアではベトナムのこともあってすこぶる評判がわるいのだが、最近では日本人がその傍若無人ぶりに腹を立てても仕方がないのではないかと言うぐらいに思えてきている。
しかし最近すごいうわさがネットなどで飛びかっているそうであるが、それに対しては遺憾である。
聞いて少し見て愕然としたが、どういうことが言われているかと言うと、広がってはいけないのであえて書かないが、たぶん情報が錯そうしてそうなったのだと思われるが、ある意味デマゴーグ的な意味合いをこめてうわさにしているのではないかと推測できる。
それは韓国人の習慣的なことについていろいろと定説をあげているが、しかしそもそも出典があやしい、確かに火病と言うのは最近だが聞いたことがあるし、そういう習性は他の民族よりも強いと思う。しかしそれらは昔から言われてきたことではないし、さらにそれは正確に医学的な病気を表す言葉ではない。あっても心理学的なものであって科学では解明されるような病気ではない。
日本人がいかってだろうか、最近ネットではそういうようなことが飛び交っているのだが、しかしそれらは出典がハングルでもないどころか、ファビョンというような韓国語読みさえもない、ただ日本語だけの言葉だけのものもあり、彼ら彼女らがやっていることは世界で非難されても仕方がないが、しかしそれに便乗していろいろなわるいでっちあげのようなうわさが出てきているのも確かだと思うし、そこにはこういうわるい民族はこらしめてやりましょうというデマゴーグでもあるのではないかと思う。
私はバイレイシャルの立場として言いたいのは、国家の在り方を非難することは間違ってはいないし、正しいことである。しかし民族を否定することは決してしてはならないことだが、まさにこういうネットでの信憑性のないうわさは、民族を否定していると思う。

最近では一部の政治家やテレヴィ局を利用して、日本をのっとろうとしているということに国民も気づいてきているし、竹島問題なんかも日本人がおこって当然のことだと思う。私は極力そのテレヴィ局とその政党を支持することはしないのだが、しかしこういうことは民族の問題ではなくその国の政策や教育ががわるいわけであって、私などは歴史などを再解釈と言うか再認識する必要はあると考えているのだがそういうことをはっきりと主張することならまだしも、その発言が民族否定につながるようなことであるならば、すべきではないと言うのが私の見解である。
国家のあり方と民族を否定することとは違うと言ってもその線引きは難しいが、しかし民族否定と言うのはホロコーストにもつながるので、慎重に言葉を選んで発言することが大事だと思う。



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