半透明記録

もやもや日記

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格好良いもの、いろいろ

2009年12月01日 | もやもや日記


世の中には格好の良いものというのが多々あります。今日は私が格好良いと思うものを3つ挙げ、それらの格好良さというものが私の人生にいかなる影響を及ぼしているのかについて考察してみたいと思います。誰得? というネタですが、まあ,暇つぶしにどうぞ。



 ★その1:鹿賀丈史さんが格好良過ぎる

今朝、ふいに鹿賀丈史さんのことが気になって、グーグルさんで少し検索してみたところ、鹿賀さんがお若い頃に出演されていたウィスキーのCMを見つけました。



→ '89 サントリー角瓶 CM / 鹿賀丈史【YouTube】

か、かか、格好いい~~!!
何という美男子ぶり! 麗しいですね~。目の保養ですね~~。夢に見そうなくらいの美しさであります。どきどき。
それにしても、89年といえば、私もそろそろ中学生くらいで、鹿賀さんの美しいお姿をじっくり見つめる機会はいくらでもあったはずなのに、記憶を探ってみても、こんなにも美しい人だったと認識したことはなかったですね。なにやってたんだ、私は。
しかし、私はまだ中学生だったから仕方ないですね。その年頃は未熟であることが許されていましたから。もっとも、いまだに悲しいほどに未熟なままではありますが、とりあえず今からでもこの事実に気づくことができて良かったです。人生において、あらゆる美を発見するのに遅すぎることはない、と信じたい。美しい人の美しい映像が残っているというのも感動的ですね。

ちなみに、このCM自体もなかなか格好良いと思います。


 ★その2:スペイン系の人名の響きは格好良い

前々から思っていたことですが、スペイン語圏の人の名前ってやたらと格好良いですよね。たとえば、

ミゲル・アンヘル・アストゥリアス(グアテマラの小説家。『大統領閣下』はトラウマものの傑作)とか、ラサリーリョ・デ・トルメス(スペインの悪漢小説らしい『ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯』は一度読んでみたい)とか、他にもいろいろ。
海外ニュースなどを見ていても、時々格好良い名前の人が出てきますね。

試しに、スペインの姓について少し調べてみると、それぞれの姓には語源があったりするようです。まあ、日本の姓にも語源があるでしょうから、別に珍しいことではないのでしょうけれど、たとえばこういうのなんかは語源も格好良いですね。

*Garcia イベリア語かバスク語起源「槍」。
*Morales  「クロイチゴが多く生えた土地」。
 (参照サイト:【スペイン-人名力】

さて、このようにスペインの人名はとっても格好良く聞こえるのですが、私の人生にそれがいくらかでも影響を及ぼしたのかというと、どうでしょうね……。けれども私がラテンアメリカ文学や一部のスペイン文学を好きになったのは、ひょっとしたら登場人物の名前の格好良さや原題の格好良さなんかもあったかもしれないです。うん。

 



 ★その3:内田百先生の身の翻しが格好良過ぎる

百先生の随筆に「胸算用」(ちくま文庫『大貧帳』所収)というのがありまして、私はこれが大好きで、しばしば読み返しています。
どういう話かと言いますと、

 *百先生は「書物の顔」と題して、書斎に本を陳列して置く事の愚を嗤うような文章を新聞の本欄に書く。

 *その新聞が出た日の昼過ぎ、出版書肆のご主人が抗議にやってきた。本屋の主人いわく、

・新刊を買うのは貧乏人が多いという現状あり、したがって本を安くせねばならない状況である。よって、本が安い=儲けが少ない=著者への報酬も減る という苦しい構図になる。
   ↓↓
・このような事態打開のため、金持ちに本を売りつける策を練っている。すなわち、建築業者と協力し、金持ちの客間に立派な書棚を作りつける→見栄えのために立派な本を沢山並べなくてはならない=高い本が売れる=儲けが増える=著者への報酬も上がる。とのこと。

 *その話を聞いた百先生は、「舞文曲筆もまた家の業である以上、素早く前説を翻して、美しい書物の背がずらずらと並んだ本棚の壮美を叙述する機会を捉えようと考え」るようになった。

というお話。もちろん先生の思惑通りにはいかなかったというオチもあり。
ぎゃははっ! 何度読んでも笑えます。私もこのくらいに柔軟かつ愉快に生きたいものです。希望が湧いてきますね。百先生のこの格好良さは、これからも間違いなく私の人生に良い影響を与え続けるでしょう。

ちなみに『大貧帳』は、お金とは、貧乏とは、借金とは、というシリアスな問題をユーモラスかつ哲学的に描いた随筆集です。私は辛く悲しい事があるたびに、この本のことを思い出しては、「まだ百先生ほどの苦境では全然ないじゃないか…」と自らを励ましています。どんなときにも気高く生きたいものだ。



というわけで、なにかを格好良いと思いながら生きるのは、なかなか良いことなのではないかと思えてきました。なにかに憧れながら、美しいものにうっとりしながら、人生を愛しながら生きたいものですね。