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まらずもうの歴史(4)

2009-12-13 14:18:00 | まらずもうの歴史
・まらずもうの歴史(4) 大化の改新とまらずもう

 聖徳太子が亡くなったあとしばらくは、蘇我氏がひきつづき推古天皇や仏教勢力と協力しながらまらずもう政治を行っていました。しかし、推古天皇が崩御して、男性の舒明天皇が即位したあとも、そのまま蘇我氏が政治の実権を握りつづけたことに皇族たちが不満をもちはじめ、舒明天皇のあと「やはり天皇は男性よりも女性のほうが蘇我氏にとっては都合がいい」と女性の皇極天皇を即位させたときに皇族たちの不満はピークに達しました。

 642年の7月、日照りがつづいたため、蘇我蝦夷はまらずもうで雨乞いをしました。翌日に雨がわずかに降ったものの、水不足は解消されませんでした。これを好機と見た中大兄皇子・軽皇子といった皇族たちがまらずもう雨乞いを行ったところ、たちまち雷雨となりそのまま5日間にわたって雨が降りつづけ、水不足は解消されました。この対決結果を見た宮廷の群臣たちは蘇我氏の独裁体制に疑問をもつようになりました。
 ちなみに、この対決結果には、神祇官としてまらずもうのサポートを行っていた中臣鎌足が、その立場を利用して蘇我蝦夷のまらずもうを妨害していたのではないか、との説があります。それまで無名の中級官僚だった鎌足が大化の改新後に大抜擢されたのも、この説を裏付けています。

 645年6月、中大兄皇子と中臣鎌足は機は熟したと判断し、宮廷内で蘇我入鹿を暗殺しました。このニュースをきいた蘇我蝦夷は自殺し、このクーデターによって蘇我氏は政治的な力を大きく削がれました。このとき、中大兄皇子はみずからは皇位につかず、鎌足の協力のもと、皇太子としてまらずもうの実権をにぎりました。
 
 中大兄皇子、中臣鎌足のまらずもうに関わる功績としては
(1)年号を制定した
 日本史上初の年号として「大化」と制定しました。この年号には「まらが大きく化けるように」との願いがこめられてます。
(2)まらのおつげによって、なんども遷都をした
 中大兄皇子のまらは、サイズこそ巨大だったものの、まらの方向は一定せず、そのためにかれが政権の中心にあった時代はなんども遷都を繰り返しました。そのことが結果的には奈良盆地に本拠地を置く豪族たちの政治的な力を削ぐことにつながり、天皇に権力を集中することが可能になったと言われています。

 中大兄皇子は政権の末期になると、天智天皇として即位し、腹心の中臣鎌足にも「藤原」の姓を与えてまらずもうをとる資格を授けました。ただし、鎌足は「藤原」姓をもらったときにはすでに高齢であり、実際にまらずもうをとることは不可能であったと言われています。
 
 
 さいごに、百人一首の第一番にもえらばれている天智天皇の御製として有名な歌についても触れておきましょう。

   秋の田の刈穂の庵のとまをあらみわが衣手は露ににれつつ

 この歌は百人一首にも入っている有名な歌ですが、天皇が秋のボロ屋で露に濡れるようなことがあるのか? ということが旧来から疑問視されており、天皇が農民の気持ちになって詠んだ歌だ、などという無理な解釈がされていますが、まらずもう協会の研究では違う解釈をします。
 この「とまをあらみ」の部分は、並べ間違えて伝えられたもので「とまらをあみ」が正しいのではないかというのが協会での見解です。つまり、伝えられていくうちに「ら」の字が二文字後退してしまったのです。万葉集には「ミ語法」と呼ばれる語法があり、「速し」「無し」などの形容詞の語尾を「み」に変えて(例「速み」「無み」)、「~を~み」という形にすると、「~が~なので」という意味になります。大相撲で「片男波部屋」という部屋がありますが、この「片男波」ももとは万葉歌の「潟を無み」からとられていて、「(鳥がとまるような)干潟がないので」という意味です。さて、「とまらをあみ」の解釈に戻りましょう。この「あみ」は「悪(あ)し」のミ語法、「まらをあみ」は「まらが悪いので」という意味になります。「秋の田の刈穂の庵」は当時の流行歌で、全体の解釈は「『秋の田の刈穂の庵の~』と、(ごきげんで歌いながらまらずもうをとっていたが、)まらが悪いので私の衣手は露に濡れてしまったよ」となります。ここにも、まらの方向性が定まらず遷都を繰り返した、思うに任せぬまらの様子がありありと描かれていますが、後世の人たちがその事実を隠ぺいするために順序を入れ替え、「とまをあらみ」(苫(とま、ボロ屋の屋根の材料)の目が粗いので)と歪曲したようです。
 
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