半透明記録

もやもや日記

『チャーリーとチョコレート工場』

2009年09月19日 | 映像



《あらすじ》
世界中で売られているウォンカのチョコレート。巨大な工場からは大量のチョコレートが毎日発送されていくのだが、中で働いている人の影はまったく見えない。ある日、謎に包まれたウォンカのチョコレートの中に工場見学に5人のこどもを招待する金色のカードが入れられたというニュースが世界を駆け巡る。貧しい家に父母と2組の祖父母と暮らすチャーリーもまた、金色のカードを夢見てチョコレートの包装紙をめくるのだが……



『チャーリーとチョコレート工場』を観ました。
感激屋の私は予想通り盛大に感動させられてしまったのですが、しかしどことなく納得しきれない部分の残る作品でした。観てから一週間になりますが、その間どこに納得がいかなかったのかについてずいぶんと考えさせられてしまいました。


さて、物語はウィリー・ウォンカの不思議なチョコレート工場から大量のチョコレートが出荷されるところから始まります。謎に包まれたウィリー・ウォンカからの招待状。世界中でたった5枚しかない金色のカードを引き当てた5人のこどもたちは、それぞれの保護者1名とともにチョコレート工場の見学を始めるのですが、そこには奇妙な光景が広がっていたのでした。


とにかく、チャーリーとその一家のいじらしさに、冒頭から泣かされそうになります。不思議なチョコレート工場よりももっと不思議で、まるで夢のように美しいものが、チャーリーの家族にはありました。
向かい合ってずっと座っているおじいさんが二人と、おばあさんが二人。それから歯磨き粉の工場をクビになったばかりのお父さん。薄いキャベツのスープを作るお母さん。それからチャーリー。あまりの貧しさに家なんかはぐにゃーっと傾いてしまっていますが(←それにしても傾き過ぎ…;)、家族のそれぞれが思いやり身を寄せ合って仲良く暮らしています。チャーリーがチョコレートを買えるようにと、おじいさんがへそくりをこっそり渡してくれるあたりなどはもう涙が止まりません。

しかし、この一家の暮らしが優しければ優しいほど、ここには巨大な哀しみが横たわっていると思わずにはいられません。なぜなら、この一家は互いに思いやり愛し合ってはいるものの、貧乏のためにその暮らしが成り立たなくなろうとしているのです。
一家の大黒柱であるお父さんは真面目に工場で働きますがクビになり、4人の老人と妻と子供ひとりを抱えて苦悩します。貧乏でも愛があればいいじゃない、というわけにはいかないんですね。あるいは正直さや誠実さだけでは世の中を渡って行けないという哀しみがここにはあるような気がします。

チャーリーの家族とは対照的に、ウィリー・ウォンカは家族を否定して成り上がってきた男でしたが、彼に足りなかったのはたとえば家族といった自分にもっとも近い、しかしとても小さな集団を思いやったり、他人を信頼する勇気を持つことだったのでしょうか。この人が屈折したキャラクターとして描かれているということは分かりましたが、何と言うかちょっとチグハグな印象を拭えません。
いや、それがいいのだろうけど、なんかこう…。ああでも多分この人は物事をただその通りに受け取ってしまうんだろうな。だからささいなことで決定的に傷ついてしまうし、その背景が見えないし、見えないから自分で克服することができない。けれど、誰かが逆の方向へ目を向けるように接してくれさえすれば、今度はすぐに立ち直ることもできるんだ。


つまりここで描かれたのは、誰にでも家族の愛情は必要だし、ぎくしゃくした家族関係はいつでも修復可能で、さらにその気になりさえすればいつでも誰とでも家族となりうるということ。そして、人々がそうやって愛し合い、それぞれに足りない部分を互いに補い合ったなら、それが豊かで自由な発想の源となり、ついには世界中へ拡大していく何か素敵なものを生み出すことになる、ということでしょうか。
これは意外と盲点かもしれません。しかしこんなサクセス・ストーリーは、なんだか少し嘘くさいけれど。でも、私が感じた違和感は多分ここにありますね。これを嘘くさいと思ってしまう私の心が、と言って他に何も思いつかない私の無力と無策が、すこし悲しかったのかもしれません。



もっと面白可笑しい映画だと思っていたのですが、意外と大真面目であれこれと考えさせられる作品でした。
私はここではチャーリーとウォンカについてだけ取り上げましたが、その他の4人の子供たちとその保護者の関係についても、観ていたらぎくっとさせられるところは多々あるのではないでしょうか。

子供を教育するとはどういうことなのか、彼らには何が必要なのか、子供を本当に愛するとはどういうことなのか。そういうテーマもありました。欲しいだけの物を与えることでなく、食べたい物を好きなだけ食べさせることでなく、既存の知識を得るだけが正しいことだと思わせることでなく、強固な肉体を手に入れながら相手を打倒することだけを目的とさせることではなく、それよりも子供たちが将来社会で生きる上で必要になる資質というのは何であるかについて、この映画ではかなり教訓的に語られていました。家族と社会、子供と大人、さまざまな場面における人間関係の不全を、どのように克服していくかを問う物語であったと言えましょう。


このように、考えさせられる要素はたくさんありますが、でももちろん賑やかで鮮やかな楽しい映画です。もっと派手でも良かったけど。
それにしても、チョコレート工場の見学なんて、私も行ってみたいものです。





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