半透明記録

もやもや日記

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雨が降ったので

2008年12月06日 | もやもや日記

葉っぱはほとんど散りました。


昨日のことですが、朝からの雷付きの大雨によって、公園を彩っていた赤や黄色の葉っぱの大部分は散ってしまいました。で、私は雨のやんだすぐ後、濡れて寒い人気のない公園で、まだ散ったままで片付けられていない山積みの落ち葉を黙って見ていました。あずまやにはおじいさんがひとり座っているだけの公園。

晴れて暖かい日には、ここは子供たちとそのお母さんやお父さんたちの場所で、私などがひとりでぼんやりするのは憚られますが、雨の日なら許される。雨の日なら、ほとんど誰もいないから。いたとしても、その人もやっぱりひとりでいたりする。
このように、遊び場として、あるいは交流の場としての役割を果たさないような雨の日にも、公園はまた別の人々のために場を提供し得るのだな、と、このように考えるのが私には楽しい。



落ち葉は、簡単に、いともあっさりと雨によって散らされてしまいましたが、ただやみくもに散っているわけではないのかもしれない。いや、実際葉っぱを散らすということはある種の木々にとっては重要な冬支度であって、なにも無意味なことはない。
なにも無意味なことはない。と、なににつけてもこのように考えるのが、私には楽しい。

上の写真の木の下には、降り積もった黄色い落ち葉、そこに子供用の小さなピンク色のボールと、バケツとシャベルが置き去りにされて埋もれていました。
それを見た私はどういうわけか、100年先、あるいは100世紀先に来るかもしれぬ幸福な世界を思いました。どういうわけか。
ちなみに誤解されると困るのでいちおう書きますが、私は誰もいなくなることをもって幸福な世界の到来と考えているわけではないですよ。念のため。そうではなくて、これから来る人たちのために、私は直接かかわることはなくても、彼らの幸福のために少しは物を考えておくべきだよな、と、これくらいの気持ちになったのです。このボールを、どんな子が忘れていったのかを私が知ることはなくとも、たしかに「いる」んですよ、誰かが。
彼らのためには、しかし、ただ考えるだけでは不十分かもしれません。しかも私ごときに何が考えられるのかと思うとまるで失笑ものです。あ、なんか卑屈になってるな。いかん、いかん。願うことくらいは許してやれ。私からむやみな理想を取ったら、何も残らないじゃないか。

それにしてもこれは、ただやみくもにセンチメンタルになっているわけではないかもしれません。私には何か実際に功績を残すことはできなくても、ただ自分がやみくもに雨のように流れてゆく時によって散らされるだけにしか見えなくても、それでなにも無意味なことはない。と、こんなふうに考えるのが楽しい私は、やはりちょっとセンチメンタルになっているだけですね。そこに寂しさは微塵もないですが。秋は、落ち葉は、ただ私をやたらと燃え上がらせているだけで。感傷的というよりも感情的になっていますね、少し。

いずれにせよ私は、公園に行くなら雨の日と早朝が良いと思ったのでした。今日は風が少しあったので、葉っぱはまた散ったことでしょう。もう冬です。