そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

イランから世界を見るその2 庶民の変化

2014-10-03 | イラン

中東に対する見識はそれなりに持っていると自認していたが、多くのことが今回の旅行で否定されることになった。その一つが戒律が厳しい、シーア派のイメージである。良くも悪くもイランは宗教国であろうと思っていたのであるが、極めて若い国家の現実には驚かされた。
イスファハンのイマーム広場には、四半世紀前のイスラム革命の直後 は、礼拝に10万人を超える人たちが集まり、町中に溢れていた。
今回金曜日に訪れることができたが、異教徒の私たちをもモスクにPhoto招き入れてくれた。時間制限はあったものの、写真撮影も許された。
左の写真はその時撮ったものであるが、皆がお祈りをしている時も、黙々とスマホでゲームを楽しんでいる若者がいたのである。これには少々驚かされた。(写真はそれぞれクリックし拡大写真をご覧ください)
礼拝する人たちは、この日は僅か3000人ほどであった。宗教の位置が、確実に低下している。それは、全身を覆う女性のチャドが少なくなって、スカーフが多くなっていることでも覗われる。しかも、かなりカラフルでお洒落になっている。

サウジアラビアでは、女性が車を運転することは禁じられ、youtubePhoto に女性が自分の運転を投稿し問題にもなっていた。イランではかなりの女性ドライバーを見た。イラン人は車が好きである。都市間が長いために、車は欠かせない。
右の写真を見ていただければわかると思うが、慣れた手つきで女性が堂々と運転している。

入国前は、カメラを人に向けて撮る時には了解を貰うように厳重に注Photo_2 意された。特に女性は絶対にとってはダメだと言われた。
ウソである。ほとんどの人が喜んでカメラに納まってくれた。むしろ、非映像の歴史が長かったために、庶民にはカメラは縁遠いものだったのだろう。左の司祭は喜ぶどころか、Ⅴサインすらして手を振ってくれた。
ホメイニ師が戻ってき、イスラム革命直後なら考えられない現実である。

さすがにお酒はご法度であった。これには少々参った。灼熱の砂漠を旅した、夕食の膳にビールがないのである。
深夜にまで、人々が街に繰り出している。夜になっても飲み屋がないので、家族連れである。あるいは仲の良いお友達や家族同士で街に繰り出す。そのため、夕食は通常でも8時ころにはじまるPhoto_3。おしゃべりと買い物であるが、家族単位の行動は日本なども見習うべきかもしれない。右の写真は、イマーム広場の夜の9時ころである。お菓子など持ち寄って何か食べている。

イランは若い国家である。ネットなどで、若者は世界の事情を知っている。若者は現実的になっている。イスラムの戒律は次第に希薄になっている。その一方で、ペルシャ人としての誇りはとても強いものが感じられた。その一方でアラブ人は仕事しない、歴史がないなどと蔑視する。イスラムになって僅か1500年しか経っていない。ペルシャ人の歴史から見るとほんの最近のことだと言い切る。
中東を石油とイスラム戒律だけで判断するべき時代は、少なくともイランでは遠のいているように思える。

フォトアルバム<ペルシャであった女性たち>アップしてます。


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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
イランには、忍者やくのいちもいるそうです。 (Unknown)
2014-10-04 00:36:42
イランには、忍者やくのいちもいるそうです。

イランには24000人の忍者がいて、
そのうちの3500人がくのいちであるという衝撃の事実
http://buzzap.jp/news/20120211-iranian-ninjas/

上記の事と今回の記事を読んで、
なんとなくイランに親近感が持てました。
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