そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

ボクシングと相撲の違いか

2007-10-16 | 食料自給率

日本ボクシングコミッション(JBC)は15日、世界タイトル戦で反則を繰り返した亀田大毅に一年間の公式戦出場停止などの処分をくだした。厳罰との声もあるが、この程度の処分は当然と思える。

リング外で悪役(ヒール)に徹しても、試合が終われば勝者を称えるべきである。それがスポーツであり、自らの技術の及ばなかったことを、強く認めるべきなのがスポーツである。

この男には、技量がなかった分、反則行為に頼らざるを得なかった現実を認める度量がなかったようである。それを拒んでいたのが、父史郎である。JBCの処分は素早く、内容的にもおおむね受け入れられるものであったと思われる。

ところが、これと全く対照的なのが大相撲である。新弟子死亡(リンチでないないのか?)事件から本場所を挟んで、3か月55以上経ってからその重さを、マスコミが騒いだことで知るような有様であった。

相撲協会が、文科省から勧告を受けてやっと、動き出す鈍感力にはあきれるばかりである。この前には、朝青龍問題もある。こちらの方の処分には、素早いものがあったが、現役力士の最高位にある人物に、いいように扱われる情けなさである。この素早さは、理事長の心情的に堪ったものが出された感が強い。

幼い頃には、スポーツと言えば相撲であった。当時、スポーツは少なく力士は英雄であった。伝統とは時には"粋”で、時には"格式”なのである。7勝7敗の知り合いと千勝楽に、勝ち越しでも負け越しでも結果の決まったものが対戦する時には、負けてやるのが"粋”であり、伝統であった。そのことは観客の誰もが承知していたこのなのである。

それが、近ごろはどうやら金が動くようである。そうなると”粋”ではなく「八百長」なのである。日本人の実力者のいなくなった、この社会に伝統はどこかに行ってしまったらしい。週刊誌の、八百長報道に告発合戦をやっているが、相撲協会に分が悪そうに思える。

亀田の一件で意見が分かれないことが一つあった。誰もが、彼らのリング上の戦いを、これからもぜひ見てみたいと言うのである。一方の、大相撲は相変わらず伝統の中で、行き場を失った模索の中にある。観客数が減少の一途にある。

ボクシング人気を回復させた効果が少なからずあることを、亀田家にJBCは謝意を込めるべきではないか。多くのフアンは、彼らの今後のとりわけ態度の回復を見守りたいのである。鈍重さが目立つ相撲協会は、こうした意味では極めて陰湿で、新しいものが出てこないように思える。

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