半透明記録

もやもや日記

『ウンラート教授-あるいは、一暴君の末路』

2009年04月30日 | 読書日記ードイツ

ハインリヒ・マン 今井 敦訳(松籟社)



《あらすじ》
彼はラートという名前だったので、学校中が彼を「汚れ物(ウンラート)」と呼んだ―――。人生のほとんどの時間を学校という狭い空間でのみ過ごしてきた中学教師ラート教授の喜びは、彼に反抗する生徒たちを学校から追い出し、破滅させること。しかし、美しき女芸人ローザとの出会いによって、ラート教授は周囲を奈落の底へ突き落としながら、自らもまた深く落ちていくのであった。

《この一文》
「とりわけ一つのことは確かだ。幸福の頂点まで登りつめた者は、底の見えないほどの奈落にもまた、よく通じているのだ。」



学校中、ひいてはその卒業生からなる町中の人々から嫌われ、疎まれ、「汚れ物(ウンラート)」と揶揄されているラート教授。彼の視野は恐ろしく狭く、そのために、実はウンラートというからかいの中にいくらかは彼への好意の感情も含まれているということに気付かず、自分に歯向かう生徒たちへの復讐心を募らせる毎日を送っています。

このラートという人物は、実に不快な人物で、物語の前半は、彼の生徒と同様に読者も彼への嫌悪感でいっぱいになることでしょう。要するに、読むのが辛く、退屈です。もう途中で挫折しそうでした。ところが、後半になると彼は突如として恐るべき魅力を放つようになるのです。

それは、ラート教授が長年どうにか抵抗していたウンラートという忌まわしいあだ名を自ら受け入れ、汚れ物それ自身になったと自覚するあたりから始まります。彼はとうとう真の暴君へと変貌し、大きく深い奈落の口をこじ開け、自らもそこへ落ちながら、彼の周囲の人々をも破滅の大渦へと巻き込んでいきます。

彼の、この暗い輝きはどうだろう! この狂気の、なんという魅力! 退屈だった前半の物語も、ここへ差し掛かるとあれは必要な退屈さだったのかもしれないとさえ思えます。そのくらいの勢いがあります。

ラートは、学校の3人の生徒、とりわけローマンという生徒を破滅させてやりたいと願います。ローマンという人物は、ラートと対照的な人物として設定されています。家柄も、容姿も恵まれ、知性的かつ冷静な彼は、ラートを嫌悪しつつも、彼の偏狭さにいくぶん同情し、またその純粋なまでの偏狭さに圧倒されてもいます。ローマンは、最終的にはラートが破滅させるべきと考える人間全体の象徴となり、両者の感情の行き違いというか、ラートの一方的な思い込みによって、物語の勢いはどんどん加速していきます。

ラートとローマンの間を結ぶのが、町へやってきた女芸人ローザ。ローマンが彼女に思いを寄せていると誤解したラートはローマンの破滅のきっかけを掴もうとローザに近づきますが、逆にラート自身がローザに夢中になってしまいます。ローザを美の女神と崇めるラートによって、ローザもまた自分の美しさへの自信を過剰なまでに高めていき、ラートのみならず多くの男性の愛を得るようになっていくのでした。こういう女は、実に女らしく恐ろしく描かれています。周囲に破滅の芽をまき散らしながら、しかも本人には全然悪気がないあたりがまたたちが悪い。それにしても、たいへんな美人であるローザが、何故にラートという奇人に惹かれていくのか、そのあたりも見所です。


意外と複雑な物語です。かなり面白かった。
破滅が始まるとき、誰もそれに気がつかないで、むしろ自らその深くて暗い大穴へと飛び込んでいきます。そして落っこちてから、あるいは運良くあと少しで落ちそうなすれすれのところまできてからようやく、「どうしてこんなことになってしまったのか……」と思い返すのでしょう。

しかもきっかけはいつも些細なことで、どんどんと膨らんでいく破滅の恐怖とそれ自体の持つ魅力を前に、私たちはそれが罠だと知らぬまま、あるいは知っていたとしても抗えず、転落への道を選ばずにはいられない。

ラートという特殊な人物によって提示されるこの破滅の道はしかし、我々がときにあっさりと訳もなく自らを見失って狭い視野に捕われてしまいがちであるということをも示唆するようでした。そんな、心の奥が震えるような暗い、暗い欲望を刺激するようなお話でした。


ついでに、ハインリヒ・マンという人は、トーマス・マンの実弟だそうです。はー、なるほど。さらについでに、この物語は『嘆きの天使』という題で映画化もされているそうです。映画版ではラートの人物像がかなり違うらしい。私は映画を観たことがないですが、小説のラートという人物は一見の価値があると思いますね。どす黒く燃え上がる憎悪の炎、純粋な復讐心を煽りたたせるラート教授には、ローマン同様、一種の同情と憧れを禁じ得ません。

面白かった。






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2 コメント

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あ~っ (manimani)
2009-04-30 18:29:09
こんにちは
冒頭読んでいて「嘆きの天使」にシチュエーション似てるなあと思っていたら!原作があったんですねあの映画。
ナチス政権獲得前夜に評判をとって、その後上映禁止となった映画です。
映画のほうはそんなに複雑な感じではないですが(笑)
へ~ (ntmym)
2009-05-01 05:47:34
manimaniさん、こんにちは☆

上映禁止、とか言われると観たくなりますね; 小説のほうは面白かったです~♪

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