エヴゲーニイ・イワノヴィチ・ザミャーチン作 川端香男里訳(岩波文庫)
《あらすじ》
20世紀ソヴィエト文学の「異端者」ザミャーチン(1884-1937)の
代表作。ロシアの政治体制がこのまま進行し、西欧の科学技術がこれ
に加わったらどうなるか、という未来図絵を描いてみせたアンチ・ユ
ートピア小説。1920年代初期の作だが、最も悪質な反ソ宣伝の書とし
て長く文学史から抹殺され、ペレストロイカ後に初めて本国でも公刊
された。
《この一文》
” 「まずいことになりましたね! おそらく、あなたには魂が形成されたのです。」
魂だと? それは奇妙な、古代の、長いこと忘れられていた言葉だ。われらは時には熟語として《魂の触れあい》《魂胆》《魂を奪う》と言うことはあっても、しかしむきだしの魂なるものは・・・・
「これは・・・・とても危ないんですか?」--口ごもって私は言った。
「不治の病いです。」--鋏の唇が一刀両断に言った。
「でも・・・一体、どこに本質があるんですか? 私は、どうも・・・・その分りませんが。」 ”
数年前、古本祭で賑わう神保町をぶらぶらしていた時、われわれは運命的な出会いを果たしたのでした。
つまり、私とこの本とは。
岩波の海外文学のピンクの背表紙には敏感に反応するように訓練を積んだ甲斐があったというものです。
しかし、正直なところ、文庫本がどっさりと詰まったワゴンの中からこの本をすくいあげた時にはまだ、思ってもいませんでした。
ロシア(ソヴィエト)文学には全く縁がありませんでしたし、あらすじを読む限りでは、なんだか堅苦しそうだなーとさえ思いました。
はい、私は間違っておりました。
それは読み始めてすぐに分りました。
面白過ぎました。
355頁なんて、あっと言う間に読んでしまいました。
ところどころに極めて幻想的な表現がなされているのも魅力でした。
ロシアのSF、私は新たな領域に1歩を踏み出したのでした。
この本を発端に、最近はSFばかり読んでいるような気がします。
私はどうもSFが好きらしいことも分かってきました。
設定は何もかも架空であっても、そこに真理をあらわそうとする精神には、何か美しいものを感じます。
《あらすじ》
20世紀ソヴィエト文学の「異端者」ザミャーチン(1884-1937)の
代表作。ロシアの政治体制がこのまま進行し、西欧の科学技術がこれ
に加わったらどうなるか、という未来図絵を描いてみせたアンチ・ユ
ートピア小説。1920年代初期の作だが、最も悪質な反ソ宣伝の書とし
て長く文学史から抹殺され、ペレストロイカ後に初めて本国でも公刊
された。
《この一文》
” 「まずいことになりましたね! おそらく、あなたには魂が形成されたのです。」
魂だと? それは奇妙な、古代の、長いこと忘れられていた言葉だ。われらは時には熟語として《魂の触れあい》《魂胆》《魂を奪う》と言うことはあっても、しかしむきだしの魂なるものは・・・・
「これは・・・・とても危ないんですか?」--口ごもって私は言った。
「不治の病いです。」--鋏の唇が一刀両断に言った。
「でも・・・一体、どこに本質があるんですか? 私は、どうも・・・・その分りませんが。」 ”
数年前、古本祭で賑わう神保町をぶらぶらしていた時、われわれは運命的な出会いを果たしたのでした。
つまり、私とこの本とは。
岩波の海外文学のピンクの背表紙には敏感に反応するように訓練を積んだ甲斐があったというものです。
しかし、正直なところ、文庫本がどっさりと詰まったワゴンの中からこの本をすくいあげた時にはまだ、思ってもいませんでした。
ロシア(ソヴィエト)文学には全く縁がありませんでしたし、あらすじを読む限りでは、なんだか堅苦しそうだなーとさえ思いました。
はい、私は間違っておりました。
それは読み始めてすぐに分りました。
面白過ぎました。
355頁なんて、あっと言う間に読んでしまいました。
ところどころに極めて幻想的な表現がなされているのも魅力でした。
ロシアのSF、私は新たな領域に1歩を踏み出したのでした。
この本を発端に、最近はSFばかり読んでいるような気がします。
私はどうもSFが好きらしいことも分かってきました。
設定は何もかも架空であっても、そこに真理をあらわそうとする精神には、何か美しいものを感じます。
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