お宿&かふぇ 布屋 《主人のひとりごと》

120年経った京町家を改修した民宿『布屋』

電車男”新潟”へ その4

2011年10月30日 12時53分39秒 | 旅先で
ホテルを8時に出発して(マイクロバスで駅まで送ってくれるサービス付き)。駅の緑の窓口で帰りの切符を求めます。僕「京都まで乗車券ください」若い女性窓口係「はい。北陸廻り?東京廻り?」僕「直江津から長野、篠ノ井線松本、中央西線中津川、名古屋、米原経由で」「えっ!」メモを取り出して発券。「特急券はいかがいたしましょうか?」僕「乗車券だけで大丈夫。変な人もいるもんですね」「いえ!気をつけて」新潟駅8時46分発長岡行115系4連。座席パラパラ。車掌女性。しばらく行くと新津。ホーム5本広い駅、ここから信越線、羽越線、磐越西線が分岐。昔は賑わっていたであろう駅。新津から右手ずっと田圃。穀倉地帯。駅に近づくと新しい住宅多し。加茂停車。古くからある町。少し降りて少し乗ってくる。製材所、瓦工場がある。東三条着。たくさん降りる。弥彦線0番ホーム2両止まっている。三条を過ぎると晴れ間が出てくる。右手にもっこりと弥彦山。見附あたりで上越新幹線の橋脚が田圃の中に一直線に見える。東海道新幹線と違い、何も走って来ない。長岡で乗り換え。直江津行ブルーの115系5連。乗客僕を入れて3人。

駅を出ると左手に長岡機関区。DD14車庫の中、EF81あけぼのヘッドマーク付きが止まっている。その他7,8両。宮内で上越線分岐。信濃川大トラス橋渡る。車窓から見える山間の町でも、古い建物があまりなく、軽量鉄骨の家多し。塚山、長鳥と山の中に入ってゆく。すれ違いの「快速くびきの」特急車両使用だ。だんだん家が増えてくる。新潟から乗った女性車掌は到着、発車の際の点呼の声がよく聞こえたが、この電車の男性車掌(中年)、まったく聞こえず。柏崎着。10人くらい乗ってくるが鯨波でまた乗客2人になる。このあたりから海沿いを走る。昔、青春18きっぷのポスターになった駅「青梅川」停車。

降りたくなるが、ここで降りたらもう何時間も電車が来ないので諦める。笠島、米山、誰も乗ってこない。窓の外はずっと日本海が見える。長い砂浜、波高し。ところどころ海水浴場があるが、海深そう。柿崎で海から離れる。乗客4人。ダイワハウスの巨大な工場。この辺の家はみなダイワハウス?「上下浜」「土底浜」と海辺の名前の駅が続く。「犀潟」でほくほく線分岐。「直江津」定刻着。11時54分発、長野行またまた115系3連。新潟周辺は115系ばかり。ちなみに115系電車は3ドア、セミクロスシート車でもう東京圏では見られないし関西圏でも残り少なくなってきた古い系統の電車です。長野行が70%の乗車率で駅弁食べる雰囲気ではないので直江津での購入を諦めて乗車。左手に北陸新幹線のコンクリート橋脚が建設されている。「新井」でほとんど降りてしまう。駅弁買えばよかった。どんどん山に入ってゆく。突然電車が停車。後ろ向きに走りだし「二本木」停車。なんとこんなとこにも「スイッチバック駅」があるんだ。交換の直江津行が先に下へ降りてゆき、長野行が再び山を登ってゆく。25‰。柿がそこここになっていて紅葉が始まっている。

あたりは高原ぽくなってゆき「妙高高原」着。4,5人降りて、10人くらい(観光客)乗ってくる。ここから一部複線になり速度も80キロくらいで下がり始める。黒姫あたりで高速道路が立派に走っている。ようこそ信州の看板あり。ひたすら電車は下ってゆく。早い。「牟礼」「豊野」信州平という感じで車窓は「りんご畑」の赤い実がいっぱい。北長野あたりは四角い新しい家ばかり。長野新幹線の橋脚の下を通り長野着。ホームには折り返しのこの電車に乗る人が、たくさん待っている。

30分の乗り継ぎの間に駅弁を購入。次に乗る「小淵沢」行の車内でやっと、お昼ごはんにありつく。この小淵沢行も115系の3連。ボックスに1人づつの乗車率。定刻発車。右手に「マルコメ味噌」の立派な社屋。犀川を渡り、両側にリンゴ畑を見つつ、「篠ノ井」へ。構内広い。ここでしなの鉄道分岐。篠ノ井を出ると徐々に山を登ってゆく。長いトンネルを抜けると「姥捨」

ここで特急列車交換のため停車。車掌さんがどうぞ車外に出て景色をお楽しみくださいとアナウンス。

地元の人は皆車内で「オヤスミ」しているが僕をはじめ観光客はみなホームに出て素晴らしい景色にうっとり。

日本3大車窓の一つをゆっくり見ていると交換の特急「しなの」がさっと通り過ぎてゆく。

特急に乗ってる人はこんな雄大な景色もあっという間に通り過ぎてしまうんだ。やはり鈍行列車がいいですね。そしてここで本日2回目のスイッチバック。なんと1日2回もスイッチバック駅を通るなんて。日本でももうそんなに多くないであろうスイッチバック駅だが・・電車男は感激で一杯。そして北アルプスがうっすら見えてくる。松本3分遅れで到着。構内は特急「あずさ」の車両だらけ。松本で途中下車したいが先があるので「中津川」行きに乗り換え。またまた115系3連。しかしここまで全部115系と意外な展開です。山が高くて気持ちがいい。「塩尻」あたりはブドウ畑が多くなる。駅広し。10分停車。交換の「しなの」「あずさ」はみな100%近い乗車率。この中津川行きは30%。16時5分発車。いよいよ山に入ってゆく。「洗馬」「日出塩」山間の小駅。JR東海の駅名標に変わる。「贄川」あたりで木曽の山に入ってゆく。あたりは暗くなってきた。

奈良井峠へ登り始める。山あいに結構立派な家多し。大きな漆器店がところどころにある。昔は険しい奈良井峠だったが、今は長大なトンネルで抜けてしまう。「藪原」の次「宮ノ越」で松本行ワンマン2両とすれ違う。JR東海313系新型。80%の乗車率。谷あいにトタン屋根の家が増えてくると「木曽福島」。8分停車。高校生がたくさん乗ってくる。「上松」をでると右手に「寝覚ノ床」が一瞬見えるが外は真っ暗になってくる。どんどん坂を下ってゆき終着「中津川」3分遅れで到着。急いで名古屋行快速に乗り換える。ここからはもう都会の電車風景になる。中津川から名古屋の手前「金山」へ。ここで「米原」行に乗り換え。ここでまた旧式の117系に乗る。120%。電車男もさすがに「ウトウト」。米原で快速に乗り換え「京都」に着いたら22時28分でした。新潟から14時間の旅も終わります。1年分の電車に乗った気分で我が家に帰ります。おわり。一部紀行作家「宮脇俊三」を真似て車内メモを取っていたのでこんなに長くなりました。ご愛読ありがとうございました。

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2 コメント

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うらやましい~! (伸&敬)
2011-10-30 23:43:28
スイッチバック2回は貴重ですね。近畿では北宇智がなくなりましたので、淋しいもんです。
・・・・
ふむふむ (紫式布)
2011-11-08 11:24:47
素敵なルートを教えていただきました
乗ってみたいですねぇ~~

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