半透明記録

もやもや日記

『夢小説・闇への逃走 他一篇』

2009年05月27日 | 読書日記ードイツ

画像を載せる気力もなく…

シュニッツラー作 池内紀・武村知子訳(岩波文庫)






何も書きたくない。一言も言いたくない。でも、またうっかり忘れて、同じ地雷を踏んでしまわないためにも、修行だと思って少しだけ書いておくことにする。

シュニッツラーの『夢小説・闇への逃走』のことである。

「夢小説」までは、まあよかった。フリドリンがその生活にも妻にも失望しつつも、幻の女の影を追いきれず、生活も、妻も、幻滅そのものであると思いつつ結局は手放すことをしない。気が滅入るには違いないけれど、まあ、これはよかった。優柔不断が、選択の先送りが、人任せが、結局は自らの幸福とは何かを、どこまでも曖昧なものにしていくのかもしれないという、そこはかとない気まずさとやり切れなさを、幻想的な物語のうちに読むことができたと思う。

ここでやめておいたらよかったのだが。

「闇への逃走」については、何も言う気がしない。
思い出すのも危険だ。これを読むべきは、幸福の絶頂にあって馬鹿げた狂気など笑い飛ばせるくらいの健康状態にあるか、もしくはささやかな倦怠感からちょっと「不幸な自分を演じたい」と酔狂な遊びに手を出そうかという、いずれにせよ健やかで明るく、正しい人間が読むべきだと思う。引き摺られやすい、心の弱い私のような人間には必要ない。この人の暗闇の黒さは私の底の割れた魂には馴染みすぎて、何も満たしてくれない。ガルシンの「赤い花」を読んで、ただでさえ気落ちしていたところに、とどめをさしてくれやがった。もう、いい。私は行きます。主人公の名前を、もう忘れた。お兄さんの名前がオットーだったことは思い出せるのだけれど……

読んでいて、電話が鳴ったのでびっくりして飛び上がり、その驚きようにまたびっくりした。相当血の気が引いていたのか、文庫を持つ手が細かく震えているので、また驚く。何か気分を変えて別のものを読もうと書棚に手を伸ばすと、奥の列から、全く購入した記憶もないシュニッツラーの別の本が出てきたので、ぞっとする。いったいどういうつもりなんだろうか。

私は偶然を信じない。なにかにつけそこに予兆を見いだしたがる。だが私はそんなふうに生きるべきなんだ。では今度のことは、私に何を教えようとしているのか。これまでのいくつかの物語は、私に進むべき道を、考えるべき問題を、見るべき美しいものを提供してくれることが多かったと思う。さて、これは何だろう。
私はこれを立ち入り禁止の警告だと受け止めることにする。あまり自分の内側にある暗闇のことばかりに目を向けすぎてはいけない。それは私を滅ぼしたがるだけで、私を救いはしないだろう。分かっていることじゃないか。こいつのために、これまで何かいいことがあった試しがあるだろうか。何が原因かなど、もうどうだっていい。やめた。やめろ。

このあいだ、山の夢を見た。山に登ろうとして悪天候のために登らなかったが、改めて計画を立て直して、またいつか登ろうとする夢だった。
私は選ばなくてはならない。
光り輝く美しいもので満たすんだ。もっと注意深く、そこここにある美しいものを集めなくては。美しいものへの憧れだけが私を満たしてくれる。ただ、割れ底からたえず美しいものは流れ出ていってしまうから、もっと、もっと注意深く、ないもののなかにもあると思って。砂のなかから砂金をよりだすつもりで、砂自体が砂金だというつもりで。


疲れた。私は常にひとりになりたがりながら、同時に猛烈に寂しくもあるのだ。ばかばかしい。とても素敵なワンピースを買ったばかり。これを着て、どこかでかけよう。どこか、美しいもののある、どこかへ。







最新の画像もっと見る

コメントを投稿